【2023年】ツイッターつぶやき
先日も書いたのですが、知人から庭でなった柚子を大量にもらいました。
さっそく柚子ジャムを作り毎朝ヨーグルトの入れています。
皮を千切りにして冷凍しました。正月のお雑煮に入れたいとお見ます。
先日春菊のかき揚げそばを作ったのですが、その上にも少し散らしました。
昨夜は残っていた塩鮭をほぐして炊き立てゴハンにまぶしましたが、そこに柚子の皮を細かく切って一緒に混ぜてみました。
残った実はジュースにして飲んだり、風呂に入れています。
そういえば明後日は当時ですなぁ。
少しもったいないですがゆず風呂にします。
≪過去の記事≫
【2003年】
寒い一日でした。北関東は大雪注意報。北関東からの冷たい空っ風が東京にも来ます。窓ががたがたいうほど強い風。。。。
暖かくして寝なくては。。。。
【2004年】
「いとしい」
幻灯舎文庫
川上 弘美 著
川上さんの長編小説です。
語り手のマリエには姉のユリエがいる。
父親は早く死に、二人目の父親は春画の絵描きであった。幼いマリエとユリエはその春画を見て二人で真似をする。マリエは長く伸ばされたユリエの髪に絡まってしまう。美しくもどこか性を感じる書き出しである。
マリエとユリは成長していく。
マリエは大鳩女子高等学校の先生となる。
「ミドリ子のとりとめのなさは、大鳩女子高等学校のとりとめのなさに似ている。」ミドリ子はマリエの生徒である。
このとりとめのない人間はミドリ子だけではない。マリエユリエ姉妹もとりとめがない。作品中にはたくさんの登場人物が出てくる。母親、父親、二人目の父親、その弟子のチダと春画モデルのマキ・アキラ、ミドリ子の兄紅朗、ユリエの夫オトヒコ、ミドリ子に思いを寄せる鈴本鈴朗。すべてがとりとめのない人間である。
とりとめのない人間が集まっているのでこの作品もとりとめのないままに進む。このとりとめのない人間たちの恋・愛をとりとめもなく描いていく。母親とユリエそしてミドリ子はチダに恋をし、後にミドリ子の恋は兄の紅朗へ、そしてマリエも紅朗に恋をする。チダと鈴本鈴朗はミドリ子に恋をし、ユリエはまたオトヒコに恋をする。マキとアキラは死ぬが寝床持参の幽霊となり集画のポーズをきめる。
「とりとめのない」という言葉は、まとまらないというような意味であるらしいが、つかみどころがないとか自然のままに流れるというような意味にもこの作品からの印象として受ける。
登場人物のそれぞれの恋や愛は、通常の小説のように心ときめいたような劇的な恋や愛ではない。やはりとりとめのないままに引き合う恋や愛である。恋する気持ちや愛する気持ちにはつかみどころがなく、自然な肉体関係がある。常識的な恋や愛とは違うものがそこには描かれる。だからとりとめもないのである。
この作品の題は「いとしい」であるが、登場人物それぞれの恋や愛は、単純に恋や愛とは呼べずに、このいとしいではないのか?男女間のいとしさという心の動きがとりとめがないのである。だからこの作品は、大人の恋や愛を表現したものではなく、とりとめのないいとしさを表現したものと思われる。ここではなぜ恋をしたかなぜ愛したかは問題とならない。いとしさから引き合う心の動きが自然なままに表される。いとしさという心の動きは、心そのものであるからつかみどころがないのである。
「オトヒコ君は食べ物を食べたいから食べるのではなく、食べなければならないから食べるのでした」
実際の社会に生きる人間の恋や愛は、その人間を取り巻くさまざまな社会的な条件にかかわりながらあります。いとしいという感情は、これらの社会性のすべてを抜きにした純粋なものかもしれません。社会性に縛られないで好きにならざるを得ない、愛せざるを得ないそんな感情。
いとしいという言葉は深いものがあります。
自分が幸せになりたいとか、いい暮らしがしたいとかの打算が入らないからいとしさにとらわれたらその先はどうなるのかわかりません。心中に走ることもあるでしょう。社会的な批判を浴びることもあるような恋や愛になることもある。倫理にはずれることも。「いとしい」に登場する人物たちの恋は幸せとはいいがたい。しかしその恋に走ってしまうのはいとしさにあるのでしょう。
