夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2020年 9月 7日(月)「社会を支える者と寄生」

2020年09月07日 22時16分16秒 | 「思うこと」
日常生活を送っていると、あらゆるところで人の労働によってその日常は支えられています。当たり前すぎでそのあらゆる人の労働を意識しないで過ごしています。
このあらゆる労働は社会の富やサービスなどを作り出し、その作り出した物を日常消費をしています。ここを忘れてはいけませんね。
しかしこの人の労働に寄生する人々がいる。
社会システムがひ働く人々の生活を切り下げてその富を少数の人が独占する。これは能力のある人が豊かになるとして富を独占する人が尊敬されるような変な社会になっています。しかし働く人々が作り出した富を独占するのですからそれは寄生です。政治がこの規制する人々に独占されて政治そのものが規制を当たり前にする社会システムを作っている。すると、その政治自体が社会に寄生をしていることになる。
ですから、このような社会においては貧富の格差が拡大される。日常当たり前に働いている人が貧困化してゆき、帰省する人々が豊かな生活をする。
古代社会からこのような社会システムが続いてきたのですが、今の資本主義も同じで、新自由主義は資本主義のこの仕組みを当たり前にしてしまいました。
もちろん社会はその時代時代で発展をしてきましたが、資本主義の現在も残存物が残っている。その残存物とは、階級です。
寄生する人々という階級と、当たり前に働いて貧困化する階級です。
この階級間で常にぶつかりが生じます。しかし、まだ働いているのに貧困化する階級にその自覚がありません。自覚がない以上に互いの競争して内部での階層化を招いています。
しかしだんだんと自覚されていくでしょう。
無理?
無理ではなくて実際に階級を意識した55年体制がありました。
そして自覚されないならば、資本主義は経済そのものが破綻に向かうでしょう。
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池に浮かぶ月954【9月 7日】

2020年09月07日 20時14分00秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は高齢者ドラ―バーについて。
新聞記事に高齢者が運転をやめると陽会議になる可能性が2倍になるというものがありました。ある程度元気ならば運転をすることにより日常の世界が広がりますからね。
高齢ドライバーの事故ばかり報道されれば高齢者の運転は危ないと強調されてしまいます。現実は若い世代も事故が多いわけで、自己の中身が違うだけです。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

2019年 9月 7日(土)「高齢者ドライバー」

昨日の朝日新聞朝刊3面に「高齢者が運転辞めたら要介護可能性2倍」という記事があった。健康な高齢者の車の運転の事でしょう。認知症などすでに罹病していたら話は別でしょうね。調査方法......

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