近頃。
テレビでよく、『大人の女性としてのマナーの先生』を見かけるが。
私には、彼女を見かけるたびに、強く抱くひとつの疑問がある。
お天気の良かった今日。
思ったよりも暖かだったので、河原でお弁当、食べてみました♪
「いったい、人は何をもって、彼女をマナーの先生と呼ぶのだろう?」
「いったい誰が彼女をマナーの先生と認めたのだろう?」
と。
いや。
確かに、この先生。
他人の家を訪問した際や、食事の際等の振る舞いにはお詳しいのだろうが.....。
私にはその話し方や、言葉の選び方が、実に品なく見えて仕方がない。
最近仲良しのこのにゃんこ。
いつしかこんな、無防備な姿も見せてくれるように(笑)
えっ、ニャに!?ゴンザ。
ちゃあこともこんなラブラブな時間を過ごしておきながら.....
浮気してるのっ?(怒)
まあ、とは言っても、私もことさらこの先生に興味があるわけでもないので、
その言動をいちいち覚えているわけでもないのだが(笑)
それでもあるとき、
この先生が、とある女性タレントのケーキの食べかたに対し、
言ったひとことは忘れられない。
いわく、
「それじゃあ汚らしいから」。
これは、その女性タレントが、
ケーキについている透明のフィルムを手ではがしたことに対しての指摘なのだが。
そのとき私は思ったのである。
誰に対してであっても、『汚らしい』なんて、
憎々しげで品のない表現をする人が、
なぜ大手を振ってマナーの先生でいられるのだろうと。
我々がお弁当を食べたテーブルには。
こんな風に、どこかのバカが、タバコを挟んで捨てて行ってた。
こんなことするバカ。
本人の顔も見てみたいが、親の顔も見てみたい。
なぜなら、日本語にはたくさんの表現があるわけで、
例えば前述の女性タレントの仕草が間違いなら、
「それでは美しくないから」「手やお皿を汚してしまうから」と、
そう言えばいいではないか。
だいたい、自他共に認める言葉使いの悪い私だって、
『汚らしい』なんて表現は使わないし、
むしろ、『汚らしい』などという言葉を使うくらいなら、
『汚ね~な~』と言うほうが、まだマシに思えるというものだ。
(なんならためしに口に出して言ってみるといい。 「汚らしい」「きたならしい」だよ?)
いくら高そうな着物を着こんで楚々と振る舞おうと、
人物に品がなければ、マナーもへったくれもないんじゃないか?
.....私はそう思うのだ。
(ちなみに私個人としては、難しい顔をしながらフォークでケーキを突かれるより、
待ちきれないという風に、手でバリバリッとフィルムをはがして
美味しそうに食べてもらえるほうが何倍も嬉しい)
気分の悪い写真のあとには、お口直しに美しい光景を。
畑へ向かう途上の梅林では、梅の花が今、まっさかり。
清清しい香りと、眩しい白が目にしみる。
そして、それがどんな行動を指摘するためであろうとも、
思いやりも気遣いもない、『汚らしい』なんて言葉を使う人間に、
マナー云々と、言わせてはいけないと思う。
だいたいそんな言葉を選ぶ人間には、
品など、もとから備わっていないのではないだろうか。
『良い品性』というのは、思い上がった、人を見下した心には、
決して備わるものではない。
本当の大人としてのマナーというのは、
言葉遣いや知識そのものではなく、
その人の、まさに品性にあるものなのだと思うから。
ゴンザの先輩より、希少なアグー豚。
いただきました♪