社会性からあるときには離れたものとしてのいとしいという感情は、心の葛藤を生みます。川上さんの不思議な世界はこの心の葛藤を具現化したものではないかと思います。いとしさを感じる対象は男女間だけではなく、人の中でも同姓にむかうこともあり、近親者に向かうこともある。森羅万象のすべてのものに向うこともある。ここにも川上さんの作品の不思議さが出るのではないでしょうか。
心の中は意識に逆らってさまざまにめまぐるしく変化をします。川上さんの作品中の変化は特徴ですが、これを心の動きとしてとらえてはどうか。。。。
「いとしい」を読んでさまざまな憶測もしてしまいます。
この意味で「いとしい」は、僕にとっては川上さんの作品の中でも重要かと思います。
明日は冬至。この日記も冬になります。
少しづつ日が延びていくのだと思うと気分も晴れますし、寒さも我慢できそうです。
そういえばまだ大掃除の日程も決まっていません。台所の換気扇がだいぶ古くなってきたので交換しました。この時期の出費は痛い。。。でも、大掃除での換気扇掃除は省けるのでうれしいです。
だいぶたまってきた女性作家の本。どこか片付けるところを探さねば。山積みにしてあるのでまた参照したいようなときに見つけにくいです。
娘が年末年始のテレビ番組が載っている雑誌を買ってきました。12月ももう下旬、何だかだんだんせわしなくなります。
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
昨日も今日も。。。。関東は「晴れます!!」というテレビの天気予報。
まぁ、まったくのはずれというわけではないけど。。。。
嬉しくなって布団を干すぞ!!と思ったら晴れ間はほんの一時。今日も午後遅くなって少しの晴れ間。今日は台所近くの出窓のカーテンを洗濯。どうにか乾いたけど、天気予報に期待したほどには晴れ間は少なかった。
だいぶ前にテレビで天気予報を売る会社があると聞いたが、やはり正確な天気予報を得るには金を出さなくてはならないようだ。テレビでは今日の天気、さえあまり宛にはならない。。。
最近、スーパーなどで「アルカリイオン水」という洗剤をみる。または、アルカリイオン水に重曹を入れたものもある。
界面活性剤不使用とあるので安心かなと思い、重曹の入ったアルカリイオン水を買ってきた。シュッシュッと吹きかけて風呂の浴槽を洗ったらヌメリなどはきれいに落ちるようだった。でも、一応注意書きを見ると、洗剤と同じように使ったほうが良いように思ったのでよく水で流した。まったくの水のようなので気楽に使えそうだが一応は気をつけよう。。。。
レンジ回りにも使ったけど案外油も落ちるようです。
昨夜は忘年会でした。。。。
酔っ払って快速(急行)電車に乗ったら、眠ってしまい2駅先まで行ってしまいました。あわてて戻りました。それにしても確か8時過ぎに電車に乗ったはずなのに気づいたときには10時になっていた。2駅先に行ったにしても2時間はかからないはず?
ううう。。。。空白の2時間(笑)
もしかして終点まで行ってまた戻ってまた行過ぎた?
酔っ払ってわけが分からん。。。ううう
まぁ、無事に家には帰りつけたのでよかったけど。。。ガッハッハッハ・・・・
【2007年】
夕方、車まで10分ほどのところに安い洋服やさんが出来たので行こうとしたら、娘も行くというので一緒に行きました。
なんと僕の買おうとしたシャツが。。。。。むっフッフッフ・・・・1000円しない。2枚買い帰ろうとしたら娘も買うというので見て歩きました。
長袖Tシャツ2枚、ジーパン、モコモコのトレーナーのようなもの、ダウンのジャンパー・・・・うううう
ハハハ・・・それでもちょうど1万円ぴったりでした!!
うん?僕の物は2000円という事は。。。。。ハハハ
ううう・・・・
【2008年】
鍋焼きうどんの具は半熟卵と分厚い衣の海老天が入っていないとだめだ
春のオルガン
新潮文庫
湯本 香樹実 著
1995年徳間書店より初版発行。2008年新潮文庫より文庫化
文庫で読みました。文庫版には湯本さんの「あとがき」がありますが、初めの作品を改稿しての文庫化だそうです。大幅に改稿されたのか?
小学校6年生ごろだったろうか?
