今日ラジオを聴いていたら、インターネットができる前はどんな生活をしていたかという話をしていました。
一つは興味あるものを調べたり知りたいときはどうしていただろ。
身近にある辞書や百科事典を広げて調べたりしていました。もちろん人に訊いたりもしていました。
もっと詳しく知りたいことや興味のあるものについては本屋に行って新書などを買ってきて読みました。
専門的なものはもちろん本でした。
こういう生活をしていると自然に本が身近なものになっていき本棚に本が増えて聴きました。
しかしインターネットができてからはパソコンやスマホ1台あればあらゆる知識の入り口ぐらいのものは調べられますし、写真や図などもすぐに出てきます。百科事典はもちろん図書館を内においてあるようです。もちろんインターネットでも専門的なものは本を買わないとだめですが、素人の範疇では十分に専門的なものの入り口ぐらいなら読めます。
するとやはり本から離れてしまいますね。
本から離れるということの怖さは、ホンダと1週間とか10日ぐらいかけてゆっくり読みますからいろいろと考えながら読みますが、インターネットでは知識などを知るという範囲で終わることが多いです。もちろん考えながら読むのですが、その考えながらの深さが違うような気がします。紙のページをめくりながら活字を読むという行為自体に何か違うものがあるのでしょうか。
インターネットは情報量が多いですから本のようにじっくり読んでいたらその情報を取り入れるにはすごい時間がかかります。すると広く浅くとなるのも仕方ないですね。
この膨大な情報量から何か興味があることを見つけて本を読むということが大切なのかもしれません。
しかし最近は老眼も度が進み集中力がなくなった。この集中力も老化だけのものではなくてインターネット特有のものかもしれません。
一つは興味あるものを調べたり知りたいときはどうしていただろ。
身近にある辞書や百科事典を広げて調べたりしていました。もちろん人に訊いたりもしていました。
もっと詳しく知りたいことや興味のあるものについては本屋に行って新書などを買ってきて読みました。
専門的なものはもちろん本でした。
こういう生活をしていると自然に本が身近なものになっていき本棚に本が増えて聴きました。
しかしインターネットができてからはパソコンやスマホ1台あればあらゆる知識の入り口ぐらいのものは調べられますし、写真や図などもすぐに出てきます。百科事典はもちろん図書館を内においてあるようです。もちろんインターネットでも専門的なものは本を買わないとだめですが、素人の範疇では十分に専門的なものの入り口ぐらいなら読めます。
するとやはり本から離れてしまいますね。
本から離れるということの怖さは、ホンダと1週間とか10日ぐらいかけてゆっくり読みますからいろいろと考えながら読みますが、インターネットでは知識などを知るという範囲で終わることが多いです。もちろん考えながら読むのですが、その考えながらの深さが違うような気がします。紙のページをめくりながら活字を読むという行為自体に何か違うものがあるのでしょうか。
インターネットは情報量が多いですから本のようにじっくり読んでいたらその情報を取り入れるにはすごい時間がかかります。すると広く浅くとなるのも仕方ないですね。
この膨大な情報量から何か興味があることを見つけて本を読むということが大切なのかもしれません。
しかし最近は老眼も度が進み集中力がなくなった。この集中力も老化だけのものではなくてインターネット特有のものかもしれません。