夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「12月17日という日」

2023年12月17日 08時07分03秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2023年】ツイッターつぶやき
「どうする家康」が終わりましたね。
今の言葉で言えば、戦争のない国がつくられました。
戦争で日本が統一国家に。
今の時代も武力により世界的な地位を得ようとしています。
アメリカのウクライナやイスラエル支援も同じです。
こうした戦争による平和という思想は危険ですね。
どうする家康も同じ思想で見れば危険です。
封建制社会と今の時代を同じレベルで見たらだめです。
家康に学ぶとして戦争をはじめたらおしまいです。
封建制時代は人間の思想や社会は遅れていました。
勿論貴族社会を倒したのは進歩ですから家康の行ったことは偉大です。
これと戦争での平和を一緒にしては間違いです。
江戸幕府も武力によって倒れました。慶喜は将軍としての最後は日本を救いましたが。

≪過去の記事≫

【2003年】
寒いです。。。。
さすがにコタツひとつでは厳しい。。。。
公園の木々も葉を落としきって裸になってしまいました。公園を管理する職人さんたちが枯葉をたくさん集めてトラックに乗せていました。なんだかその姿に見入ってしまいました。

【2004年】
ホームページトップの「ちんまりと」に「テーブルから1メートル30センチ・・・・・」を書いたが、ほんとにテーブルからずっと離れて通路の真ん中に椅子に座る女がいた。僕がトイレに行こうとしたらじゃまで仕方ない。なんか不思議な人がいるものです。腕や首が伸びたというのは「うそばなし」ですが。。。。
木枯らしか・・・・寒い風が吹いています。
昨夜遅く帰宅したのですが、ふたご座流星群がまだ見れるかと空を見上げました。残念ながら流れ星は見えなかったのですが、星がたくさん見えました。なぜ冬の星はあんなに瞬くのだろ?

【2005年】
ひと月ぶりにぶらっと出かけました。
今年最後のぶらり旅をどこにしようかと迷ったのですが、神奈川県伊勢原市の山の中にある日向薬師と大山阿夫利神社の行きました。
日向薬師は奈良時代創建、阿夫利神社はなんと紀元前の崇神天皇の時代創建だそうで、由緒あるお寺や神社です。仏教は7世紀の頃に日本にやってきたものだそうですが、神社の歴史は日本古来からあったものでしょうから遅くても弥生時代頃にまでさかのぼるのではないかと思います。歴史学では、崇神天皇は実在した天皇のはじめではないかといわれ、5世紀の古墳時代ともいわれています。この伊勢原という土地は古代から栄えていたものなのでしょう。
東名高速の厚木インターで降り、山道に入っていきました。
ほんとはバス通りを走る予定だったのですが、カーナビは近回りを選んだようで、市内からすぐにはずれて山道に入ってしまいました。民家があるにはあるがほとんど車がすれ違えないような道で、その道はだんだんと山の中に入ります。ほんと、心細くなりました。1時間ほどで日向薬師に着きましたが、どうも山をぐるっと廻るようにしてたどり着いたようです。
日向薬師は山に囲まれたお寺でした。
木々には枯れた葉がたくさんまだついていたのですが、風が吹くたびにかさかさと鳴りながら落ちてきました。そんな木々に囲まれてかやぶきの屋根の本堂がありました。境内は深閑としてやはりかさかさと落ちる枯葉の音だけがひびいていました。残念ながら宝物間は閉まっていて見ることができませんでした。重要文化財の仏像があるのですが。。。本尊の薬師如来は、正月や4月にご開帳されるようです。
        枯れ木の葉 降らせし風に 薬師堂
日向薬師から大山阿夫利神社に向いました。
カーナビはまたしても林道を案内します。
しばらく走ったら、「この先許可者以外通行禁止」
バックでしばらく戻り、民家のある里に下りてからまた登りました。亜夫利神社は、下社までケーブルカーで登ります。上社は大山の頂上です。ハイキングの格好でないと上社まではいけないので下社だけをお参りしようと思いケーブルカーの駅に向いました。しかしケーブルカーに乗るにも長い階段を登らなくてはなりません。階段の両脇は土産物屋さんになっていました。なんとなく金毘羅さんの規模を小さくしたような雰囲気でした。
さて階段を登りケーブルカーに乗ったら、娘が気持ちが悪いと寝転がってしまいました。下社まで行ったのはいいですが、結局はお参りもできずそのまま下山。
娘が動けないというので階段をおんぶして下りようと思ったけど10段も下りないないうちに息が切れ足腰が砕けてしまった。ジム通いの効果がない。。。もう娘も重くなってるからなぁ。。。
どうにか下の駐車場まで降りて車に乗り込みかえりました。
どうも娘は気圧の変化などでの貧血だったようです。
今年最後のぶらり旅。。。。
娘をおんぶするとは思わなかったです。娘も恥ずかしかったろうに。。。それだけ気分が悪かったのでしょう。

やはりタバコ1本1円の増税になるらしい。
その税収を児童手当拡充にあてるという。
そもそも20本入りのタバコ1箱270円の中にどれだけの税金が含まれているのか?
国タバコ税。。。。。。 62.52円
タバコ特別税。。。。。16.40円
県タバコ税。。。。。。 19.38円
市町村タバコ税。。。 59.54円
消費税等。。。。。。。 12.85円
    計   。。。。170.69円
(茨城県税務課タバコ税)平成15年度
ううう。。。。
1本1円の増税がどこの税収になるかわからないが、1箱290円になり、190.69円の税金を払うことになるのか?
それでは国全体四方自治体全体ではどのぐらいの税収になっているのか?
タバコ税(国税)。。。。。。9032億円
タバコ特別税(国税)。。。2411億円
道府県。。。。。。。。。。。 2778億円
市町村。。。。。。。。。。。 8538億円
      計。。。。。。。 11316億円
(総務省か?)平成15年度
ううう。。。
タバコ特別税は、たぶん国鉄債務を減らすためのものだと思うが、今回の児童手当に当てるというものも、タバコ税の目的税化である。
タバコ税だから世間に迷惑をかけているんだから上げてもよいだろうという短絡的な考えをしていたら、今うわさされる消費税の目的税化がすんなりと通ってしまうだろう。消費税を上げる代わりにほんの少しの%は福祉目的税にするとか。

【2006年】
いろいろとノロウイルスのニュースが出てきています。
よく聞いていると、2,3日で腹痛(下痢)と吐き気は消えるとあります。この前の下痢と吐き気はやはりノロウイルスだったのかもしれません。
命を落としたり重症にはならないようなので安心ですが、今年はすごい勢いで感染が広がっているようです。
ウイルスの恐怖は以前から言われていましたが、ノロウイルスもいつ怖いウイルスに変化するかもしれませんね。
そういえば、蛇口につけている浄水器のフィルターの交換時期なので交換したのですが、水の出る部分を見てドキッとしました。黒いカビのようなものがびっしりつついていました。。。この状態の水を使っていてノロウイルス程度の下痢ですんだことは不幸中の幸いかもしれません。
水の出る部分は、日常使っていても目に入らないところですから気をつけなければなりません。

【2007年】
昨夜はごろっとコタツの中で寝てしまった。。。。
アロエの花が咲きそうです。
今頃の季節に咲くのでしょうか?
暖かい部屋の中へ入れたほうがいいのかと迷っています。
今、ちょっと調べたら(いつもお世話になっている季節の花300というサイト)、花は今がシーズンだそうです。鉢植えのアロエは咲きにくいそうですが、我が家の鉢植えに花が咲くというのはラッキーかもしれません。
ずっと花など咲かなかったのですが、今年初めての花です。毎年咲くようになるかな。。。
いよいよ忙しい週に入りました。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
(5)で見た
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
というひとつの産業内のこの3社を別の角度から見ることにする。
A社は、不変資本(設備や原材料など)と可変資本(労働力を買うための賃金)に投資をして生産を行うわけですが、100人あたりという労働力が5万個という商品量に価値移転させる不変資本量は少ない。一方C社は同じ100人あたりの労働力が15万個の商品を生産するために不変資本量は多くなる。すると100人あたりの労働力への賃金である可変資本量は同じでも不変資本量は大きな違いを見せる。同じ可変資本量に対して不変資本量が大きくなる割合として資本の有機的な組成が高くなるわけですが、これは企業活動から見ると一つの生産拡大となります。
また、C社は圧倒的にその商品価値を安く生産できるわけですから(5)で診たように平均的な市場での価値(価格)で商品を売らなくても値下げをして市場での独占化を行うことができます。独占化はより多く生産された商品を売りさばくことにも有効なわけですから、商品を値引きしたとしてもそれは利潤の拡大となります。この独占化傾向は、C社がもう一つ同じような工場をつくる動機ともなります。ここに生産拡大というものが強くなります。
(5)でも書いたようにAB両社もこれに追いつけ追い越せと生産性を上げながら生産拡大を行います。
商品がより多く生産される拡大再生産されるというものは資本主義経済法則の一つの現れです。
ちなみにこの生産拡大によるより多く市場に出された商品価値(価格)はどうなるかというと、100人あたりの生産性の拡大の中では、その生産拡大は不変資本量の増加という形で現れることを上に書きましたし、C社がもう一つ工場を作り新たな100人という労働力を増やしたとしても100人あたりというものには変わりはなく資本の有機的な組成は変化しません。労働の過程の中により多くの不変資本が新たな商品に価値移転(機械の減価償却や原材料の消費など)されるわけですが、この不変資本は価値移転されるだけであり新たな価値を生み出すものではありません。新たな価値を生み出すのは、不変資本を商品という形に価値移転させる過程においての労働力量にほかなりません。ですから商品の価値は、不変資本量がどのくらい価値移転されたかというものにプラスされて労働過程でどのくらいの労働力量が消費されたかにあり、新たな価値創造として残るのは労働力の消費という形での価値の増加という商品価値となります。
C社が以前はB社と同じ生産性にあり、生産性の工場により現在の生産性に高まったと過程をしてみると、以前は100人の労働力量で10万個の商品を生産していたのですが、今は15万個になった。しかし商品に新たな価値としてプラスされたのは同じ100人の労働力なわけですから、以前の10万個の商品価値と現在の15万個の商品価値は同じとなります。これを一つあたりの商品価値としてみると、一つあたりの商品価値は以前より価値を減らしたということになり、市場における商品価値はsがっていく傾向を示します。価値どおりに売られれば商品は相当安くなります。
この商品の価値の低下による低価格化葉もまた資本主義的生産の法則性となります。これで資本主義の市場においての商品の低価格化と商品量の爆発的な生産拡大が資本主義的経済法則の必然であり法則性だということがいえると思います。
ではこの資本主義的生産がどのような帰結をもたらすのかということになります。