親戚が集まり雑談の中に僕の将来について両親や親戚が話していた。何も深刻な問題ではなくて「どんな職業に就くか」「勉強しろ」といった軽い雑談だった。「硬い職業」に就かなければと大人の常識の中の話だった。その夜、寝床に入ってからその大人たちの話を思い出した。そして空想した。学校を出て「硬い職業」に就いた僕がいた。いつか結婚をするのだろうか?子供がいる家庭があるかな。そして僕も両親のように年をとるんだろうなぁ。。。。そしてその空想の先に恐ろしい未来を見た。「僕もいつか死ぬんだろうなぁ」と。
漠然とした空想は必ずやって来る現実としての死に結びついた。
その夜、僕はまったく寝付けなくなってしまった。
そのときからだったと思う。本を読み出したのは。
もちろんそれ以後は平々凡々と死などを忘れて漫然と生きてきたのだが、ある時一瞬この小学校のときの死の恐れを思い出すことがある。死は人をまじめにさせます。あせっても仕方ないが何かをしなければ。。。。かといって僕のような人間は何もできない。でも、死は必ずやって来る。
湯本さんの作品は何冊か読みましたが、湯本さんのどの作品もこの人の死が出てきます。湯本作品は、死を見つめる中にその死と生きる人の接点が描かれます。「春のオルガン」は、ジャンルとしては児童文学に入るのかもしれませんが、青年期も含めて子供や青年に死を見つめさせる中に問いかける湯本さんがいる。死は人をまじめにさせると先に書きましたが、どの作品を読んでも人の死を通した今生きる自分を考えさせてくれる作品です。
主人公の桐木トモミは、小学校の卒業式も終わり中学校入学前の春休みを過ごします。おじいちゃんと両親そして弟のテツと暮らします。おばあちゃんは病気の末に亡くなりました。
どことなく僕が子供のころのような風景を感じる時代を感じます。その風景に大人としての僕は自分を重ねてしまい、その郷愁の中に読みすすめました。それは湯本さんご自身の郷愁でもあるのかもしれません。自分が子供だった頃。。。。そして今こうして生きている自分がいる。子供の頃に空想した通りかは別にしてこうして遠い未来としての空想の中の自分がここに生きている。この感じ方を通してこの児童文学は大人にとってもいま生きる自分を見つめなおすことができる作品ではないかと思います。
どこの家庭も絵に描いたような幸せな生活の中にあることはない。そして子供にとってはその家庭を作っているのは大人の家族である。子供である自分が大人の世界を知っていく中に子供の精神的な成長があるわけです。トモミは、そんな大人の世界が見えてくる年齢です。
大人の社会は学校の教育で教えられるような社会ではない。大人といってもその社会の中に生きてその常識の中に生きる。この真の大人社会を見つめることも成長となるでしょう。
では、人の死という避けられない事実、大人の両親が作る過程、世間という社会の中に生きる現実の大人の姿。。。。これを見つめる中にいるトモミ。そのトモミ自身もその大人の社会を知りはいっていく苦しさをどう受けとめたらいいのか?
これがこの作品の主題となるわけです。
トモミは、病室で危篤状態の祖母の苦しみを見て、おばあちゃんは早く死んだほうがいいよと思ってしまう。そしてその気持ちどおりに祖母がすぐに亡くなる。もちろんトモミは祖母が早く死ねばいいなどとは思っておらず、その苦しむ姿に怖さと救いを求めるの中からのやさしさである。しかしトモミはその自分の心がわからずに祖母の死を自分のせいと思い悩む。
隣家との境に塀を作ったが、隣家への遠慮から敷地の内側にそうとう余裕をあけて作った。しかしとなりの老人はそれをよいことに桐木家の境から入り込んだところに自らも塀を作る。この大人のずる賢さと損得勘定。これは大人社会を象徴しているだろう。それに対してトモミの母は怒り、その怒り方が家庭生活の中にも入ってくる。そんな妻を持つ父は嫌気を覚えてアパートを借り手で提起家にはたまにしか帰らなくなる。祖父は。。。。春の庭先に古いオルガンを出して直そうとする。そのオルガンはトモミの母親が小さい頃に使っていたもの。弟のテツは、母親の怒りを見て、隣の爺さんを懲らしめようと隣家に死んだ猫を入れる。
知美の家庭とトモミを取り巻く社会。幸せな家庭とはいえない。トモミの心の中は揺れ動く。何も解決されない中に心は不安定である。しかし変質者がトモミの胸をつかんだ。心に何の解決も見出せないが、体は大人になっていく。
作品の前半はこんなトモミの姿が描かれます。
そして中学校入学をする前の2週間ほどの春休みという時間の流れの中にトモミが見つけ出したものは。それはこの作品をぜひ読んでいただきたいと思います。
祖父は何も語らずにゴミ置き場になっているところに捨てられたバスの中でトモミやテツと一晩を過ごす。そこに集まる捨て猫が死ぬ。
その死んだ捨て猫をテツが隣家の庭にまた入れようとするが、爺さんに見つかる。怒った爺さんが倒れてしまう。それを見たトモミとテツの怖さ。猫という死を利用しようとしたこと。爺さんも生きているということ。
母親が父のアパートに寝ている。トモミが今まで見たこともないようなきれいな母親が寝ている。なぜ?父は家に帰る。なぜ?
