グループZAZA

「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

梅原さんを支援する会

2012-10-28 23:31:59 | 集会案内

※グループZAZAの一員である梅原聡さんは、今春の芦間高校卒業生の学年主任でした。参列した某府会議員は、梅原さんが「君が代」不起立であったことから、自らのブログで「残念な卒業式」と評し、多くの卒業生や保護者から非難を受けました。この問題は、「卒業式」とはいかなるものか、多くの人たちに考えさせることとなりました。

 

梅原さんを支援する会


◆11月11日(日)午後2時から

◆エルおおさか5階 研修室3

なお、梅原さんが7月に書かれた「同僚への手紙」を是非お読みくださいhttp://blog.goo.ne.jp/zaza0924/e/917aee2a109a4ff0d99a11788ef945dc

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未来をつくるのはだれか?

2012-10-28 10:24:28 | 当該から

 ※ZAZAの一員山田肇さんの「不起立」表現を多くの方に知っていただきたいと思います。

 

未来をつくるのはだれか?                

高槻市立南平台小学校   元教員 山田 肇

 僕は3月末の定年退職後、再任用でまた4月から働く願いを持っていました。だが、それは夢まぼろしと消え、卒業式の『君が代』のわずか50秒、座ったことを理由として、合格していた再任用を取り消されてしまいました。このことは、これからの大阪の教育に大きくかかわることだと考えています。

 

白濱先生らの反省と決意から、戦後の教育がはじまった!

 4月5日放送のMBSテレビのドラマ『ブラックボード―時代とたたかった教師達』を見られたでしょうか?主人公の白濱先生は、戦争中、子ども達を前にして「この聖戦に勝つしか、日本に未來はない」と語り、自分も招集を受けフィリピンの戦場で片腕を失いましたが、敗戦後、帰国しました。だが、教え子は戦死し、あるいは失明し、あるいは今も心で戦争している兵士のままでした。そして、とまどい悩みながら再び教壇に立とうとする白濱先生に、教え子の一人は「子ども達を戦場に送りこんだ先生に、教える資格がない。」と言います。それに対して、白濱先生は「先生はまちがっていた。聖戦など、どこにもない。人を殺し、腕をもがれ、命乞いした、このぶざまな姿を黒板の前にさらすことでしか、あやまることも答えることもできない。」と言って、黒板に未来と書き、「みんな生きろ。そして、未来をつくれ。」と言います。

「教え子を戦場に送り出した」白濱先生らのこの反省から、戦後の教育は出発しました。そして、戦後の先輩教師は「教え子を戦場に送るな」というかたい決意で、子ども達の「未来をつくる」ために闘いました。だが、その闘いは、子ども達を侵略戦争の戦場に送り出した大本の天皇制や、また、その道具立てであった『日の丸』『君が代』にまでは至りませんでした。しかし、その責任を戦後の先輩教師に負わせても何も解決しません。いまだ『日の丸』『君が代』があり、卒業式や入学式をとおして学校現場に持ちこまれていることは、僕たち現在の教師の責任だと考えてきました。そして、僕は、侵略戦争の血にまみれた『日の丸』『君が代』が卒業式にもちこまれることには反対ですという意思をこめて、『君が代』と同時に静かに座りました。

 

『誓約書』という『踏み絵』をふまないから、再任用取り消しか?

 3月27日、『戒告処分』を通告されました。しかし、『研修』と「今後、卒業式、入学式の国歌斉唱の職務命令に従う」(『誓約書』)という文書の署名・捺印をせずに、その場を出ました。『誓約書』に署名すれば、卒業式の『君が代』で座ったことが間違いだったと認めることになります。非は、卒業式に『日の丸』『君が代』をもちこみ、それを強制する校長―教育委員会にあると考えているのに、『誓約書』は、僕に「考えを変えろ、転向せよ」と言っていると思い、署名・捺印をしませんでした。

3月29日、再任用に合格していたにもかかわらず、『再任用取り消し』通知を受けました。「勤務実績は良好でない」からだそうです。『君が代』で座った、この一点で、このことを唯一の理由として、大阪府教育委員会は、「勤務実績が良好」から「良好でない」へと判断を急転直下させました。

 そして、僕と同じく、『戒告処分』を受けたが、その後『誓約書』を出された高校の先生(1名の方をのぞいて)は、再任用が取り消されませんでした。ということは、『誓約書』を出すか、出さないか、この『踏み絵』で再任用の可否を決めたようです。新聞報道によれば、『誓約書』は「任意」のようです。「法律に従うのが教育公務員」だとする彼らが、法律にもとづかない「任意」の『誓約書』で再任用の可否を決めたことになります。これは、大きな問題です。

 3月30日、大阪府人事委員会に「戒告処分」と「再任用取り消し」に対する不服申立書とその理由書を提出、7月27日には府教委の答弁書に対する反論書を提出しました。

 

命令や処分で教育が成りたつか?

