死体の一部を集めて人造人間を作ってもその人造人間はただのグロテスクな死体であり生命を持たない。管制経済というのはこのような人造人間ではないか。
政府は企業の国内設備投資を求めている。日銀も消費増税後も個人消費はある程度維持しているが供給の問題を提起して民間の活力を求める。それは積極的な設備投資でもあるでしょう。財界も法人減税で20%なら国内の設備投資をするという。政府はこのために財源すらはっきりしない法人税を成長戦略の柱の一つとする。
官製の賃上げも含めて個人消費の生きている部分と企業の溜め込んでいる資金にさらに法人減税で資金を集めてそれで立派な経済という人間を作り出そうとしているわけである。まさにこの官製の経済は人造人間でしかないでしょう。人造人間にも生血が必要なわけですからそれは量的緩和の資金と国民が持つかねです。この生血を注ぎ込むがやはり人造人間には命はないのである。生血を循環させようとするが脳死状態である。
賃上げも一部の大企業での賃上げでその賃上げも政府・日銀の物価高政策により物価に追い付かずに実質賃金は下がり続ける。一部の労働力不足の産業でのバイトなどの不安定雇用の時給は上がっているにしてもこの官製の賃上げの恩恵を受けていない労働者は多いだろう。
個人消費は生活にどうしても必要なものは消費をするが耐久消費財などの消費は落ち込む。贅沢意識(これは国民の生活向上の実感と意識)もプチ贅沢の範囲を出ない。正社員の夏のボーナスや不安定雇用に対しての何かしらの特別手当がなければ個人消費は節約意識の中におかれるだろう。もちろん高齢者(特に年金生活者)などの非労働人口は蚊帳の外におかれるだろう。あるいは政府の高齢者の活用(年金支給年齢の引き上げが実施されている中で)相当ひどい低賃金におかれる。
企業の国内設備投資は、今でさえ内部留保が増えているにもかかわらずその資金が設備投資には回らない。個人消費の不安定性の中で内部留保を吐き出してまでも国内での設備投資には消極的にならざるを得ない。
日銀は物価上昇だけを自らの責任とするわけで成長は国と民間の仕事だとして更なる量的緩和は行わない状態です。
こう見ると管制経済という人造人間には命は生まれていないということです。
さらに国民の生血を人造人間に注入をするのが成長戦略ですから人造人間のグロテスクさは増していくでしょう。もちろんこの下部構造でのグロテスクさは上部構造に作用をして政治をはじめとした社会システム自体がグロテスクなものになる。やはりとんでもない仮定を出しての集団的自衛権という人造人間を生み出そうとしている。ここでも心配されるのが国民の生血が流されかねないということである。
政府は企業の国内設備投資を求めている。日銀も消費増税後も個人消費はある程度維持しているが供給の問題を提起して民間の活力を求める。それは積極的な設備投資でもあるでしょう。財界も法人減税で20%なら国内の設備投資をするという。政府はこのために財源すらはっきりしない法人税を成長戦略の柱の一つとする。
官製の賃上げも含めて個人消費の生きている部分と企業の溜め込んでいる資金にさらに法人減税で資金を集めてそれで立派な経済という人間を作り出そうとしているわけである。まさにこの官製の経済は人造人間でしかないでしょう。人造人間にも生血が必要なわけですからそれは量的緩和の資金と国民が持つかねです。この生血を注ぎ込むがやはり人造人間には命はないのである。生血を循環させようとするが脳死状態である。
賃上げも一部の大企業での賃上げでその賃上げも政府・日銀の物価高政策により物価に追い付かずに実質賃金は下がり続ける。一部の労働力不足の産業でのバイトなどの不安定雇用の時給は上がっているにしてもこの官製の賃上げの恩恵を受けていない労働者は多いだろう。
個人消費は生活にどうしても必要なものは消費をするが耐久消費財などの消費は落ち込む。贅沢意識(これは国民の生活向上の実感と意識)もプチ贅沢の範囲を出ない。正社員の夏のボーナスや不安定雇用に対しての何かしらの特別手当がなければ個人消費は節約意識の中におかれるだろう。もちろん高齢者(特に年金生活者)などの非労働人口は蚊帳の外におかれるだろう。あるいは政府の高齢者の活用(年金支給年齢の引き上げが実施されている中で)相当ひどい低賃金におかれる。
企業の国内設備投資は、今でさえ内部留保が増えているにもかかわらずその資金が設備投資には回らない。個人消費の不安定性の中で内部留保を吐き出してまでも国内での設備投資には消極的にならざるを得ない。
日銀は物価上昇だけを自らの責任とするわけで成長は国と民間の仕事だとして更なる量的緩和は行わない状態です。
こう見ると管制経済という人造人間には命は生まれていないということです。
さらに国民の生血を人造人間に注入をするのが成長戦略ですから人造人間のグロテスクさは増していくでしょう。もちろんこの下部構造でのグロテスクさは上部構造に作用をして政治をはじめとした社会システム自体がグロテスクなものになる。やはりとんでもない仮定を出しての集団的自衛権という人造人間を生み出そうとしている。ここでも心配されるのが国民の生血が流されかねないということである。