2週間という時の流れの中に祖父が直そうとした春のオルガンは二度と鳴ることはなかった。
トモミは言う。。。。
「どうしようもないことってあるよね」(217ページ)
そう。。。。大人になっていくというのは、どうしようもないことを知ることだったのかもしれません。
人の死も人の行いも。
でも、これはあるがままに受けとめると同時にそのどうしようもないことを悲しみとして受けとめることではないかと思います。悲しみを意識するとそこに人の持つ温かみを求めます。怒りや自己嫌悪、ねたみや優越感。。。。。こういう感情としてどうしようもないことを受けとめるならそこに解決はありません。悲しみと受け取ることだけが暖かさを求められます。
そして。。。。
「どうしようもないかもしれないことのために戦うのが、勇気ってもんでしょ」(217ページ)
この勇気も悲しみの中にしか見出せないものかもしれません。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
出稼ぎといっては言葉は悪いが、野球選手やサッカー選手が国外で活躍をされ高額の所得を得ています。日本でも同じような所得は得られるのでしょうが、外国で活躍をしたいというものが強いし本場で活躍できれば評価も高くなります。このようなものはスポーツ選手だけではなくてノーベル賞を受賞された学者もアメリカの大学の研究機関であったりします。また、寿司職人の方が日本食ブームということもありますが国外で活躍をされているとか。中小企業も今はその技術力を生かして中国に進出をしている。
今朝の朝日新聞を読んだら、中国の賃金水準は高くなり、中国国内では日本人の給与水準に割安感が出始めているといいます。逆に中国人の才能ある労働力は日本がほしがるようにもなっているそうです。
優れた人材作りは将来的には国内に高い技術力を作り上げていきます。そしてそれは経済に現れてその国の発展にもつながります。この視点から見て、優れた日本人あるいは優れた技術そのものが国外にその活路を求めて出て行く。そして国内でも優れた外国人を求めていく。これは経済のグローバル化というものにもあるのでしょうが、このような現象がなぜ現れてきてしまったかが問題なわけです。日本の将来を見れば。加速度的に日本は衰退をしてしまいます。
大企業はその生き残りや利潤確保のために労働力を買い叩きます。それは高い技術力や能力を持つ人にも及びます。中小企業も大企業にその生産されたものを買い叩かれる。縮小経済による生き残り策は、国家の政策によって保障される。このような状態ならば、中国の優れた人材も日本を敬遠するでしょう。日本人も逃げて出稼ぎに行く。中小企業も中国に移る。
その中で高齢化社会だと言って、高福祉高負担がささやかれる。しかし高負担の必要性は言われ消費税増税がまな板に乗せられようとするが、将来の高福祉のビジョンが何も国民の目には見えず。見えるのは国家財政の窮乏の中でも法人税減税という企業中心主義である。高い福祉を求め高い租税を拒むのは許されないといいますが、高い福祉のビジョンがどこにあるのか。税金も払わないで福祉を受ける食い逃げとまで言われるが、下手をすれば今の日本の現状は、高い租税を求めて福祉はないがしろという食い逃げのほうが心配になる現状である。
高福祉高負担は、高負担を企業が認めることにもある。経営責任を明確にする中での経営破たんの責任を役員や株主までもが負うような厳しさがなければ国民は高い租税に納得しないだろう。
二大政党制はその矛盾を表し国民は無党派層がどんどん増えている。企業の生き残りは激しくなり、国民の疲弊は強まる。民主主義は形骸化していく。自由の夢は削がれる。そのうちに日本人の夢は中国企業に採用させていただくこと!!となっていくだろう。日本人は案外柔軟だからそれはできる。一方において国家はいつまでも中国の民主化を言って批判が先行していく。このちぐはぐさ。。。。。。強がりと政治不在による衰退は国民に自虐さを生んでいく。
消費税租税滞納状況 (国税庁)
今はどのくらい累積があるのだろ?
