イランで拉致され拘束されていた安田さんの記者会見で注目されたのが謝罪であり自己責任だった。本来ならば拉致されていた間の状態や安田さんがどのような事柄を取材して何を伝えたかったかが大切なはずだが、自己責任と謝罪だけに注目されたことは残念です。
朝日新聞の記事で「安田さんの「謝罪」ジャーナリストはどう見たか」という記事がある。
「フランスでは、謝罪は間違ったことをした時にする。彼は記者の仕事をして事件に巻き込まれた。フランス人記者なら、心配してくれた方々に感謝するだろうが、謝罪はしない」(引用)と。
そしてフランス人記者が同じように拉致されて帰国したときは、大統領自身が出迎えて
「報道の自由に尽くす、優秀な同胞がいることを誇りに思う」(引用)と述べたそうである。
自己責任からの謝罪を求める日本の風土と誇りだとされて迎えるフランスの風土の違いがはっきりします。この風土というのは自由や民主主義への考え方にあるのでしょう。
大きなマスコミは自己規制をして危険な地域には入らないでしょう。取材はできないので外国の報道に依拠しなければならないし、そこに受け取る側の考え方が入り正しく紛争地などの実態がわかっらずじまいになっていないか?
フリーのジャーナリストの取材であることから初めて僕たちは真実を知ることになるのかもしれません。
小泉内閣時にも同じような拘束されたジャーナリストがありその時から自己責任が広く言われるようになったのではないか。この自己責任はその後社会の隅々で言われるようになった。
安田さんの場合も自己責任であることに間違いはない。
しかしその安田さんの自己責任においての行動が社会から非難されるようなものだったか、尊敬されるべきものだったか、ここの見方によって自己責任の意味合いが違ってくるでしょう。国や国民に迷惑をかけたという非難から自己責任論を出す。すると非難されるべきことを行ったのだから謝罪しろつなるでしょう。
一方ではその自己責任においての行動がたたえられるものと受け取られるならば、その自己責任は謝罪すべきものではなくて救出してもらったことに感謝をすればそれで済むことになる。
自己責任でやったのだから謝罪しろ。。。。。
日本は最近すぐに謝罪しろと詰め寄ることが多くなっていないか?大きな問題でなくても、例えば店員と客の関係において少しの間違いであっても謝罪しろと。。。。。
自らすぐに謝罪を求めることは醜いことです。店員と客戸でトラブルが発生したとき、一応店側は説明をして納得してもらったにしろ、その客は店員の態度が悪いといった話になり謝罪しろと。
力関係においての謝罪。。。。
結局は社会的力や金の力で謝罪をさせることになる。
安田さんの「謝罪」はマスコミや一部国民の社会的圧力による謝罪であったのか?その面があったことは否めないがしかしどこかに自分をしっかり見つめているような姿に見えた。
朝日新聞の記事で「安田さんの「謝罪」ジャーナリストはどう見たか」という記事がある。
「フランスでは、謝罪は間違ったことをした時にする。彼は記者の仕事をして事件に巻き込まれた。フランス人記者なら、心配してくれた方々に感謝するだろうが、謝罪はしない」(引用)と。
そしてフランス人記者が同じように拉致されて帰国したときは、大統領自身が出迎えて
「報道の自由に尽くす、優秀な同胞がいることを誇りに思う」(引用)と述べたそうである。
自己責任からの謝罪を求める日本の風土と誇りだとされて迎えるフランスの風土の違いがはっきりします。この風土というのは自由や民主主義への考え方にあるのでしょう。
大きなマスコミは自己規制をして危険な地域には入らないでしょう。取材はできないので外国の報道に依拠しなければならないし、そこに受け取る側の考え方が入り正しく紛争地などの実態がわかっらずじまいになっていないか?
フリーのジャーナリストの取材であることから初めて僕たちは真実を知ることになるのかもしれません。
小泉内閣時にも同じような拘束されたジャーナリストがありその時から自己責任が広く言われるようになったのではないか。この自己責任はその後社会の隅々で言われるようになった。
安田さんの場合も自己責任であることに間違いはない。
しかしその安田さんの自己責任においての行動が社会から非難されるようなものだったか、尊敬されるべきものだったか、ここの見方によって自己責任の意味合いが違ってくるでしょう。国や国民に迷惑をかけたという非難から自己責任論を出す。すると非難されるべきことを行ったのだから謝罪しろつなるでしょう。
一方ではその自己責任においての行動がたたえられるものと受け取られるならば、その自己責任は謝罪すべきものではなくて救出してもらったことに感謝をすればそれで済むことになる。
自己責任でやったのだから謝罪しろ。。。。。
日本は最近すぐに謝罪しろと詰め寄ることが多くなっていないか?大きな問題でなくても、例えば店員と客の関係において少しの間違いであっても謝罪しろと。。。。。
自らすぐに謝罪を求めることは醜いことです。店員と客戸でトラブルが発生したとき、一応店側は説明をして納得してもらったにしろ、その客は店員の態度が悪いといった話になり謝罪しろと。
力関係においての謝罪。。。。
結局は社会的力や金の力で謝罪をさせることになる。
安田さんの「謝罪」はマスコミや一部国民の社会的圧力による謝罪であったのか?その面があったことは否めないがしかしどこかに自分をしっかり見つめているような姿に見えた。