詩人銀色夏生さんが今年作ったレーベルsummer born recordsから発売になった山元バンド「ハイネ//神聖な思い」を買いました。
作詞作曲は銀色夏生さんです。
歌は銀色夏生さんのお嬢さんKーK(本では「かーか」)。
プロではない素朴な可憐な歌声が印象的でした。
静かなメロディーが流れるように続きます。
初めて聴いてこの詩とメロディーが流れるなんとなく懐かしいような世界は何だろ?と考えていたら、昔よく聴いていたインド音楽。素朴な楽器が流れるように音をかなで歌は語るように続く。これとよく似た作品ではないかな?と。大昔語り部がいて叙事詩を歌うように伝えた語り物。
詩人が書く歌詞ではない詩を一つのメロディが単純に流れる。。。。現代の語り部というのか語り物なのかもしれません。
詩はまたゆっくりと読みたいと思います。そしてまたCDを聴くといっそう何かが心に問いかけるものがはっきりするかもしれません。

一昨日の「自然水中水準(2)」では賃金高や雇用者数との関係から利潤率への影響が語られているといった中身について書きましたが、利潤率は労働力を買う場合にもその価値によって買うわけですから他の原材料を買うのと同じで利潤を得るには価値通りの値段で買ってそれを消費して商品をつくる中で得られるものです。今は労働力も買いたたかれて安く雇用売ることが企業の利益だといった謝ったものがはびこるようになってしまいました。しかし利潤率の一定化と商品価値(市場での価格)は下がるのが法則だといった視点で考えるべきかと思います。
以下、以前書いたものの再録ですが、長いのであくまでも自分自身のおさらいとしてこちらに乗せます。(まとまらずにわかりにくいです。自分でイライラする(笑))

「労働の生産性の向上は商品の価格を下げる。社会的合理性は賃金を下げる。
これはデフレと勘違いをされますが、社会的な経済政策の変更によっては社会の発展となるわけです。
そこにはもう少しなぜ商品価格は下がる傾向になるのか、賃金はなぜ下がる傾向になるのかを見なくてはならない。 」
と書きました。
ある商品を生産するには生産手段と労働力が結びつかねばなりません。企業は生産手段と労働力を買うわけですが、それは生産手段を買うための不変資本と労働力を買うための可変資本を投資します。ここでは生産手段も労働力もその価値どうりに支払われます。
労働の生産性が高まるというのは、より少ない労働力でより多くの商品を生産することにあります。そのために機械化は進み生産システムは合理化されます。例えば、ある企業が今までは1000人の労働力を使って年間10万個の商品を作っていたとします。この中で生産性が高まり、極端な数字ですが、年間20万個の商品を生産できるようになったとします。すると可変し本領資本量は変化しませんが不変資本は新たな工場や機械を導入したり原材料も2倍になるわけですから可変資本に対して不変資本は大きくなります。または市場を見て20万個の商品は過剰という見通しを立て今までのように10万個の商品を生産するとなると必要な労働力は500人と半減をします。
ここで何がおきるかといえばこのような労働の生産性の向上は不変資本に対する可変資本量の変化として現れます。この変化は生産のための不変資本と可変資本の有機的組成を変化させます。
この企業は市場に倍の20万個の商品を出すか、同じ10万個の商品を出して500人首を切るかを選択するわけです。
このような中で何がおきるかといえば、上の企業と同じ商品を生産する産業があるわけですが、その産業全体で同じことが行われるわけですから、市場にはあふれるような商品が投げ出されるか、その産業内においての労働力の削減が行われるわけです。商品の過剰生産か失業が不可避的になります。そしてこの生産性の向上は、国内、現在では全世界において行われ、資本主義生産は過剰生産と失業という矛盾を引き起こさざるを得ません。
次はこの矛盾を引き起こす原動力となるものが何かをみなければなりません。
労働の生産性は同じ労働力量に対してより多くの商品を生産し時には過剰生産というものも生み出し、もしくは労働の生産性が高まる中でその商品量を同じにしたとするならばそこに必要な労働力量は過剰になり時には失業を生み出すと書きました。
もちろん市場における好景気時はその商品の消費量は個人消費という形でより多く消費をされ同時に設備投資という中での消費も盛んになります。しかしこの好景気にも個人消費には限度があり、設備投資をされた不変資本は最終的には大衆消費財として個人消費のための商品に価値移転されるわけですからこの設備投資という消費も限界になる。やはりこの帰結の中に過剰生産と失業はすでに内包しているわけです。
常に過剰生産傾向と失業傾向は生産性の向上の中において必然性を含んでいます。
このように一つの矛盾を引き起こす生産性の向上がなぜ急速にすすむのでしょうか?
よく言われるのは生産性の向上はあたらいい商品をよりやすく生産をして国民生活を豊かにすることが目的であり、だからこそ人々は生産性の向上に取り組んでいくのだと。しかしこれは動機と結果が逆転した結果論にほかなりません。労働自体は生活を豊かにすることは間違いはないので、人々が労働することからこそ国民は豊かになるわけです。ここでは新しい機能性に優れた商品を生み出すといったようなことは、何も生産性の向上に関係なく生まれていきます。ただ安い商品を作り出すことが動機なわけです。これが動機ですから安い商品を市場に流通させることが生産性向上の原動力なわけです。目的なわけです。この目的と結果は一致するとは限りません。国民生活を豊かにするというものは直接の目的ではないからある場合にはこれが結果として出てくることは限らないのです。ここに過剰生産と失業という結果が同時に出てくるし、労働の生産性の向上が一つの矛盾として現れます。
生産性の向上というその動機と目的は商品価値を下げるということです。そしてそれは競争に支配されいます。この競争はより多くの利潤獲得と生き残りの競争です。これが生産性を急速に推し進める原動力です。
より多くの利潤の獲得といった場合、市場の中で見えやすいという点では、ある商品の中である企業が作る商品の性能や機能性そしてデザインなどといったもので売り上げに変化がおきます。しかしこれらの付加価値はその商品の使用価値の高まりによるもので価値自体が高くなったわけではない。同じ労働力を消費した商品は使用価値を高めることはあっても価値は高めない。今年爆発的な売り上げをした自動車は、他の企業が同じものを売り出すと価格が下がった。価格が下がったというのは、価値が下がったというのではなくて使用価値が特別なものであったがそれが特別なものでなくなったからの価格下落で、その自動車の価格が価値に近づいたということです。自動車産業全体の同じグレードの車はその価値によって価格が決まるというのが基本で、長い市場の流れの中に価値は基本的なものであることは経験としても見ることができるでしょう。
商品はどのぐらいの労働力量を消費したかでその価値は決まる。そして労働力を消費している過程である労働が商品という形を形成したり他にはない上のような付加価値もつける中に使用価値を形付けるという労働価値説から商品をよりやすく生産をし、利潤を高めるという中の競走を見なくてはいけない。

ある商品をつくる産業内にABCという3社があったとする。この3社は生産性の違いがある。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
少し極端な数字ですがその生産性の違いをわかりやすくしておきます。
上の生産性は労働力を「100人あたり」としての比率であり、3社にはとうぜん生産規模は異なります。また、商品のデザインなどという使用価値はここでは考えずにその商品の価値はどのくらいの労働力を必要としたかの労働価値説としてその生産性を考えます。そしてその労働力は価値どおりに買われ賃金として支払われ3社共に同じ額とします。
この3社で生産された商品が市場に出ます。
一つひとつの商品の価値は市場価格として現れます。当然にA社の商品は市場において高くなり、C社の商品は安くなります。B社の商品が平均的な価格となります。各社の生産規模の違いなどもあり市場の中での商品量の中で市場価格がB社が生産した商品の価格に一致したと過程をします。それを仮に10万個の商品の価格を100億円とします。
するとどういうことがおきるかといえば、100人あたりの労働力としては、A社は同じ労働力を使ったにもかかわらず5万個の商品50億円の売り上げしかありません。それに比べてC社は15万個150億円の売り上げが出るわけです。同じ労働力量を使ってもその売り上げに大きな差が出ます。平均的なB社は10万個の商品で100億円の売り上げがありますが、この平均的なB社を基準に見ると、A社は生産性が極端に低く、C社はそうとう高い生産性となります。
各社の商品の価値は市場の中で平均的な価値に落ち着きそのある商品の価値を決定する。するとA社の利潤は低く、C社の利潤は高くなり、B社が平均的となります。しかしここで注意をしなくてはいけないのは、生産性が低いとはいえA社はけっして「赤字」ではない。ただ会社としての利潤が低いだけであり、労働者には何の責任もないし賃下げ理由にはならないことは後の議論には必要となります。
同じ労働力を消費しながらも市場においての利潤が異なる。一つひとつの商品価値は、C社は低いにもかかわらず平均的なB社と市場では同じ価格として売れる。この平均的な価値と本来の価値との差額を特別な剰余価値としてC社は手に入れるわけです。
この中においてA社はもちろんB社もC社と同じ生産性に高めようとします。C社は今以上に生産性を高めようとします。利潤追求のために。。。。
これが資本主義的競争なわけであり、商品をより安く大量に生産していくという原動力なわけです。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
というひとつの産業内のこの3社を別の角度から見ることにする。
A社は、不変資本(設備や原材料など)と可変資本(労働力を買うための賃金)に投資をして生産を行うわけですが、100人あたりという労働力が5万個という商品量に価値移転させる不変資本量は少ない。一方C社は同じ100人あたりの労働力が15万個の商品を生産するために不変資本量は多くなる。すると100人あたりの労働力への賃金である可変資本量は同じでも不変資本量は大きな違いを見せる。同じ可変資本量に対して不変資本量が大きくなる割合として資本の有機的な組成が高くなるわけですが、これは企業活動から見ると一つの生産拡大となります。
また、C社は圧倒的にその商品価値を安く生産できるわけですから(5)で診たように平均的な市場での価値(価格)で商品を売らなくても値下げをして市場での独占化を行うことができます。独占化はより多く生産された商品を売りさばくことにも有効なわけですから、商品を値引きしたとしてもそれは利潤の拡大となります。この独占化傾向は、C社がもう一つ同じような工場をつくる動機ともなります。ここに生産拡大というものが強くなります。
(5)でも書いたようにAB両社もこれに追いつけ追い越せと生産性を上げながら生産拡大を行います。
商品がより多く生産される拡大再生産されるというものは資本主義経済法則の一つの現れです。
ちなみにこの生産拡大によるより多く市場に出された商品価値(価格)はどうなるかというと、100人あたりの生産性の拡大の中では、その生産拡大は不変資本量の増加という形で現れることを上に書きましたし、C社がもう一つ工場を作り新たな100人という労働力を増やしたとしても100人あたりというものには変わりはなく資本の有機的な組成は変化しません。労働の過程の中により多くの不変資本が新たな商品に価値移転(機械の減価償却や原材料の消費など)されるわけですが、この不変資本は価値移転されるだけであり新たな価値を生み出すものではありません。新たな価値を生み出すのは、不変資本を商品という形に価値移転させる過程においての労働力量にほかなりません。ですから商品の価値は、不変資本量がどのくらい価値移転されたかというものにプラスされて労働過程でどのくらいの労働力量が消費されたかにあり、新たな価値創造として残るのは労働力の消費という形での価値の増加という商品価値となります。
C社が以前はB社と同じ生産性にあり、生産性の工場により現在の生産性に高まったと過程をしてみると、以前は100人の労働力量で10万個の商品を生産していたのですが、今は15万個になった。しかし商品に新たな価値としてプラスされたのは同じ100人の労働力なわけですから、以前の10万個の商品価値と現在の15万個の商品価値は同じとなります。これを一つあたりの商品価値としてみると、一つあたりの商品価値は以前より価値を減らしたということになり、市場における商品価値はsがっていく傾向を示します。価値どおりに売られれば商品は相当安くなります。
この商品の価値の低下による低価格化葉もまた資本主義的生産の法則性となります。これで資本主義の市場においての商品の低価格化と商品量の爆発的な生産拡大が資本主義的経済法則の必然であり法則性だということがいえると思います。
ではこの資本主義的生産がどのような帰結をもたらすのかということになります。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
(6)でも触れましたが、この労働の生産性の違いから生じる商品の市場価格がその価値からはなれて平均の価格形成としての特別な剰余価値を与える中での各社の利潤率はC社が一番高くA社が一番低くなる事を見ました。そしてここに資本主義的競争の原動力がある事を見ました。
この中でA社はもちろんB者もその生産性を向上させようとします。そしてC社と並ぶ生産性を得たと仮定します(C社の生産性は現在のある限界内にあり停滞するとします)。するとこのある商品を生産する産業内には平均な利潤が確定します。各社はそれぞれ100人当たり15万個の商品を生産することができるのですから、この産業をX産業とすれば
X産業は100人あたりの生産性は45万個
となります。
仮に10年前のX産業の生産性は低くてA社並みだったとすれば、X産業はこの10年で同じ労働力量(100人あたり)での商品の生産数が15万個から45万個の増加したこととなります。10年前と現在でも不変資本量と可変し本領の投資される資本は同じとすれば、それを分母として商品の総(100人あたりの労働力に対してですが)売上を分子にした場合、ある利潤率が決まります(追記:分子分母反対だったかな?)。しかしこの生産性の違いにより何が異なるかといえば、生産された商品量にあります。ある一定の利潤を得るには、10年前は15万個生産をしていたが今では45万個を生産している。そうすると商品1個あたりを見るとその価格は3分の1になります。X産業では同じ利潤を得るのにより多くの商品を市場に出さねばならなくなったということです。
同時に特別な剰余価値を得られなくなっているわけですから市場価格は価値に一致してきます。
資本主義生産とその資本主義的競争がもたらす一つの帰結は、市場における商品量の増加と一つあたりの商品の価格は価値に一致をして低下するということです。
これは資本主義生産の無政府性として現れざるを得ません。
X産業では、より多くの利潤を求めようとすれば工場の新設や市場の独占化のために各社の潰しあいに頼らざるを得なくなります。これがまた資本主義競争として行われるようになります。そしてまたこの工場の新設の競争がさらに市場に送る商品量の増加とも結びつくことが起こります。しかしここでは先にも書いたように特別な剰余価値を得られなくなっていますから、企業の利潤率は上がりません。生産性の向上のない中に工場の新設だけでは利潤額は上がるが利潤率は高まらない。ここに企業あるいはX産業そのものにまず停滞感が現れます。
一方商品量は市場の中により多く出されるわけですしその商品量は無政府性の中にあり一度過剰感が出てくると各社の中では値下げ競争もはじまります。値下げといっても赤字になるわけではないが、利潤低下であると同時に剰余価値率の低下として現れ始めて企業の停滞感はさらに深まります。
その産業では株価が下落をして資金が他の産業に流れていくでしょう。今資本をより吸収する産業の育成とか言われていますが、それはこのことからはじまる一つの帰結菜わけです。
しかし以上のような現象が他の産業にも波及をしていくならば、一つの社会そのものが不況という形をとり始めます。