時間があるときにまた最近のものを調べて見たいと思うのですが。。。。
【2011年】ツイッターつぶやき
昼下がりの静かな電車に乗った。窓から差し込む日差しが暖かい。
座席はほぼふさがっていたが一つだけあいていたので座って本を開いた。
電車は鉄橋を渡って駅に着いた。
数人の人が下りていく。そこに入ってきたのだ。。。。ううう
三人のおばちゃんがどやどやと入ってきて僕の前の席に並んで座った。そして機関銃のようなおしゃべりが始まったのだ。3人そろえばやかましい。。。おばちゃん。絵に描いたようなおばちゃんたちが一人ひとり機関銃を放つのだからすごいことになる。
「今の若い女の子はどうしようもないわよね・・・・」
「そうそう、若い男の子の方が素直よ・・・・・」
「そうよねぇ・・・うちの嫁なんかも同じよぅ!!」
「そういえばあそこの奥さん・・・・」
「えっ?どこのどこの!」
「ああ、あそこの奥さんよね・・・・」
永遠と話題は移り変わり永遠に口が動く。回遊魚は泳いでいないと酸素を補給できないそうだがおばちゃんたちはしゃべっていないと空気を吸えない。
もう本は読めない。。。。。
僕の隣に座って新聞を読んでいた親父も経済新聞をたたんでカバンから携帯を出してイヤホーンで音楽を聴き始めた。
どんよりと数駅おばちゃんたちの口の動きに目を奪われていたら、一人のおばちゃんがじゃぁまたねと降りて行った。残されたおばちゃん二人はしばし静かになった。
しかしそこに隣の車両から一人のおばちゃんがどたどたと入ってきた。
「隣の車両に乗っていたのよ!混んでいたもんでこっちに来れなかったの。ごめんなさいね」
とまた三人がそろってしまった。
「今も話していたんだけどさぁ。。。。」
またおしゃべりが始まった。
ううう。。。。
【2012年】ツイッターつぶやき
日銀が金融緩和を決定したという。
すでに限りなくゼロ金利なわけですから、そこで量的金融緩和?
銀行から国債を買い取ってその資金を金融市場に流す。このこと一つ見ても選挙後の自民党安倍総裁の発言から円安・株高が起きていますがこれは安定性に欠けるものだという証明でしょう。
量的金融緩和は、この円安・株高を支える形になるのでしょうか?
何の経済的基盤がない株価や政策インフレからくる円安にいくら資金を投入してもここから国民生活には恩恵は回らないでしょう。
結局はデフレ克服から雇用の増加や国民生活の向上というものは無視をされたもので、デフレ環境は変わらない中での人為的インフレが。もしかしたらインフレターゲット自体無理なのでは?そして円高がすぐにやってくる。株価インフレ?バブル的な投棄?
【2013年】ツイッターつぶやき
今夜はしゃぶしゃぶでした。。。。。
男の手料理といえるものではないですがしゃぶしゃぶにはうどんですね。〆のうどんは味覇にきざみ長ネギとコショウをおわんに入れてそこにしゃぶしゃぶの出しの出たスープを入れます。もちろんうどんはしゃぶしゃぶの残りの湯でゆでます。
かなりおいしくてうどんが進みます。
「デフレではないがデフレ脱却でもない」日本経済。
政府月例報告で「デフレ」という言葉(表現)を削除したという。しかしデフレ脱却を意味することではないと。
これはどういうことかといえば経済が順調に回復しているということではなくてアベノミクス事態にデフレの危機が内在していると見たほうがよいのでしょう。
デフレという表現を削除したのも消費者物価が上昇していることを見ての判断です。しかしこのデフレを物価からしか見ない皮相的な見方でしかなく、デフレの原因を見ないから悪性の物価高でもデフレからの脱却となる。この悪性の物価高こそがデフレ圧力を内在しているのです。
このデフレ圧力を回避するために政府は政労使の会議を開き合意文書を作成して『「経済の好転を企業収益の拡大につなげ、それを賃金上昇につなげていくことが必要」と強調した』という。
そして日銀は追加緩和を続けざるを得なくなっておりアメリカが緩和の縮小に向かう中日本はその出口が見えない状況にある。
しかし「経済の好転を企業収益の拡大につなげ」というが日本は双子の赤字化または三つ子の赤字化に向かっている。円安と消費増税は個人消費にかげりをきたし、何よりもアベノミクス自体が最近では中間層への負担増を加え始めて社会保障は後退をさせ、今日も高速道の割引の廃止のニュースもあったが社会サービスの値上げ、公共料金の値上げが加わる。企業も利益拡大のための『賃金コスト論』廃止きれないでしょう。
このような状況の中での『デフレ』削除は政権の国民に対する欺瞞となりかねない。
【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2015年】
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
日米同盟が狙うのは中国の孤立化であるかないかは今のところ判断はできない。経済戦争は同盟内にも起きる。
個々の国々の対立は対立だけではなく強調にある。対立のためには協調が必要であるといってもよいだろう。
しかしこのような混沌とした世界がどこに向かうか、集約されていくのかは歴史の法則に沿って行くだろう。法則は偶然により貫徹される。超保守とも思われる安倍総理がロシアとの関係において今回の会談のように、ロシアから見れば日本の歴史手変化に向かう。これは偶然であると同時にその偶然がロシアとの平和条約という必然に向かったのである。
世界全体の歴史の法則性からどこに向かっているのか?
