昨日。
北海道の小学校で女性が殺された。
夜明け前。
東の空では金星と木星が並んで輝く。
明るいのが金星。
写真では、かすかにしか見えないが、
そのすぐ下にあるのが木星。
人口も少ない町の、さらに、生徒数の少ない校内での凶行。
(せたな町の人口は約一万人。事件があった区域人口は三千人弱)
犯人は捕まってみれば、21歳の同僚男性で、殺害の理由はといえば、
『学校経費の使い込みを指摘され、このままではまずい』
と考えたからだという。
あまりに短絡的。
あまりに幼稚。
もし、犯した犯罪が使い込みだけなら、この男は、
その何十万円かの使いこんだ金を返すことで、懲役にも行かずに済んだろう。
しかし彼は、小学生がまるで点数の低い答案を隠すように、
簡単に人殺しをしたのだ。
この男には.....
人の少ない、雪に閉ざされた町で殺人を犯せば、
すぐに自分に捜査の手が及ぶことが、想像できなかったのだろうか?
近頃の、犯罪を見て思うのは、それがあまりに浅い考えの上になされていて、
さらに『その後』をあまりに簡単に考えているということだ。
いつだったか。
まだ十代の息子が友人に依頼して母親を殺した事件があった。
当初、息子は犯人の目撃者として扱われていて、
彼はこんな風に証言していたと記憶している。
「金髪で青い服を着た男が逃げる後姿が見えた」と。
そして、それから間もなく、この少年は犯人として逮捕されたわけだが、
私はそのとき、こう強く思ったのを覚えている。
「コイツ、二時間サスペンスの見すぎだな」と。
人間が、とっさの、しかも実の母親が倒れている現場で、そんなにしっかり
そばにいた人間がどんな容姿をしていたかなど、覚えているはずがないし、
(実際に、大勢を前にそういった実験がなされた場合にも、
服の色さえ証言がバラバラになるという結果がある)
また、よしんば覚えていたとしても、『金髪で青い服』などという、
わかりやすい格好を、犯人がしているわけがない。
彼らの脳は冒されている。
子供の頃から、意識することなく、TVから流れてくる夥しい殺人が、
彼らの脳を冒しているのだ。
前述の少年が「犯人が逃げてゆくところを目撃した」と言ったのは、
そんなTVの陳腐な脚本を真似たのであろう。
しかし、事実は小説より奇なりだ。
そんなに都合よく犯人が逃走する瞬間を目撃出来るわけがない。
実際の物事はそんなに都合よく、ジャストなカメラ割りでは進んでいかないのだ。
......と話が少しそれたが。
最初に触れた北海道の事件の犯人も。
子供の頃から無意識に眺め続けたサスペンスや刑事ドラマのように、
自分が静かに連行され、「仕方がなかったんです~」と泣けば、
あとは適当にどうにかなると思っていたのかもしれない。
人情刑事が優しく同行を促し、車に乗せてくれると思っているのかもしれない。
それらのドラマでは、犯人がそこからどう服役し、そこでは何が行われるのか。
決して描いていないから。
今。
日本のドラマの中で。
一週間に殺される人間の数は何人だろう?
『フィクションだから』『殺人課の刑事のほうが絵になるから』『ドラマティックだから』。
そうして乱発されるお安いドラマが、国民の脳を冒してゆく。
想像力の欠如は人間からあらゆるものを奪い。
退化してゆく脳が、さらなる退化を生むのだ。