【2011年】ツイッターつぶやき
昨日野田総理が福島原発の事故そのものの収束宣言を行った。
今朝の新聞でもこの発言を大きく取り上げて終息宣言をするには早すぎるのではないかという疑問も投げかけられていた。また、この収束宣言の定義もなんとなくあやふやな状態である。
これは福島原発の事故の事故そのものの定義のあやふやさからも出る収束宣言の定義のあやふやさではないか。
福島原発の事故とはどのようなものか?
核燃料の冷却装置が働かなくなり燃料棒がメルトダウンを(チャイナーシンドロームの一歩手前?)お越し制御不能の状態になったことが事故そのものではないか?その中で付帯的な事故として水蒸気爆発や汚染水の海への流出そしてその中で核種が体験や海水に拡散して汚染を広げた。この現象面だけが事故ではないのであり、根本は核燃料の制御不能が事故なのである。現在冷温停止状態になっているから核燃料は制御されている?ただ水を大量にぶっかけているから低温になっているだけではないか?これを核燃料の制御とは言わないだろう。核燃料が制御できる状態でなければまだ事故は続いているのである。
野田総理の発言はなぜそんなに急いだのだろうか?
事故の終息宣言を出さなければ原発周辺の死の町を除染(年間外部被ばく量20シーベルトという異常な数値まで)除染をして人を町に戻すことを行うためだろう。これは東電や国の賠償金を減らす作用があるだろう。同時に汚染のひどい地域の除染は金をばらまく道具でもある。
そして上のことにも関連をするがもう一つの急ぎ収束宣言をする理由は、「自己が収束しないと日本に対する信頼が失われ続ける」というある閣僚の言葉(朝日新聞17日朝刊2面より引用)にあるように対外的なものとしての安心づくりがあったのだろう。
しかしこの住民や海外を安心させるために収束宣言を急ぐというのは本末転倒した論理である。
「知らぬが仏」ということわざがある。事実だとしてもそれを知らせることによりその人が不安がったりするから知らせぬことも仏の心だといったことわざかと思いますが、日本人はこのような意識をたくさん持つ。今回の原発事故においても、低レベル放射線の影響は判明しないと言いながらもすぐに健康を損なう数値ではないとか、根拠に疑問が残る500ベクレルの基準値を出して基準値内だから安全だよという。今回の事故収束宣言もこの知らぬが仏的な論法で政治が動いたということではないか?
人々(国民)に安心を与えなければならない。このような言葉がどこにも反乱をしている。まさに知らぬが仏的な論法である。もちろんそれでも政治家としての立派な志からの知らぬが仏ならまだ救いようがあるが、そうではないでしょう。。。。東電を守るためとか。。。
知らぬが仏と得意顔をしたとき、内外から批判が高まったらどうするのだろう。なおさら政府と日本という国の信頼が失われるのではないか?

【2012年】ツイッターつぶやき
選挙の結果が出ましたねぇ。。。。まずはツイッターから。

東京新聞:小選挙区の宿命 自民得票4割、議席8割:政治(TOKYO Web) http://t.co/pdh7Pi7E
引っ込みがつかなくなって突き進む政治。。。。。
<1票の格差>2.425倍 2倍超は72選挙区(毎日新聞) - Y!ニュース http://t.co/3wgFHp6N「最高裁から違憲状態と判決を受けたまま衆院選が実施されたのは1983年の中曽根康弘内閣以来」「2度目の異例の事態」。。。。次の内閣は選挙管理内閣でしょう。
安倍総裁「危機突破内閣」に、石破幹事長は留任(読売新聞) - Y!ニュース http://t.co/6WbVSMx0「危機突破内閣」の代位の仕事は、違憲状態の選挙ですから合憲的な選挙をまず行うこと。
「第一の仕事は」
憲法と国民生活や安全は車の両輪。。。。。。
野田総理は、「情」の政治だったような気がする。「争点なき選挙」とも言われていたが、ほんとは争点はたくさんあった。しかしこの争点も情や感情に流される中に見えなくなっていたのかもしれない。国民も。まずはこの情や感情などから離れた政治の再構築でしょう。
最大の弊害は、民自公という二大政党制の放棄による大多数勢力の結集だった。そして小選挙区制という選挙の結果は大多数勢力が出来上がった。今の社会で争点はたくさんあったが、民自公という政治に争点がぼやけてしまった。二大政党制の間に争点がなくなってしまっただけだ。
選挙は二大政党制を崩壊させて圧倒的多数派を作り上げる。政治勢力的には国会内の争点はぼやかされるでしょう。国民の中には生活や原発など要求はもちろんまだ存在する。国会と国民意識の間における溝は深まるだろう。ますます国民同士の連帯が求められるだろう。この連帯をつくる政党の結集が必要です
55年体制下では常に多数であった自民党と少数派であった社会党や共産党であったが、自民党の暴走を食い止め、平和主義や経済発展を国民生活にも波及させる役割を持っていた。それがなぜできたかというと国会勢力+労働組合や穏健的な市民運動というものがあったからだろう。
世論作りは各政党もマスコミも行うだろう。しかしこの「世論作り」が情や感情であってはならない。政党の中にはこの状や感情による世論作りにしか頼れないところがあるだろう。言い換えればごまかしの政治である。一方には本当のことを言うしかない政党もあるだろう。国民の実態から。
国民も自らの生活の実態から政治を動かすものを見つめなければならないだろう。考える力の必要性は何も子供の教育だけではない。大人自らがその力を持たないと。。。。特に今回も若い方の投票率が低かったようですし、若い方たちの力が必要です。未来は若い人たちのものです。
世代間格差や官民格差という感情的なものに流されるのではなくて、まずは自分自身の働き方や賃金そしてそれらの中に置かれる生活そのものを見つめるべきです。オヤジやおばちゃんも見つめるべきで、爺ちゃんやばあちゃんも見つめる。そこで一致点が出てくるでしょう。そしてみんなでそれを声にする。
この国民の声を吸い上げる政党はどこか。。。。それは少数派政党でしかなくなっている。

今回の選挙は違憲状態のままに行われ、解散前の民自公合意という二大政党制の本来の在り方からも逸脱した大統一的な大多数派勢力の中においての解散でした。この中で失われた民意は大きいでしょう。民主党が大勝したところまでさかのぼりみるとすれば消費増税もそうですし、原発事故後の脱原発の国民意識も再稼働に向かっていった。民主党の自民党化とも言われていましたし、脱自民党政治という国民意識自体という民意も失われた。
大多数派勢力の国会と民意の乖離がすすんだと見るべきではないでしょうか?
このような民主党の政治的混迷や自民党化により、今回の選挙では民主党は保守層の支持も失いリベラル支持層にも愛想をつかれ、そして無党派層にもそっぽを向かれて大敗して自公そして政策的に共通する維新の会やみんなの党という大多数勢力が出来上がった。
これは小選挙区制度という矛盾からも「東京新聞:小選挙区の宿命 自民得票4割、議席8割:政治(TOKYO Web) http://t.co/pdh7Pi7E」という状態が出て、自民党支持が増えたとはいえ議席の8割も与えるような私事ではなかったが、結局は国会内勢力としては大多数派をつくりだした。この点からも国会は民意と乖離したものとなる。もちろん民主党の勝利の時も同じようなことが起こったのだが、この時はマニフェスト政治の支持が広がる中での政策的な結果としてマスコミの論調も自民党政治からの脱却でしたし、民意もそこにあり、国民の総意という結果に近いものが選挙結果となっていたと思います。しかし今回は改憲や原発維持など疑問が残りつつの自民党勝利だったわけです。今回はマニフェストはなかった。民自公による争点がぼけてしまう大多数派政治の流れの中にありました。
総与党政治が現れるかもしれません。
国会のほぼ全会一致での会見の提案が出てくるかもしれませんね。民主党が大連合的になり、自・民公+維新の会・みんなの会・未来の党?
この時民意はどのような形をとるか。。。。。
視点は、憲法も国民生活に密着するものですから、この国民生活の中からもう一度政治的争点をつくりだすしかないでしょう。何も国民が争点をつくりだすのではなくて、経済法則とそれへの経済政策の矛盾自体が争点を生み出していくでしょう。その中には原発問題も含まれます。それへの細かな対応が必要なだけです。