それは衰退するアメリカ後の世界の模索が始まっているということである。
ヨーロッパは内部に混沌さがありながらもその維持を図っていくでしょう。中国やロシアもアメリカ語を考えている。途上国のアメリカ離れも進むでしょう。
その中において日本も例外ではない。
日本の改憲勢力もアメリカ後を考えているでしょう。
日本は北方領土の解決をロシアとの良好な解決に求めた。これはそうならざるを得ないから安倍総理はそこに向かったのである。これと同じように尖閣諸島や竹島問題もその解決はロシアとの交渉と同じように進まざるを得ないでしょう。
尖閣諸島の地下資源や水産資源の共同開発。竹島の日韓親善の島化など、そのような解決しかないのである。
そうしないとアメリカ後における日本は孤立をするでしょう。
日本は戦後の秩序の中で改憲は絶対にしてはならない。
アンリかごの経済圏としては、極東アジアの力が大きくなるでしょう。
そこには日本・中国・ロシア。朝鮮半島がある。そこにASEANが統合していくでしょう。
これが日本の発展の条件である。
アメリカの軍事行動には限界が来ている。それは経済問題である。
世界の憲兵はもう世界に必要ないのである。
アメリカ後を考えた場合どうしても欠かせないのが平和主義である。
ロシア・中国・韓国との領土問題そして北朝鮮問題の平和的解決が世界の平和主義の見本となるでしょう。その意味においても極東が世界の中心となる。
【2017年】ツイッターつぶやき
今年の夏植えた元気のなかったインパチェンスを鉢植えにして窓際の暖かいところに置いています。
夏の間につけていた葉っぱや花は落ちて新芽が伸びています。10日に一つぐらい小さな花も咲きます。
最近の東京の寒さにもだいじょうぶなようなので春まで元気に育ってほしいです。
今年の夏は元気がなかった分来年の春から夏にかけて元気に花を咲かせてくれると嬉しいです。
去年は冬の間ヒャクニチソウの芽を室内で育てていたら、5月ぐらいまで元気に育ち外に植えたらたくさんの花を咲かせました。
冬の間一輪づつでもいいから花を楽しめるのはうれしいです。
インパチェンスがあと2,3日中には花を咲かせると思います。
新幹線に台車の亀裂が見つかったという。写真を見ると大きな亀裂ですね。
そのまま走り続ければ大事故につながったという事で重大インシデントにされた。
新幹線も安全神話というものがあるが、この神話は福島原発の事故での安全神話と同じ性質のものではないかと思う。
福島原発事故では津波が予測されていたし非常電源の問題も出ていた。
新幹線の台車亀裂では止めることをせずに走り続けさせた。
このような企業体質が日本には存在をしている。
今年は企業の不祥事が続いたが、これもまた企業体質でしょう。
過労死問題をはじめ、ブラック企業というものが表面化をしてそれも巨大企業にも及ぶようになっている。今年の流行語大賞に選ばれても不思議ではないと思ったが、さすがにこのような流行語はまずいという事でしょうか。
日銀の独立性は失われ、銀行の収益は圧迫されてリストラ騒ぎ。
政治と政治家の劣化もそして官僚の劣化も見られる。違法性の高い天下りがまだ完了の中に残っており、忖度は官僚の資質のようなものと見えるようになってきた。政治家とカネは政務活動費も含めて首相への疑惑にまで広がっている。
日本経済は国際的な景気の回復により持ち直されはじめているという。安倍内閣も豹変をして中国の一帯一路にすがるようになってきた。中国との競争に敗れたとは言わないが中国への依拠は確実でしょう。
政治面ではアメリカへの従属がはっきり見えてきた。沖縄の基地や地位協定の問題に対して日本は何もできず、日米同盟では完全に戦争を拒否できなくなるまでにアメリカへの追随を許した。
この国や企業の体質を見ると、いよいよ日本はデフレ不況に陥ったと見たほうがいいでしょう。
物価が下がり続けるという意味でのデフレだけではなくて、そのデフレをインフレに向けようとするバカげた経済対策によりデフレだけではないデフレ不況に落ち込んだという事です。
だからこそ企業はブラック化もいとわずに先の見えない目先の利益に走り、政府は社会保障の切り下げと増税に走り始めた。
これが現在の日本という国の体質になってしまった。体質改善は行えない決められる政治がある。
