教員というものは、みんながみんなそうじゃないかもしれませんが、ついつい職業柄、いろんな人と出会う度に、「もしも、彼・彼女が私の生徒だったら…」ってな具合に考えてしまいます。橋下徹大阪市長、ご存じのように、彼は大阪府立北野高校出身。と言うことは、彼が私の生徒となった可能性もあったわけです。とすると、「もしも…」も、もっぱら現実味を帯びた想像となります。
「橋下徹も僕と同じように『同和教育』を受けて来たはずなのに、彼はどうして…」――以前、ある人からそんなことを聞かれたことがあります。その人は、自身が京都の中学で受けた同和教育すなわち被差別の問題や在日朝鮮人の問題を学び差別は許せないと思ったそうです。教育が絶対的なものとは思いませんが、なぜ、正反対の生き方が生まれてくるのでしょう。時折考えてしまいます。橋下徹にとって、同和教育とはどのようなものであったのでしょうか。
5月13日以降、彼が繰り返し言い続けている「慰安婦」発言には、歴史観以前の問題として彼の人間観が色濃く出ているように思えます。人間の弱さと狡さ――社会的「弱者」つまり、本人には何の罪もないのに戦争や差別のなかで被害者となった人々に対する容赦のない不寛容。彼は公教育の場でも競争原理を進めていこうとしていますが、それはまんざらよく言われるような新自由主義的な世界観からの発想ばかりでなく、誤解を恐れずに言えば、「敗者」に対するある種の嫌悪感のようなものがあるのではないでしょうか。彼は勝たなければならなかった、負ければどうなるかわかっていた。汚れた現実のなかで、現実を変えろなんてありえないこと。正義や人権などは彼にはきれいごとにしか見えなかったのかもしれません。
もしも、彼が私の生徒だったら、…。私の声は、彼には響かなかったのではないか?人権の大切さ、そんな世界がどこにある、建前言うな、きれいごと言うな、現実は弱肉強食の世界じゃないか、ウソつくな――私が教えた生徒のなかには何人かそう言う生徒がいました。決まって能力的には高く、それでいて社会的には被差別の状況にある生徒でした。その一方で、自らが受けた差別の状況を晒し、世界を変える立場に立った生徒もいました。そう考えると橋下徹は弱い人、世界が変わることを信じられないさびしい人なのかもしれないと思えてきます。彼を弁護するつもりなどさらさらありません。しかし、彼が大阪の中学・高校で何を学んだのか、そのことを考えることから、私たちは何かを学ぶことができるかもしれません。
以下は、ある機関紙に寄稿した一文です。わかりにくいかもしれませんが、上記の思いが根底にあります。
「橋下徹」から考える大阪の人権教育
辻谷博子
橋下徹の、「慰安婦」必要論、米軍への「風俗」活用の進言に多くの人々は驚愕し怒った。しかし、それはある意味彼の狙い通りだったのかもしれない。安倍自民に比して翳りが出始めた橋下維新に耳目を集め人気を回復するには、安倍総理が言えない「本音」を言う必要があったからだ。彼は一見思いに任せて感情的に発言しているように見えて、そこにはいつも彼なりの計算が働いている。
私が初めて橋下徹に接したのは2008年、彼が知事時代に開催した教育府民集会であった。会場から彼に対して多くの批判の声が飛んだ時、すかさず彼は声高に叫んだ。「みなさん、見てください。こんな教員が大阪の教育をダメにしているんですよ」。わずか数十秒、それが終わると自分の役目は終わったとばかりに脱力状態で着席していた。案の定マスメディアはこぞってその映像を使い、彼は見事に世論を教員バッシングへと結びつけることに成功した。
彼の政治手法を見ていると、人々の心の中にある妬みや蔑みや怨嗟、そういった負の感情をうまく操り、「本音」を言う政治家として名を馳せて来た。今回の発言も彼自身の「本音」であり、この世は「きれいごと」では収まらないと言いたかったのではないか。計算づくの発言でありながら、彼自身の戦争観、女性観、いやそれ以上に人間観が表れている。平和を希求することなく戦争を現実として肯定し、誰もが戦時には「慰安婦」制度を必要と考える筈だと言い放ち、軍隊を否定せずして、兵士に性的コントロールのための女性をあてがう必要性を説く。
大阪の人権教育は、戦争が引き起こす人権侵害、社会に厳然としてある差別や偏見、それらにどのように向かいあっていくかをテーマとしてきた。生徒は「変わらない現実」と「現実を変える」の間で揺れる。「橋下徹」がある種の現実だとすれば、今、彼を通して大阪の人権教育にひとつの課題が突きつけられているのかもしれない。