【2013年】ツイッターつぶやき
株価の値上がりを見て刑期の回復状態を言う短絡的な見方もありますが、円安誘導による輸出産業の株価値上がりに反応して株価が上がっているわけですから政策的な色合いの強い株価ではないでしょうか。
この株価は企業の利益にもつながりますから表面的な景気判断は高くなるでしょう。
日銀の短観(ロイター)が発表されて大企業から中小企業まで各企業の業況判断が改善されたという。しかしこの業況と実際の景気は一致しないというのが現状ではないでしょうか?消費の拡大も言われていますが、個人消費も消費増税前の駆け込み需要や高額商品の消費拡大が強いでしょうし、企業の設備投資も積極性が出ていない。消費増税に向けての不安材料も出ている。公共事業による需要も一時的なものでしょう。そして企業は大幅な賃上げには消極的ですし、労働の規制緩和は低賃金層を増やす。ですからアベノミクスが掲げるデフレからの脱却でも層は物価の伸びが見られないし、それは現在でも消費の低迷からのデフレ圧力が続いているということでもあります。円安によるエネルギーや原材料費そして食品(減量も含む)が高騰している中でそれを価格に転嫁しにくい状況も生まれるでしょう。それはいつか企業の重荷になり、消費増税はそれを決定的にするでしょう。
高見ると一時的な業況判断と実際の景気の回復の実感とは乖離したものではないでしょうか?
中小企業は大企業の下請けの不安から独立しようとしている。
株価は為替に支配されて不安定になりそれは企業の業績からの株価と乖離する。
ここにひとつのアベノミクスの限界を示すようになっているのではないでしょうか。安倍総理は新たな日銀の金融緩和を求めざるを得なくなるでしょうし、実際にそれを口にしている。日銀の金融緩和の出口は景気の回復時だと。。。。。しかし現実は景気の回復とはならずにその出口は見えない。円安・株安とはならないか?株価維持のためにどこまで円安を求めるのか。現在の円安状態の恒常化においての株安は新たな経済矛盾となるでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
今年の春闘に引き続き来年も管制の賃上げに向けて政労使が協議に入っている。政府は成長戦略のために財界に賃上げを呼びかけ財界もそれに応える。連合も賃上げに向けてベースアップを要求するだろう。
しかしこの賃上げに対する財界の原資はどのようにつくられるか?
「賃上げ後押しへ法人税減税先行」として賃上げの原資を法人減税によって確保するという動きがあるようだ。もちろんそのまま減税分が賃上げに結びつくかといえば、春闘は企業の業績が優先されるわけだから輸出産業と内需関連企業の差は出るだろう。一定の法人減税の率が定められているわけだから、賃上げした分を減税をするというわけではないだろう。
この官製の間接的とはいえ税を使った賃上げの財源はどこから持ってくるのか?
それは消費増税10%を先送りしたのだからと歳出削減が行われるが、その削減したものの一部が法人減税=官製賃上げと結びつく。歳出削減が来年度予算でどこが大きく削られるかは今のところ分からないが、これまでの政策の延長として見れば社会保障だろう。
同時に「介護報酬引き下げへ」という動きがある。
介護職場の低賃金の是正が言われているが、介護報酬の引き下げはさらにこの介護労働者の賃上げを困難にするでしょう。
一方における官製賃上げと一方におけるさらなる賃下げという構図が出来上がる可能性がある。
社会保障の削減は国民生活の低下や負担増に結びつく。
もちろん春闘における賃上げ自体は歓迎する。しかしその賃上げが官製賃上げとして間接的であっても税によるものとすればそれには反対をせざるを得ない。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
先日新しい電子レンジを買いましたが、一昨日冷凍食品のスパゲティーを温めようとしたら、食べる時にまだ凍っている部分が出てきました。
ちゃんと袋の温め時間を見てチンしたのですが・・・・・・
冷凍食品のボタンもありますが、これは解凍のためですよね。。。。
30年前に買った壊れてしまったレンジはちゃんと美味しく解凍・温めができていました。
可笑しいなぁと思いながらさらに2分ほど沈チンしたら食べられるようになりましたが、名でだろなんでだろ?とスパゲティーを食べながら考え込んでしまいました。
そういえば、新しいレンジにはターンテーブルがないのです。
そういえば、弁当用の食品を温めようとしたらやはり全然ダメ。
やはりクルクルがないとだめなのでしょうか?
ターンテーブルがないとレンジ内部も掃除をしやすくて良いのですが、もしかしたらそうじをしやすいという便利さやいろいろな機能も加わる反面逆に使い勝手が悪くなっているのかなと思ってしまいました。

【2018年】ツイッターつぶやき
ロイターによるとIMFが日本の消費増税に対して
「消費税率引き上げの増収分をより多く債務返済に回せるよう、対策の期限を設定して一時的なものにとどめる必要があると強調」(引用)
と、考え方を示したという。
消費税はその逆進性から低所得層に厳しい痛みのある税制です。消費増税直後は2014年の増税時にも経済の落ち込みがありましたが、これを防ぐための緩衝材が必要ということでしょう。
しかしこの緩衝材にしても政府の打ち出しているものは混乱を招くと危惧されています。緩衝材というよりも電子マネーの普及を行うことが目的のようなものもあります。
低所得層だけではなくて萎む中間層の生活にも大きな影響が出るでしょう。
5万円のテレビを買ったら5千円の税。。。。この五千円を他のものに消費をした方が経済はうまくいくでしょう。債務返済ではないアメリカから莫大な戦闘機を買うよりも。
円安誘導によりすでに国民は食料品やエネルギーは高く買わされている。悪性の物価高の上に増税ではいくら緩衝材を置いても長期的にみれば経済は落ち込むでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
鯖の水煮缶が残っていたので鯖コロッケを作りました。
ボールにサバの水煮缶のサバを入れて中骨を取り除いてほぐします。
蒸したジャガイモをつぶして鯖と混ぜます。
下味は塩コショウ、砂糖、鶏がらスープの素、隠し味程度のカレー粉です。
カレー粉を少々入れると鯖の臭みが消えます。
あとは普通のコロッケと同じように衣をつけて揚げるだけです。
食い終わってから思いついたのですが、小麦粉だけをまぶして焼いてもいいかなと。塩とかケチャップとか合うかな……
家族には好評でした。大きなコロッケを二つづつ完食。

川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
しゅっ!。。。。。
東京の空気がいきなり入ってくるとき、時には嫌な感覚。
「YOUは何しに日本へ?」。。。いやな感覚ですなぁ。
ポーランドの空気が東京の空気に入れ替わっていく。
旅の終わり。
若いとき、1週間ぐらい奈良や京都の旅行をして東京に帰った時のさみしさや東京の匂い。
思い出します。
晴れ女に、雨女。そして「暑さ女」?
たしか東京も10月ごろは暑いもありましたね。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
東京の新規感染者822人。
検査数が増加したから感染者数も増加したとも言われていますが、陽性率が高い状態ですから、逆にもっとたくさんの検査を行って陽性者を見つけなければいけないのです。
東京都はすでに感染状況を「感染が拡大していると思われる」と最高レベルの判断をしてきました。そして今日医療提供体制を「体制が逼迫していると思われる」と最高レベルに引き上げました。これにより緊急事態宣言を出すレベルとなりました。
実質不要不急の外出を控えるよう呼びかけがはじまっています。
東京が即時GO Toの中止であるべきことはもちろんですが、Go Toどころか東京に入れない、出ない取組が必要になっています。
このままでは正月前後に相当な数の新規感染者が出ることを心配する声も出ています。
昨日は重症者が9名ほど減ったと報道されていましたが、回復というよりも死亡者数が10人増加しています。
これから2週間が大切だと昨日のブログにも書きましたが、この間の取組が正月後の感染者数に現れるでしょう。菅総理の高級ステーキ会食が問題になっていますが、政府はすでに危機管理ができない状態なのかもしれません。
国民は大変なことになってしまっていると自主行動をとるしかないですね。限界はありますが。。。。これは政府が言う自己責任ではない。

【2021年】ツイッターつぶやき
日銀は大規模な金融緩和を継続するようです。
欧米やイギリスでも金融正常化の方向に進み利上げするようです。
その中で日本だけが金融緩和を維持する。
欧米ではコロナ対策の影響もありインフレが進んだために金融緩和から利上げに進むようですが、日本はコロナ対策でも国民生活支援にはあまり金をまわしていませんし、円安による輸入品目の値上げがあってもなかなか価格に転嫁できなようです。ですからインフレ傾向が起きずに金融緩和を続ける。
金利が高い通貨を買って円を売ることからさらに円安が進むかもしれない。
円安による経済への圧迫がさらに悪化するはずですが、日銀はそこを低金利ですから企業に有利な形で資金の支援をすることで乗り切ろうとしている。
しかしこれでは企業は日銀に支えられるが、国民生活はさらに円安による物価上昇傾向にさらされます。生活必需品が一気に値上がりすることは否定できないでしょう。
結局アベノミクスから何の変化もなく企業へカネは集まり国民生活は貧困化していく。
もちろん今後も大幅な賃上げや社会保障の充実はないです。
欧米も金利を上げれば引き締めになりますから株から国債に金が流れるかもしれませんので脆弱な経済では利上げに耐えきれなくなるかもしれません。
正常な経済活動では有り余る貨幣が回転しなくなります。すると貨幣量の問題ではなくて貨幣の回転の問題ですからカネ余り現象に。貨幣量に関係なくデフレ不況です。。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
防衛費増による1兆円増税では、その一部は実質的な所得増税になるようで、その負担増を岸田総理は賃上げで負担感が無いようにすると。
しかし賃上げの必要性はどこに置いていたのか。
円安誘導により、そして最近のドル高により輸入品目の値上がりに対する賃上げだったはず。そこから経済の好循環を目指していたはず。
生活が苦しいから賃上げが必要なのだが、賃上げをしたらその一部は増税で吸い上げる。
支離滅裂になってきました。
訪米時かG20かどうかわかりませんが、バイデンさんと何を約束し次の訪米で何を報告するのか。なんて勘ぐってしまいます。岸田総理のドタバタ政治は防衛上の危機よりも大きなものを突き付けられているのでしょう。
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2023年12月16日(土)「あと2週間かぁ…」