 白濱先生は、子ども達に「未来をつくれ」と言いました。未来をつくるのは、子ども達であり、教師であり、また労働者市民の力です。そして、子ども達の未来をつくる教育は、一人一人の自立した教師の考えや活動と、それをつなぎ合わせた協同の力で成りたつものだと思います。教師が「何が正しくて、何がまちがっているのか」を考えず、命令や処分をふりかざす校長や教育委員会のロボットのごとく動かざるをえなくなってしまったら、いったい、教育と子ども達の未来はどうなってしまうのでしょう?

そう考えて、僕は人事委員会で「戒告処分」と「再任用取り消し」の不当性を訴えて闘います。

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根津さんの怒りは私たちの怒りです

2012-10-28 07:55:12 | 当該から

 ※グループZAZAの一員山田肇(高槻市立小学校元教員)も根津さんの怒りに共感を示しています。


(根津さんの)怒りのメールを読ませて頂きました。

最高裁判所の判決を読むと、怒りが僕もわき出てきます。

不起立は、「思想・良心の核心の表出」であって、

職務命令による強制は、憲法19条に違反という判決が、なぜ下せないのかと思います。

と言っても仕方がないので、

抵抗の輪をつくるしかないと思います。

10/26、僕の「支える会」で南平台小出身の奥山弁護士に来ていただいて

講演していただきましたが、

結論は闘う陣形を広げるということでした。

連帯して闘います。がんばりましょう!

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東京君が代裁判判決(根津さんからの報告)

2012-10-28 07:24:37 | 東京の根津公子さんからのメール

※東京の根津公子さんがいくつかのMLに流されたメールをご本人の了承のもとに掲載します。2012.1.16最高裁判決を踏襲している今回の判決に、改めて、先の最高裁判決に対する怒りがよみがえりました。そして、司法つまりすべての裁判官に「教育とは何か」をわかってもらわなければならない、それが私たちの使命だとも感じました。「司法は人権の最後の砦」と思い出してもらうためにも。

東京の根津公子です。

04、05年東京小中「君が代」裁判・控訴審判決(東京高裁民事21部齋藤隆裁判長)の報告です。

 25日に、私を含む東京教組(小中)組合員10人の「君が代」控訴審判決がありま
した。今年1月16日の最高裁判決そのままの不当判決でした。

 処分の内訳は、7人が1回の不起立で戒告、Aさんは2回の不起立で戒告と減給1ヶ
月、Bさんは2回の不起立と1回目の不起立に係る再発防止研修拒否でそれぞれ、戒
告、減給6ヶ月、減給1ヶ月、私は「過去の処分歴」を累積され2回の不起立で減給
6ヶ月、停職1ヶ月のところ、判決は、Aさん、Bさんの減給処分を取り消す、9人
の戒告及び根津の控訴は棄却するというものでした。

 すべての処分を是とした地裁判決を変更したのですから、判決の良し悪しに関わら
ず、裁判所はその変更理由について説明責任を負うはずです。しかし、それはせず
に、次のように判示しました。

①「本件(起立を求める)職務命令は憲法19条に違反するものとはいえない」か
ら、「懲戒処分の中で最も軽い戒告処分を選択した都教委の判断は、違法であるとは
いえない」

②「戒告を超えて減給の処分を選択することが許容されるのは、処分歴や不起立行為
等の前後における態度等に鑑み、学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不
利益の内容との権衡の観点から当該処分を選択することの相当性を基礎付ける具体的
事情が認められる場合」。その観点から判断すると、

 Aの不起立は「積極的に式典の進行を妨害する行為態様ではなく」、「2回目の不
起立を特に重く処分しなければならない事情はうかがわれない」
 Bの、2回の不起立はAと同じ。再発防止研修拒否については「研修の受講拒否の
態様も、本件研修の会場の外にいて、会場に入らなかったというものであり、本件研
修の実施を物理的に妨害するような行為には出ておらず、処分の加重を根拠づける事
情もうかがわれない」し、それを「処分歴として考慮することはできない」。

 したがって、A、Bともに減給は、「処分の選択が重きに失するものとして社会通
念上著しく妥当を欠き、懲戒権者(都教委)の裁量権の範囲を超えるものであって、
違法である」