この国家の体質の中で国民の意識や心も大きな変化が出ている。
ヘイトというものが言論の自由だというような論理も出ていた。ヘイトでも、バカ、死ねでも言論の自由というおかしな減少と裏腹にものが言えない状態もつくられた。企業も国も力により社会を動かすことが正当化された。国民もヘイトやバカ死ねという力で社会が動かされるようになった。
沖縄でのヘリコプターからの窓枠落下にしても、そんなところに学校があるのが悪いというような論法が大手を振って語られる。
この現在の国の体質を正当化させるのが改憲でしょう。
【2018年】ツイッターつぶやき
昨日は妻と東京都美術館で行われている
「ムンク展ー共鳴する魂の叫び」を観に行きました。うん、鑑賞というほど絵には疎い僕ですから「観に行った」というよりも「叫び」を「見に行った」という程度です。
時々有名な絵が来ると妻と見に行っています。
ムンクの若いころの
自画像を見ると端正な顔立ちであの「叫び」を書いた人?と一瞬戸惑いました。写真も多く映していて。今でいう自撮りをしたものがたくさん残っているそうです。写真も素敵な青年です。
19歳から若いころは自画像を多く書き家族の肖像も残しています。お父さんが今?で新聞のようなものに目を通した絵は家族の暖かさを案じます。
このような絵からなぜ「叫び」のような絵が生まれてくるのか?
ムンク展ではこの辺の変化がムンクの生活を通して見えてくるのではないかと思いました。
少年のころに母親を亡くし姉を亡くす。たしか妹も若い時に亡くなっていたか。
ムンクと死は切り離して考えることはできないようです。
家族の暖かさを感じる肖像画が死というものが忍び込むことにより暗い絵となっていきます。臨終の絵では死神のような顔が出てきて、壁には霊のような顔が浮かび上がる。
「叫び」というタイトルの由来を
「ムンク自身は「自然をつらぬく叫びを聞いた」と語っています」(
朝日新聞)
「自然を貫く叫び」これの大きな存在が死でしょう。雲は血です。
ムンクの心にもう一つ影を落とした「自然の叫び」が愛と性でしょう。一人の女性との出会いと苦悩そして別れ。嫉妬や妄想などが渦巻く世界。
ムンクは酒浸りの生活になったそうです。
そこからムンクの絵も幻想的な象徴的なものになったのではないかと思います。
立ち直ったムンクは身近な人の肖像画を描く。自画像も書きますが晩年の部屋にたたずむムンクは先に書いた父親の肖像に近いものがあります。
ムンク展はムンクだけの絵を展示してあります。見ごたえがありますよ。絵のわからない僕でも楽しめました。
ムンクは多くの文章を残しているそうですが、絵について残した言葉を集めた本を買ってきました。
第三水曜日は65歳以上のシルバーは無料です。多くの年配者が見に来ていました。
【2019年】ツイッターつぶやき
静かに陽が昇る
冷たい太陽
僕は窓の空を見る
四角い空は輝き
高く薄い雲は漂う
四角い空を電線が切り
電線は北風に震える
木立の小枝は空に向かい
静かに北風に揺れる
北風は南に向う。。。
僕は吸い寄せられるように
窓を開けベランダに出た
四角い空は大きく広がり
行く雲はゆっくりと流れる
心は行く雲。。。
北風が僕を包み渦となる
渦は広がり僕の翼となった
北風の翼は
冷たい空気を切って舞いあがる
北風は南に向う。。。
心は行く雲。。。
(何の記事も思いつかないので昔のホームページから。)
【2020年】ツイッターつぶやき
コロナ下の経済を考える場合、その経済の根本となるのは、医療や生活に必要なインフラをどのように守るかにあると思います。ここが守れなかったら社会活動そのものが成り立ちませんから経済も破綻をします。
コロナからこの基本的なインフラなどを守るにはGo Toのような経済活動は税金のバラマキでの効果は一時的にあるでしょうが、結果は現在の様に感染拡大が起きてまた飲食や旅行業などは成り立たなくなります。そしてその感染拡大は社会のインフラや医療を支える労働者にも広がる危険性を帯びています。
かといって社会インフラを守るだけでは経済は成り立たないことも事実です。
Go Toのような感染拡大を起こしながらの税金のバラマキが間違いならどのような方法があるのか?