2023年12月16日 22時25分21秒 | 「思うこと」
今年は苦手な11月もさっと過ぎて、12月もあと2週間ですなぁ。
何かと忙しかったので11月は苦手だなんて言ってられなかったのかも。
来週はクリスマスで、再来週はお正月。
そろそろおせち料理を考えねば。
いそがしさは年を越えそうです。
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池に浮かぶ月2100【12月16日】

2023年12月16日 21時08分13秒 | 「池に浮かぶ月」
2010年11年の政治は決められない政治と言われていました。与野党伯仲というの中で民主党政権が。しかし、自民党が負けて民主党になりそしてまた自民党政権になる決められない政治は、政策でのぶつかりはもちろんありましたが、スキャンダル国会でもありました。予算委員会もスキャンダル追及。。。。。
野田さんのずっこけ発言で安倍政権が誕生しましたが、ここから一強政治がはじまり、決められる政治に。
この決められる政治が何をもたらしたか。。。。
今、安倍会派で政治資金規正法もスキャンダルが。
安倍政権から民主主義も形骸化してしまいました。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2022年12月16日(金)「決められる政治は何をもたらしたか」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「12月16日という日」

2023年12月16日 14時05分43秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2023年】ツイッターつぶやき
今年は苦手な11月もさっと過ぎて、12月もあと2週間ですなぁ。
何かと忙しかったので11月は苦手だなんて言ってられなかったのかも。
来週はクリスマスで、再来週はお正月。
そろそろおせち料理を考えねば。
いそがしさは年を越えそうです。

≪過去の記事≫

【2003年】
『ホリー・ガーデン』
新潮文庫
江國 香織  著

江國さんは、あとがきに「余分なこと、無駄なこと、役に立たないこと。そういうものばかりでできている小説を書きたかった。」と書いていますが、読むものにしてみると、ページをめくるたびにといっていいほどその「余分なこと、無駄なこと」な日常や言葉中にドキッとするものがあり、けして「余分なこと、無駄なこと」ではない。
登場する二人の幼馴染の女性それぞれの恋も、不倫であり、設定としては一人の女性としてみれば人生の中での重大事である。
「きらきらひかる」では、同性愛の夫と、アルコール中毒の妻という、世間一般から見たら「異常」な恋を描いているが、「ホリー・ガーデン」の二人の女性、これも世間一般から見たら(テレビのワイドショウーで慣れているとはいえ)やはり特別な恋愛であり、不倫小説として盛り上がる小説は書けるだろうと思う。
しかし江國さんは、これらの世間一般の常識から外れた恋をごく自然に、さらりと書き、読者はこの「異常」を忘れ、まるで純愛小説でも読んでいるように感じてしまう。ここに江國さんの作品の魅力があると思う。
これは、江國さんが「異常さ」のあるものをさらりと書いてしまうという技法のうまさや「異常さ」を正当化するようないやらしさがないというだけではなく、その奥底にある人が人を好きになる、愛するという純粋なもの、それが毅然として流れていること、これこそが江國さんの作品の魅力となるのだと思う。
たとえば、子供や少年少女が、相手の社会的なものというすべての殻を見ないで純粋に好きになるというようなそんな純粋なものが江國さんの作品にはある。もちろん登場する人々は大人であり、社会という殻にがんじがらめにされている人々である。不倫という二人の女性、あるいは「きらきらひかる」の中の同性愛やアルコール中毒、これらはすべて社会の中では「異常」として見られる。これほどの社会的な殻の中でもそれぞれの登場人物は純粋でいられる。まるで子供や少年少女のように。。。。。
「ホリー・ガーデン」においては、この純粋なものは、恋愛小説でありながら二人の幼馴染という女性の中にある。
不倫相手、そのほかの二人の女性を取り囲む男たち、これらの男たちには顔がない。漠然とした顔しか見えない。二人の女性にとっては、これらの男たちは「余分なもの、無駄なこと」なのかもしれない。「余分なこと、無駄なこと」というと変だが、この「余分なこと、無駄なこと」とは、ある意味では「日常」であり、二人の女性の中に流れる日常という時間のひとコマに男がいるような気がする。
男との恋愛を含めた仕事などの雑多な日常という時間の流れのなかに、二人の女性の間にある、お互いを心配しあったり喧嘩をしたりと、二人の中には、友情というには足りない、それ以上の純粋な間柄を感じる。愛情なのか。。。。
純粋さも「余分なこと、無駄なこと」という日常を通して感じられる。
「きらきらひかる」の中で、同性愛やアルコール中毒という「異常さ」をお互いの両親から責められるが、二人にとっては、このような社会の殻の中での常識は、「余分なこと、無駄なこと」である。しかしその中でお互いの純粋な愛情を確認する。
「ホリー・ガーデン」の中の二人の女性は、お互いの不倫相手を快く思っていない。お互いに「余分なもの、無駄なもの」的な感覚で見る。しかしこれを通じて二人の女性の間に純粋なお互いを思いやるものが見える。夫婦間も同じで、いろいろな社会から受けるわずらわしさなどをお互いに対処しあったりしている中に、純粋な思いやる心や愛情が現れているのかもしれません。
江國さんは、匂いや色、手触りなど、五感をうまく使った表現が多く有りますが、日常の中で何気ないことが心を揺さぶることがあります。「余分なこと、無駄なこと」と見えるのかもしれませんが、案外この日常が必要でもあり、「余分な時間ほど美しい時間はない」のかもしれません。

昨日の日記の日付、間違っていましたね。。。。
午前中、布団でも干そうかとベランダまで布団を持っていくと、すうっと日が蔭ったりしていらいらしました。午後からは雲もなくなりよい天気です。布団を無事干せそうです。
しかし風が強い。。。。寒い風です。
家にいると、コーヒーとタバコが増えてしまいます。
コーヒー好きの僕は一日にどのくらい飲むだろう。。。まあ、コーヒーとタバコが僕のエネルギー源かも?

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
肉じゃがを煮てます。
東京も寒い日が続き暖かいものが恋しくなります。
凍る月。。。。
スポーツジムに行ってきました。
今日から筋トレが2ラウンド。。。。さすがに辛い。どうも上半身が弱いようで、同じ回数トレーニングしても辛さは倍なような気がする。足腰は昔サッカーをやっていたのでその名残が残っているのかな?
筋トレが終わったらウォーキングマシーン。30分ほど歩いたらものすごい汗でした。隣の人を見たらランニングをしているのにそうは汗をかいていない。何で僕だけこんなに汗をかくんだろ?最後にインストラクターの人と昔で言えば整理体操にあたるストレッチをやるんだが、それですら汗が噴出す。
帰ってから体重を量ったら1キロ痩せていました。僕のような体系は痩せる必要もないんだけど。。。体重を減らさないぶん筋肉をつけなくてはならないのかな?それで筋トレが2ラウンド?
隣のスタジオでは、おばちゃんたちが太極拳をやっていた。
汗もかかずに涼しい顔をしてやっていました。中国の映像で太極拳をしているお年寄りに肥満はいない。あんがい効果があるのか。。。。楽そうです。

【2006年】
12月も中旬となってしまいました。
もう来週はクリスマスですからね。。。ううう
のんきな僕もなんだかせっつかれているような気持ちになります。大掃除はどこから手を付けたらよいのか。。。まぁ、目に付いたところからやり、見たくないところは見ないようにするしかありません。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
ある商品をつくる産業内にABCという3社があったとする。この3社は生産性の違いがある。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
少し極端な数字ですがその生産性の違いをわかりやすくしておきます。
上の生産性は労働力を「100人あたり」としての比率であり、3社にはとうぜん生産規模は異なります。また、商品のデザインなどという使用価値はここでは考えずにその商品の価値はどのくらいの労働力を必要としたかの労働価値説としてその生産性を考えます。そしてその労働力は価値どおりに買われ賃金として支払われ3社共に同じ額とします。
この3社で生産された商品が市場に出ます。
一つひとつの商品の価値は市場価格として現れます。当然にA社の商品は市場において高くなり、C社の商品は安くなります。B社の商品が平均的な価格となります。各社の生産規模の違いなどもあり市場の中での商品量の中で市場価格がB社が生産した商品の価格に一致したと過程をします。それを仮に10万個の商品の価格を100億円とします。
するとどういうことがおきるかといえば、100人あたりの労働力としては、A社は同じ労働力を使ったにもかかわらず5万個の商品50億円の売り上げしかありません。それに比べてC社は15万個150億円の売り上げが出るわけです。同じ労働力量を使ってもその売り上げに大きな差が出ます。平均的なB社は10万個の商品で100億円の売り上げがありますが、この平均的なB社を基準に見ると、A社は生産性が極端に低く、C社はそうとう高い生産性となります。
各社の商品の価値は市場の中で平均的な価値に落ち着きそのある商品の価値を決定する。するとA社の利潤は低く、C社の利潤は高くなり、B社が平均的となります。しかしここで注意をしなくてはいけないのは、生産性が低いとはいえA社はけっして「赤字」ではない。ただ会社としての利潤が低いだけであり、労働者には何の責任もないし賃下げ理由にはならないことは後の議論には必要となります。
同じ労働力を消費しながらも市場においての利潤が異なる。一つひとつの商品価値は、C社は低いにもかかわらず平均的なB社と市場では同じ価格として売れる。この平均的な価値と本来の価値との差額を特別な剰余価値としてC社は手に入れるわけです。
この中においてA社はもちろんB社もC社と同じ生産性に高めようとします。C社は今以上に生産性を高めようとします。利潤追求のために。。。。
これが資本主義的競争なわけであり、商品をより安く大量に生産していくという原動力なわけです。

一昨日の「自然水中(2)」では賃金高や雇用者数との関係から利潤率への影響が語られているといった中身について書きましたが、利潤率は労働力を買う場合にもその価値によって買うわけですから他の原材料を買うのと同じで利潤を得るには価値通りの値段で買ってそれを消費して商品をつくる中で得られるものです。今は労働力も買いたたかれて安く雇用売ることが企業の利益だといった謝ったものがはびこるようになってしまいました。しかし利潤率の一定化と商品価値(市場での価格)は下がるのが法則だといった視点で考えるべきかと思います。
以下、以前書いたものの再録ですが、長いのであくまでも自分自身のおさらいとしてこちらに乗せます。(まとまらずにわかりにくいです。自分でイライラする(笑))

「労働の生産性の向上は商品の価格を下げる。社会的合理性は賃金を下げる。
これはデフレと勘違いをされますが、社会的な経済政策の変更によっては社会の発展となるわけです。
そこにはもう少しなぜ商品価格は下がる傾向になるのか、賃金はなぜ下がる傾向になるのかを見なくてはならない。 」
と書きました。
ある商品を生産するには生産手段と労働力が結びつかねばなりません。企業は生産手段と労働力を買うわけですが、それは生産手段を買うための不変資本と労働力を買うための可変資本を投資します。ここでは生産手段も労働力もその価値どうりに支払われます。
労働の生産性が高まるというのは、より少ない労働力でより多くの商品を生産することにあります。そのために機械化は進み生産システムは合理化されます。例えば、ある企業が今までは1000人の労働力を使って年間10万個の商品を作っていたとします。この中で生産性が高まり、極端な数字ですが、年間20万個の商品を生産できるようになったとします。すると可変し本領資本量は変化しませんが不変資本は新たな工場や機械を導入したり原材料も2倍になるわけですから可変資本に対して不変資本は大きくなります。または市場を見て20万個の商品は過剰という見通しを立て今までのように10万個の商品を生産するとなると必要な労働力は500人と半減をします。
ここで何がおきるかといえばこのような労働の生産性の向上は不変資本に対する可変資本量の変化として現れます。この変化は生産のための不変資本と可変資本の有機的組成を変化させます。
この企業は市場に倍の20万個の商品を出すか、同じ10万個の商品を出して500人首を切るかを選択するわけです。
このような中で何がおきるかといえば、上の企業と同じ商品を生産する産業があるわけですが、その産業全体で同じことが行われるわけですから、市場にはあふれるような商品が投げ出されるか、その産業内においての労働力の削減が行われるわけです。商品の過剰生産か失業が不可避的になります。そしてこの生産性の向上は、国内、現在では全世界において行われ、資本主義生産は過剰生産と失業という矛盾を引き起こさざるを得ません。
次はこの矛盾を引き起こす原動力となるものが何かをみなければなりません。
労働の生産性は同じ労働力量に対してより多くの商品を生産し時には過剰生産というものも生み出し、もしくは労働の生産性が高まる中でその商品量を同じにしたとするならばそこに必要な労働力量は過剰になり時には失業を生み出すと書きました。
もちろん市場における好景気時はその商品の消費量は個人消費という形でより多く消費をされ同時に設備投資という中での消費も盛んになります。しかしこの好景気にも個人消費には限度があり、設備投資をされた不変資本は最終的には大衆消費財として個人消費のための商品に価値移転されるわけですからこの設備投資という消費も限界になる。やはりこの帰結の中に過剰生産と失業はすでに内包しているわけです。
常に過剰生産傾向と失業傾向は生産性の向上の中において必然性を含んでいます。
このように一つの矛盾を引き起こす生産性の向上がなぜ急速にすすむのでしょうか?
よく言われるのは生産性の向上はあたらいい商品をよりやすく生産をして国民生活を豊かにすることが目的であり、だからこそ人々は生産性の向上に取り組んでいくのだと。しかしこれは動機と結果が逆転した結果論にほかなりません。労働自体は生活を豊かにすることは間違いはないので、人々が労働することからこそ国民は豊かになるわけです。ここでは新しい機能性に優れた商品を生み出すといったようなことは、何も生産性の向上に関係なく生まれていきます。ただ安い商品を作り出すことが動機なわけです。これが動機ですから安い商品を市場に流通させることが生産性向上の原動力なわけです。目的なわけです。この目的と結果は一致するとは限りません。国民生活を豊かにするというものは直接の目的ではないからある場合にはこれが結果として出てくることは限らないのです。ここに過剰生産と失業という結果が同時に出てくるし、労働の生産性の向上が一つの矛盾として現れます。
生産性の向上というその動機と目的は商品価値を下げるということです。そしてそれは競争に支配されいます。この競争はより多くの利潤獲得と生き残りの競争です。これが生産性を急速に推し進める原動力です。
より多くの利潤の獲得といった場合、市場の中で見えやすいという点では、ある商品の中である企業が作る商品の性能や機能性そしてデザインなどといったもので売り上げに変化がおきます。しかしこれらの付加価値はその商品の使用価値の高まりによるもので価値自体が高くなったわけではない。同じ労働力を消費した商品は使用価値を高めることはあっても価値は高めない。今年爆発的な売り上げをした自動車は、他の企業が同じものを売り出すと価格が下がった。価格が下がったというのは、価値が下がったというのではなくて使用価値が特別なものであったがそれが特別なものでなくなったからの価格下落で、その自動車の価格が価値に近づいたということです。自動車産業全体の同じグレードの車はその価値によって価格が決まるというのが基本で、長い市場の流れの中に価値は基本的なものであることは経験としても見ることができるでしょう。
商品はどのぐらいの労働力量を消費したかでその価値は決まる。そして労働力を消費している過程である労働が商品という形を形成したり他にはない上のような付加価値もつける中に使用価値を形付けるという労働価値説から商品をよりやすく生産をし、利潤を高めるという中の競走を見なくてはいけない。

ある商品をつくる産業内にABCという3社があったとする。この3社は生産性の違いがある。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
少し極端な数字ですがその生産性の違いをわかりやすくしておきます。
上の生産性は労働力を「100人あたり」としての比率であり、3社にはとうぜん生産規模は異なります。また、商品のデザインなどという使用価値はここでは考えずにその商品の価値はどのくらいの労働力を必要としたかの労働価値説としてその生産性を考えます。そしてその労働力は価値どおりに買われ賃金として支払われ3社共に同じ額とします。
この3社で生産された商品が市場に出ます。
一つひとつの商品の価値は市場価格として現れます。当然にA社の商品は市場において高くなり、C社の商品は安くなります。B社の商品が平均的な価格となります。各社の生産規模の違いなどもあり市場の中での商品量の中で市場価格がB社が生産した商品の価格に一致したと過程をします。それを仮に10万個の商品の価格を100億円とします。
するとどういうことがおきるかといえば、100人あたりの労働力としては、A社は同じ労働力を使ったにもかかわらず5万個の商品50億円の売り上げしかありません。それに比べてC社は15万個150億円の売り上げが出るわけです。同じ労働力量を使ってもその売り上げに大きな差が出ます。平均的なB社は10万個の商品で100億円の売り上げがありますが、この平均的なB社を基準に見ると、A社は生産性が極端に低く、C社はそうとう高い生産性となります。
各社の商品の価値は市場の中で平均的な価値に落ち着きそのある商品の価値を決定する。するとA社の利潤は低く、C社の利潤は高くなり、B社が平均的となります。しかしここで注意をしなくてはいけないのは、生産性が低いとはいえA社はけっして「赤字」ではない。ただ会社としての利潤が低いだけであり、労働者には何の責任もないし賃下げ理由にはならないことは後の議論には必要となります。
同じ労働力を消費しながらも市場においての利潤が異なる。一つひとつの商品価値は、C社は低いにもかかわらず平均的なB社と市場では同じ価格として売れる。この平均的な価値と本来の価値との差額を特別な剰余価値としてC社は手に入れるわけです。
この中においてA社はもちろんB社もC社と同じ生産性に高めようとします。C社は今以上に生産性を高めようとします。利潤追求のために。。。。
これが資本主義的競争なわけであり、商品をより安く大量に生産していくという原動力なわけです。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
というひとつの産業内のこの3社を別の角度から見ることにする。
A社は、不変資本(設備や原材料など)と可変資本(労働力を買うための賃金)に投資をして生産を行うわけですが、100人あたりという労働力が5万個という商品量に価値移転させる不変資本量は少ない。一方C社は同じ100人あたりの労働力が15万個の商品を生産するために不変資本量は多くなる。すると100人あたりの労働力への賃金である可変資本量は同じでも不変資本量は大きな違いを見せる。同じ可変資本量に対して不変資本量が大きくなる割合として資本の有機的な組成が高くなるわけですが、これは企業活動から見ると一つの生産拡大となります。
また、C社は圧倒的にその商品価値を安く生産できるわけですから(5)で診たように平均的な市場での価値(価格)で商品を売らなくても値下げをして市場での独占化を行うことができます。独占化はより多く生産された商品を売りさばくことにも有効なわけですから、商品を値引きしたとしてもそれは利潤の拡大となります。この独占化傾向は、C社がもう一つ同じような工場をつくる動機ともなります。ここに生産拡大というものが強くなります。
(5)でも書いたようにAB両社もこれに追いつけ追い越せと生産性を上げながら生産拡大を行います。
商品がより多く生産される拡大再生産されるというものは資本主義経済法則の一つの現れです。
ちなみにこの生産拡大によるより多く市場に出された商品価値(価格)はどうなるかというと、100人あたりの生産性の拡大の中では、その生産拡大は不変資本量の増加という形で現れることを上に書きましたし、C社がもう一つ工場を作り新たな100人という労働力を増やしたとしても100人あたりというものには変わりはなく資本の有機的な組成は変化しません。労働の過程の中により多くの不変資本が新たな商品に価値移転(機械の減価償却や原材料の消費など)されるわけですが、この不変資本は価値移転されるだけであり新たな価値を生み出すものではありません。新たな価値を生み出すのは、不変資本を商品という形に価値移転させる過程においての労働力量にほかなりません。ですから商品の価値は、不変資本量がどのくらい価値移転されたかというものにプラスされて労働過程でどのくらいの労働力量が消費されたかにあり、新たな価値創造として残るのは労働力の消費という形での価値の増加という商品価値となります。
C社が以前はB社と同じ生産性にあり、生産性の工場により現在の生産性に高まったと過程をしてみると、以前は100人の労働力量で10万個の商品を生産していたのですが、今は15万個になった。しかし商品に新たな価値としてプラスされたのは同じ100人の労働力なわけですから、以前の10万個の商品価値と現在の15万個の商品価値は同じとなります。これを一つあたりの商品価値としてみると、一つあたりの商品価値は以前より価値を減らしたということになり、市場における商品価値はsがっていく傾向を示します。価値どおりに売られれば商品は相当安くなります。
この商品の価値の低下による低価格化葉もまた資本主義的生産の法則性となります。これで資本主義の市場においての商品の低価格化と商品量の爆発的な生産拡大が資本主義的経済法則の必然であり法則性だということがいえると思います。
ではこの資本主義的生産がどのような帰結をもたらすのかということになります。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
(6)でも触れましたが、この労働の生産性の違いから生じる商品の市場価格がその価値からはなれて平均の価格形成としての特別な剰余価値を与える中での各社の利潤率はC社が一番高くA社が一番低くなる事を見ました。そしてここに資本主義的競争の原動力がある事を見ました。
この中でA社はもちろんB者もその生産性を向上させようとします。そしてC社と並ぶ生産性を得たと仮定します(C社の生産性は現在のある限界内にあり停滞するとします)。するとこのある商品を生産する産業内には平均な利潤が確定します。各社はそれぞれ100人当たり15万個の商品を生産することができるのですから、この産業をX産業とすれば
X産業は100人あたりの生産性は45万個
となります。
仮に10年前のX産業の生産性は低くてA社並みだったとすれば、X産業はこの10年で同じ労働力量(100人あたり)での商品の生産数が15万個から45万個の増加したこととなります。10年前と現在でも不変資本量と可変し本領の投資される資本は同じとすれば、それを分母として商品の総(100人あたりの労働力に対してですが)売上を分子にした場合、ある利潤率が決まります(追記:分子分母反対だったかな?)。しかしこの生産性の違いにより何が異なるかといえば、生産された商品量にあります。ある一定の利潤を得るには、10年前は15万個生産をしていたが今では45万個を生産している。そうすると商品1個あたりを見るとその価格は3分の1になります。X産業では同じ利潤を得るのにより多くの商品を市場に出さねばならなくなったということです。
同時に特別な剰余価値を得られなくなっているわけですから市場価格は価値に一致してきます。
資本主義生産とその資本主義的競争がもたらす一つの帰結は、市場における商品量の増加と一つあたりの商品の価格は価値に一致をして低下するということです。
これは資本主義生産の無政府性として現れざるを得ません。
X産業では、より多くの利潤を求めようとすれば工場の新設や市場の独占化のために各社の潰しあいに頼らざるを得なくなります。これがまた資本主義競争として行われるようになります。そしてまたこの工場の新設の競争がさらに市場に送る商品量の増加とも結びつくことが起こります。しかしここでは先にも書いたように特別な剰余価値を得られなくなっていますから、企業の利潤率は上がりません。生産性の向上のない中に工場の新設だけでは利潤額は上がるが利潤率は高まらない。ここに企業あるいはX産業そのものにまず停滞感が現れます。
一方商品量は市場の中により多く出されるわけですしその商品量は無政府性の中にあり一度過剰感が出てくると各社の中では値下げ競争もはじまります。値下げといっても赤字になるわけではないが、利潤低下であると同時に剰余価値率の低下として現れ始めて企業の停滞感はさらに深まります。
その産業では株価が下落をして資金が他の産業に流れていくでしょう。今資本をより吸収する産業の育成とか言われていますが、それはこのことからはじまる一つの帰結菜わけです。
しかし以上のような現象が他の産業にも波及をしていくならば、一つの社会そのものが不況という形をとり始めます。