その一つが人の移動による密集を少なくするために分散が必要です。
一番よい例が日本では年休を自由に取得できない代わりに連休が多いですね。するとその中でGo Toなどを行えば必ず連休中に人が密集します。連休に仕事が休みになっても遊びで人が密集してしまう。この人の密をなくすには分散が必要でしょう。
日本の労働者は休暇が10日から20日ありますがそれを消化できずに連休で楽しむ。これを連休をなくして休暇を25日か35日にして完全消化をすることによって旅行なども人の移動や密が分散されるでしょう。もちろん夏のバカンスや年末年始はなくすことができませんが、それをどうにか分散をさせる必要があります。夏休みなら7月から8月に分散をして休暇を取得するようなシステムが必要です。
また土日の人の密集もありますが、役所や銀行そして企業は何も一斉に土日に休まなくてもいいんです。むしろ年中無休にした方が社会は効率的になります。シフト制などにより出社の人数をお抑えながら分散することが必要です。
学校も少人数教育が進むでしょう。
無理でしょうか?
でも、社会インフラを守る企業はすでにこういう分散した働き化をしているのです。
人の分散が行えれば繁華街の人でも分散されるでしょうし、通勤電車の混雑も少しはよくなるでしょう。観光地も宿泊施設も。
これぐらい行う準備がないと社会は疲弊していくでしょう。
【2021年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターからです。
煙草税の実態
同じように高い税率であるビールに比べてもかなり高い税率で、ウイスキーと比べれば2倍以上の税率です
この高い税金に対しても消費税が加算される
580円の煙草の内357円が税金です。そこに消費税が加わり約400円の税
これを利用しているのが禁煙運動
いしだ壱成さんの困窮生活と離婚が報道されましたが、その中で
困窮生活でのたばこ代3万円が問題視されています。
しかしたばこ代が問題だとみてしまいますが、本来のたばこ代は3万円の中の40%弱でしょう。60%以上が税金でそこに10%の消費税。
批判としては生活が困窮しているならタバコを吸うなに近いものがあります。ここが禁煙を貧困層から進めようという意図があるのです。
しかし働いているサラリーマンの平均的なお小遣いから見れ3万円のたばこ代の負担はどうでしょう?貧困がどうのという問題ではないでしょう。
禁煙運動は高い税率を利用して禁煙を進めています。タバコを吸わない方は別に問題にもならないのでしょうが、タバコに比べれば税率は少しは低いとしても非喫煙者でもビールを2本飲めばたばこ1箱以上の消費となりその税額はかなりの負担です。貧乏人はビールを飲むなとなります。
非喫煙者から見れば喫煙者は高い税金を取られて馬鹿ではないかと見えるでしょうが、同じ嗜好品でもビールを飲めば喫煙者と同じ立場です。
喫煙者を馬鹿にしている場合ではないですね。
金がないなら嗜好品であるタバコもビールもやめろと言うに等しい社会。
【2022年】ツイッターつぶやき
日銀は長期金利の許容変動幅をプラスマイナス
5%0.5%にした。これは利上げではなく出口に向かうことではないとした。
しかしすぐに長期金利は0.46%に上昇をし、132円と円高にもなった。そして株価は一時900円下がった。
利上げではないとするが実質的には利上げとなったのでしょう。
日銀は利上げではないからこれからも物価目標2%に向けて金融緩和は続けるという。
経済の好循環からのインフレを目標とするが、実質的な長期金利利上げ5%は引き締め効果をもたらす。互いに矛盾し合ったものが混とんとしはじめる。
日銀が出口に向かうには経済が低調なので向かうことはできない。しかし円安が続く中でさらに経済の足を引っ張る。そこで利上げが必要となるが金利を上げることもできない。
ズルズルと長期金利の許容変動幅という言葉で利上げ傾向が続く。
もともと経済は低調なのですからデフレ圧力は高まるでしょう。