【2011年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊16面の社説の下の「記者有論」欄に「高校教育 最低限の学びくらいは」という記事があった。以前から小学生から大学生まで学力不足が言われていたがこの記事も今の高校や大学の実態を書いている。高校の進学率は98%そして大学は「全入」時代。本来はより多くの青年たちが高い学力を得る教育環境にあるということだろうが、現実は学力の低下につながっているということだろう。
記事の中に「学校間格差を縮めて学びの内容を充実させるべき」と書かれているが、学力といった者だけでとらえるような格差ではなくて、今の社会全般に広がっている格差の一つの現れが教育や学力に出ているのではないか。学歴社会という言葉を今はあまり聞かなくなったが、今もみんなが高校を出る世の中なのだからその上の大学を出ないとだめと学力社会は進み、大学という利潤目的の面もそこに絡んできて全入となるわけです。
もう小学校の内からその学力で将来が見えてしまう世の中。。。。
昔は大学に進学はできないような高校でも卒業をして一生懸命に働けば家を持ちそうはぜいたくはできないが生活ができる中に夢もあった。その中に学習意欲もそれなりのレベルで存在をして学力をつけた。せめて高校ぐらいは出ていないと。。。。というものが今やせめて大学という名のついたところを出ていないと。。。。となっているのかもしれない。大学の良し悪しは就職率が重視をされているのではないか。そして企業の意識は?大学の勉強は3年生までで後の1年は就活。
このような中に学力の低下も出ているのではないか?よい私立小学校や中学、よい私立高校そしてゴールは良い大学。このためには学力もあるが親の生活レベルによる学校以外の学習塾などが。そしてその受験テクニック。。。。出題の傾向と対策。
学力は暗記力になってしまう。
同じく朝日新聞1面には、学校の教科書が変わるという。原発事故を受けて教科書の記載も「安全神話 覆された」と加筆。これ自体は良いことと思うが、今まで原発は絶対安全と「記憶」していたものが「安全神話は覆された」と暗記することに変わるだけの教育なら学力も上がるわけはないわけです。大人(専門家)は「どう教えるか」の中身を変化させて教えると。子供ははいとそれを暗記する。大人は原発事故をめぐって原発の在り方で右往左往しているわけで、それも金が絡んだり利権が絡んだりしているわけです。子供は知らないわけですから「なぜ?」を考えないでしょうし大人はどこまでこの「なぜ?」を教えられるか。あるいは考える自由を与えられるか。。。。。
子供も中学ぐらいになれば社会の中をある程度見ることができる。昔はこの中で社会を考えることが素晴らしいこととも得た時代だった。考えて間違った行動もあったし、正しい行動もたくさんあった。その中で議論をして考えた。この間げることが色々と知りたいものを増やして学習をして結果学力もある程度付けた。人の学習は独習が主なのです。独習といっても学校の勉強を自宅でするというのではなくて、社会と向かい合い考えて勉強をするということです。
子供たちにはこの独習する環境をたくさん持たせないとだめなような気がします。そうすると社会批判は増えて従順な人間は減っていきます。困る人たちがたくさんいるでしょう。しかしこれしか学力は発達しないのです。社会批判は良いことで考えることは良いと外国では見るとすれば、日本はこれを害だという。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
東電を始め電力会社の原発再稼動が急がれようとしている。
電力はこの冬も原発ゼロでもまかなえるでしょうが、それにもかかわらずなぜ再稼動が急がされるのでしょうか?
朝日新聞朝刊に「東電破綻回避へ一心同体 金融機関」という記事があるが、東電には金融機関からの融資が入っており、左記リンクページの図を見ても多くの無担保融資もある。このような状態ですから東電救済=金融機関救済にもつながるのでしょう。そのために東電の破綻は回避して黒字化をしなければならない。その中に原発の再稼動もある。
他の電力会社も再稼動を急いでいますがやはり黒字化あるいは利益拡大のためと見ることができる。
原発が停止をして火力発電の燃料費が経営を圧迫しているとも言われていますし、それが貿易収支や経常収支の赤字化の要因にもなっているといわれます。確かに燃料消費費は上がっているのかもしれませんが、燃料費の負担増はアベノミクスと日銀の量的緩和による円安に原因の多くがあるはずです。貿易収支や経常収支の赤字化の原因も円安にあるという分析もできるでしょう。この上に立って安倍政権の成長戦略があるわけですが、成長を続けるには再稼動も必要となるわけです。
国民意識は脱原発でした。そして現実に原発ゼロが続いているわけです。そこに再稼動を言い出すのはまったくの成長路線という安倍政権の経済政策だけであり、安全性などは後回しになった再稼動の要請なわけです。
再稼動も成長戦略に組み込まれている。
消費増税は社会保障の充実(社会保障に使う)というものでしたが、いつの間にかこれも成長戦略に組み込まれた財源となりました。生活保護に対する政策に顕著に現れていますし、年金改革にも影響をします。
安倍政権は賃上げを呼びかけますが具体的な展望があるわけではなくて依然として低賃金化は進んでいます。財界は安倍総理のこの要請に応えてボーナスのアップを言っていますが現実は「冬ボーナス、「減る」が「増える」より多かった 日経モニター調査から浮かんだ現状」という現状のようですし格差が広がっているともいえます。同時に中間層(年収1000万あるいは1200万の層以上)の所得税の増加につながることも出ていますし、ホワイトカラーエグゼンプションも進められようとしています。そのほか労働の規制緩和は進められてますます不安定雇用の増加が行われようとしています。そして一方における法人税関連の「減税」が。
こう見るとすべてが成長戦略に国民生活の低下や安全の低下が組み込まれているのではないかと思います。
もちろんそこには政治上の強力な統治が置かれます。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ツイッターから
なんだか・・・・・力の社会になってきました。良いか悪いかではなくて力が強いか弱いかでの解決。
日本は二大政党制に一時向かいましたが、その二大政党制の崩壊原因の一つが「決められない政治」だったと思います。国会内はスキャンダル合戦になったり。そして決められる政治が自民党の圧勝でした。
決められない政治とは、民主主義の欠如ですね。というのか、政治哲学が政治家の中にあるかどうかですね。数の力で国会が動いたり、政治家個人の力が一般人を抑え込んだり、、、、もちろん報道カメラの前では謙虚ですが、それでも本音が出て「失言」連発とか。
企業もブラック化をして、そのブラック化の背景にあるのが企業の力です。
このような社会が当たり前になると、良いか悪いかではなくて損得勘定や感情の流れるままに力を行使するようになる。社会の隅々にこの力による論理がはびこります。もちろんネット上も例外ではない。
でも、この力による社会システムは、寄生性を持つものであり、普通の人々がいなくなると存在できなくなる。一般庶民から富を吸い上げて寄生をしてもその庶民が疲弊をしてしまうと寄生もできなくなる。
タクシードライバーへの暴行記事を見ても、タクシードライバーは企業に縛られているから反撃できないわけで、そこに暴行する客は寄生をして料金を払わない。このような構図が政治や経済にまで波及してるのでしょう。

春菊のかき揚げがどうしても食べたくなり支度をしていたら小麦粉がない。。。。。
どうしても食べたいのでコンビニに行ってくると言ったら、妻が他の料理にしようとネットで調べ始めました。
という事で春菊のナムルというあっさり形となってしまいました。
旬愚句は食べやすい大きさに切ってさっと湯通し。
水であく抜きをして水分を取り、塩、ごま油、おろしニンニクで味付け。
簡単でした。
でも、春菊の風味が強いのでごま油の風味が消えてしまったような・・・・・
でも、美味しかったです。日本酒・・・・アハハハ

【2018年】ツイッターつぶやき
寒くなりましたが、こう寒いと暖かいものが食べたくなります。時々自宅でもカレーうどんを作るのですが体が温まりますね。
今日は朝からだいぶ遠出をしましたがちょうど昼飯時になったので埼玉県杉戸の道の駅アグリパークによりました。
ここのレストランが好きで以前から時々立ち寄っています。
ここはカレーが特徴的で、新鮮な野菜がたっぷりのカレーです。
やはり寒いのでカレーうどんを食べました。
カレーうどんですから和風にアレンジしています。辛さもそうはきつくありませんがちょうどよい辛さです。
食い終わったら福引券をくれましたのでやってみましたがティッシュでした。。

【2019年】ツイッターつぶやき
安倍総理がどんどん財布の紐を開いてと呼び掛けているようです。
デフレマインドを払拭?
なんだか総理の言葉としては笑うに笑えぬ言葉です。
デフレ不況が続く中で10月に無理やり消費増税を思ない、消費減を防ぐためにポイント制度などを導入してさらに26兆円もの景気刺激策を行わなくてはならない実態。何のための消費増税だったかのわからなくなっているんでしょ。
大幅な賃上げのない中で、政府・日銀による円安誘導で食料品が大幅に値上げされ、社会保障費の負担はどんどんと上がっている。そして社会保障自体は縮小していく。
ない袖は振れませんなぁ。。。。。。
デフレマインドを払拭する問心の問題ではなくて唯物論的に個人消費は落ち込んで節約に走らざるを得ないのです。
このような個人消費を落ち込ませておいて景気刺激策でまた企業にカネをばらまいても、消費が伸びる展望がないならば企業も設備投資はしないでしょう。今の企業の設備投資は景気の拡大のためではなくて、企業間のつぶし合いの中での自己保身だけです。
こちらのサイトを見ますと、サラリーマンの平均的な小遣いは4万円弱のようです。既婚者となると3万円前後。
20代のサラリーマンの1回の昼飯代が平均541円、飲み代13041円。
30台になると、それぞれ592円そして9447円だそうです。
安倍総理が言うように毎回二次会までは付き合えませんね。
この実態の中で、よくデフレマインドを払拭してなどと言えますなぁ。
安倍総理をはじめ、政府は生活実態を見ないようにしているのかもしれません。

【2020年】ツイッターつぶやき
何週間ぐらい前だろう?現在の感染拡大を第三の波かそうでないかの判断がなかなか出なかったが、さらに感染拡大傾向が出てきて大都市圏が第三の波であるというものが確実になり、Go Toへの疑問も大きくなっていた。それでもGo Toは続き11月の三連休をはじめとした行楽の季節は出かける人が多かった。しかしそれ以後は全国的な感染拡大があり自粛意識が高まり自治体でも注意喚起が大きくなってきた。
すると11月の下旬の人出から3週間の間に感染は拡大をして現在があるわけですから、もしかしたら感染の増加はピークに近づいているかもしれない。ですからGo Toは感染拡大と関係ないとしきた勝負の三週間と言っていた時期は、皮肉にも感染拡大の時期となった。
政府は28日からGo Toの一時中止をするといいますからそれまでの2週間が勝負の週となるでしょう。政府がのらりくらりとしていますが確実の国民の中には危機意識が出ています。これで感染が下げ傾向になれば、さらに正月休みとGo To一時中止でぐっと感染者は減るでしょう。
しかし今の情勢ではGo To中止も骨抜きですし、高止まりとなる可能性があります。そして年末年始に人手があればさらなる感染拡大となるでしょう。
政府の対策は常に2,3週間遅くなっていますね。

【2021年】ツイッターつぶやき
1株100円の株があり、為替が100円ならアメリカ人は1ドルで1株買える。
1株100円に変化がなく、為替が120円になったらアメリカ人は1ドルで1.2株買える。
しかし1株100円の株を為替が100円の時に買ったアメリカ人はそれを売っても0.8ドルしか得られない。
日本経済が好景気なら1株100円の株が120円に上がれば、アメリカ人は1ドルで1株しか買えなくなるが、100円で買っていたアメリカ人は売る場合には1ドルで売れる。
日本経済が落ち込むと1株100円で勝った買ったアメリカ人は損を少なくしようとして株を売る。1ドルで多くの株を買えるはずのアメリカ人も買わなくなる。
今は株価も実体経済を反映しないのでわかりませんが、最後は経済状態という一体経済ですからね。
(まちがってるかな?)

【2022年】ツイッターつぶやき
自衛隊自体が憲法違反とされる中、専守防衛により解釈改憲を行ってきたが今度は敵基地攻撃能力を正当化させた。
長い年月専守防衛を討議されてきたものが閣議決定で蔑ろにされた。
民主党政権前後の与野党伯仲時代、スキャンダル国会で「決められない政治」という批判が出ていた。この批判の中で生まれたのが安倍政権です。
安部自民党は決められる政治という期待の中で選挙に勝ち続けた。
しかしこの決められる政治は民主主義を無視した多数の力として今の岸田内閣において戦争の準備に行きついた。
安倍政権の時から決められる政治に危惧を持っていたが、この決められる政治とは、民主主義の中で十分な政策討議がされて決定に至ることで、この決定に誤りがあった場合は少数意見であるプランBに素早く移行できるものでなければならない。しかしこの決められる政治が悪用されたとき、国会内の討議を蔑ろにして数の力による決定となりそれには民主主義とは邪魔な存在となる。
日本だけではなく、先進国から自由と民主主義という言葉が聞こえなくなった。
経済や軍事の多数派形成による派遣。
それは中東におけるイスラエルそしてヨーロッパにおけるウクライナの存在を産み、それはアジアにおける日本がつくられようとしている。日本の存在価値は経済から軍事に軸足を移していく。アメリカの戦略として。
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2023年12月15日(金)「生暖かい風」

2023年12月15日 22時32分39秒 | 「思うこと」
東京は、夕方まで寒い風が吹いていましたが、さっき、ベランダに出たら生暖かい西風が吹いていました。ベランダに出た瞬間弱い暖房の風のようでした。部屋の中の方が寒い。
週間予報では明日は22度ぐらいまで気温が上がるそうでしたが、予報が外れて19度だそうです。
11月の気候でしょうか。
しかし月曜日からは最低気温が1度から3度らしい。。。。。
体がおかしくなりますなぁ。
でも、暖かい日が1日でもあると嬉しいものです。
来週は夏至です。。。。
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池に浮かぶ月2099【12月15日】

2023年12月15日 21時47分54秒 | 「池に浮かぶ月」
保守派は日本を守ることが最大の福祉だといった論理を持っていますが、そこには必ず軍事力でという枕詞が付きます。そうではなく平和こそが災害の福祉なんです。平和を維持していく政治が求められていますが、岸田内閣はこれを露骨に崩していきます。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2022年12月15日(木)「平和が最大の福祉」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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2023年12月14日(木)「柚子ジャム」

2023年12月14日 21時57分40秒 | 「男の料理」
知人が庭にたくさんの柚子が生ったので送ってくれました。
小さい柚子ですが、昨夜は皮を擦って柚子豆腐を作りました。
たくさんあるので柚子ジャムにしてみました。マーマレードにしようか悩んだのですが、小さい柚子でめんどくさいのでミキサーで細かくしてジャムにしました。
う・・・・ん、少し渋みが強かったかな。。。。。
ヨーグルトに入れて食べたいと思います。
残りは皮を千切りにして冷凍します。
実はジュースにしたり凍らせておいて風呂にでも入れようと思います。
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池に浮かぶ月2098【12月14日】

2023年12月14日 21時31分43秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は双子座流星群が。。。。。
寒くて探せませんでした。
たしか、今夜も見えるらしい出が曇り空です。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2022年12月14日(水)「双子座流星群」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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2023年12月13日(水)「マイナス金利解除?」」 

2023年12月13日 22時35分24秒 | 「政治・経済」
日銀が1月にはマイナス金利から抜け出すと?
理由が人手不足で賃金が上がるだろうということらしい。
賃金が上がれば経済も好循環に。
金利が上昇するのはインフレのような経済の好転が必要ですが、人手不足で賃金が上がるからというのはお先真っ暗です。賃金総額に変化はないかむしろ減少するかもしれない。
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池に浮かぶ月2097【12月13日】

2023年12月13日 20時30分54秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は、川上弘美さんの「東京日記」を読んでいました。
作家と読者もインターネットでつながる。もちろん一方通行ですが、作家の書いたものを出版を待たずに読めます。
ということは、時間の隔たりが少ない作家の様子が読めます。もちろん日記という形ですからなおさらですね。
他の作家もブログなどいろいろなものを通じて読めます。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2022年12月13日(火)「川上弘美東京日記 フェースブックでつながる。」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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2023年12月12日(火)「今年の漢字」

2023年12月12日 22時05分31秒 | 「思うこと」
今年の漢字は「税」だそうですね。
悪性の物価高の中で消費税により税収は増えているそうです。
子育て支援で5万円程度の減税をし、無税世帯にはそれに見合うバラマキをするそうですが、一方では防衛費増による増税が待っています。
岸田さんの今年の漢字は「克」だそうです。
来年も賃上げをして以下の経済状態を克服するからだそうです。
去年もある程度の賃上げがありましたが、消費税で多くの納税をさせられましたし、社会保障費負担も。
賃上げがあっても国に吸い取られます。収奪は拡大する。
来年も賃上げをと言いますが、防衛費増による増税が待っているでしょうし、たばこ増税もあります。
また賃上げ分は国に吸い取られるでしょう。今年の漢字を「克」として来年のことを語れば鬼が笑う。国民は苦笑いしかない。
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池に浮かぶ月2096【12月12日】

2023年12月12日 21時54分21秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は、世界的にコロナへの社会的規制が解除されていましたが、その中で、ゼロコロナで感染を抑えてきた中国も社会的規制を解除しました。
コロナ感染対策の解除の理由は経済にありましたが、先進国から中国の工場などの操業が不安定になる中で不満が出ていたようです。
その中で中国では感染の拡大が。。。。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2022年12月12日(月)「中国の感染拡大」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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2023年12月11日(月)「寝床の寒さ」

2023年12月11日 22時08分40秒 | 「思うこと」
今年の冬も暖かい冬とはいえ、昼間と夜の気温差は大きいです。
これから1月2月になると寝床の寒さがきついです。
テレビで、この寝床の寒さを防ぐには、羽毛布団の下に毛布を掛けるのではなく、羽毛布団の上に毛布を掛けたほうがいいと。これは去年僕も考えてやってみたのですが、毛布のふんわりというものがなくなり布団カバーのひんやりとしたものがどうもダメでした。今年は布団カバーもふんわりしたものにしましたので大丈夫かな。。。。。
今夜試したいと思います。
それにしても、一度布団が温まると布団の中は30度ぐらいになるんですね。
そういえば、夜中に布団をはいでいるときがある。
寝床の寒さも寝てしまえばいいだけ。寝つきはいいです。
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池に浮かぶ月2095【12月11日】

2023年12月11日 21時52分15秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は大河ドラマ「鎌倉殿十三人」を楽しみに見ていました。
北条義時が承久の乱に勝ち執権とはいえ武士の力を強めました。
鎌倉幕府と後鳥羽上皇との荘園に対する衝突という経済対立が基本ですね。
この意味において革命です。もちろん頼朝によるはじめの革命があり、最終的な仕上げの革命が義時だったのでしょう。しかし義時も謎の死を迎える。この泰時が政治面で北条政権を作り上げる。
「鎌倉殿と十三人」はどこかユーモラスなところがありましたね。今の「どうする家康」はロマンが。大河ドラマとしてこういった面が必要か?でも、頼朝も義時もそして家康も人間としてはただのおやじの面を持つ。その人間という面での表現は必要なのでしょう。表現は史実ではないかもしれませんが。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2022年12月11日(日)「承久の乱」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

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2023年12月10日(日)「キックバック」

2023年12月10日 22時12分44秒 | 「政治・経済」
キックバック?
自民党安倍派幹部がパーティーを開いた「収益」からキックバックとして1000万円以上の金を受け取り政治資金として処理をしなかったニュースが広がっています。政治資金ではなく自分の懐に入れたということでしょう。
安倍総理時代から阿部派幹部は肩で風を切る勢いでいましたからね。何でもあり政治にどっぷりつかってしまっているのでしょう。
今も最大派閥ですから。。。。。
岸田総理を動かせる力がありますからなぁ。
人間力を持つと懐が大きくなる。金で。。。。。
コメント
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