③根津は、「過去に、不起立行為以外の非違行為による2回の懲戒処分及び不起立行
為による2回の懲戒処分を受け、前者のうち本件減給処分1(注 根津:1994
年)は、卒業式における国旗の掲揚の妨害と引き降ろしという積極的に式典の進行を
妨害する行為に係るものであり、同処分2(2002年)も、授業参観後への協議会
に出席を命じられながら、3日間継続してまったく出席しなかったというものであ
り、職務命令違反の態度が著しく、更に国旗や国歌に係る対応につき校長を批判する
内容の文書の生徒への配布等により2回の文書訓告を受けており、このような過去の
処分歴に係る一連の非違行為の内容や頻度等に鑑みると、停職処分を選択することの
相当性を基礎付ける具体的な事情があったものと認められる」から、「違法であると
はいえない」。

  
 まずは、判決文を読んで意味不明だったことをあげます。
 上記③の下線部分、「過去に」がどこにかかるのかが分かりません。
「、」があるのですから、下線部分すべて(2回+2回)にかかるのかと思います
が、根津は2005年以前に不起立処分は受けていません。もしも、2005年の不
起立を指すのであれば、ほかの人たちのように、「本件不起立行為」と書いたはずで
す。よく把握していないままに判決を書いたのかと疑ってしまいます。

 
 1月16日の判決時も感じたことではありますが、判決を読んで感じたことをいく
つかあげます。

ア.同じ不起立行為でありながら、A,Bさんの不起立は「積極的妨害ではない」と
書く。06年事件でも、河原井さんの不起立は「積極的妨害ではない」と書いた。根
津の不起立は、他の人のそれとどう違うのか、また、それを何で立証できるのか。

イ.「積極的妨害」とか「職務命令違反の態度が著しく」など、根津については裁判
官の悪意に満ちた主観で決めつける。根津は当時の生徒たちの声を示したにもかかわ
らず、それには蓋をし、結論づける。はじめに結論ありきだ。

ウ.過去の処分を持ち出して累積加重処分を容認するのは、一つのことで2度(以
上)の処分をするも同じ。

エ.複数回の不起立で原則、戒告であるならば、根津の不起立処分は減給6ヶ月から
始まったのであるから、毎回減給6ヶ月ならば、公平性が担保されるのではないか。
方や戒告、方や累積加重処分、どう考えてもおかしい。これでいけば、免職だったと
しても是認したのではないか。

 1・16最高裁判決は、「不起立行為等の前後における態度等」によっては「戒告
を超える重い処分」も可、と読み取れる判決であった。早速都教委はこの判決を援用
し、今年(から)の不起立者に対し、再発防止研修を質量ともに変え、「頻繁に研
修・反省の機会を与えたのに反省に至らなかった」という実績作りに乗り出した。こ
れからも不起立を続ける現場の教員を免職にさせない、広範な取り組みの重要性を思
う。

オ.根津への悪意に満ちた判決は、民主的決定による学校づくりや、生徒が事実をも
とに自分の頭で考えることができるよう事実を提示する教育実践への司法の嫌悪と弾
圧であり、見せしめにすることが目的なのではないか。


話は変わって――
 1週間前の10月18日に、私の友人の08年「君が代」処分及び非常勤教員合格
取り消しに対する裁判の控訴審判決がありました。裁判長は、都立学校及びアイム
‘89の04年処分の控訴審で処分を取り消したあの大橋寛明裁判長でしたが、その
裁判長が今度は何の断りも説明もなく、最高裁判決にならい控訴を棄却しました。
一度は処分の取り消しを出した裁判長でさえ、最高裁には逆らわない。仕事に対する
責任とか誇りとか、ないのでしょうか。

 この大橋裁判長、25日には、組合を結成した松沢弘さんを解雇したフジサンケイ
グループを訴えた反リストラ産経労に対して「控訴棄却」の不当判決を下したことを
添えておきます。
                                10月27日
 
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憲法違反の定めが知らぬ間に制定され「われわれ個々の意思・思想・宗教・生活」が侵される危険

2012-10-27 23:27:48 | 

※以前にもコメントをお寄せいただいた“waki”さまから、第3回「山田先生を支える会」に参加された感想をいただきました。私たちに対する応援歌であり、また運動の進め方についての助言とも受け取りました。君が代不起立問題の本質とは何か、一緒に考えてみませんか。

「日の丸・君が代」に・・・ (waki)

「山田先生を支える会(第3回)」に出席させていただきました
参加者の多くは「天皇制及び右傾化反対」の思いから活動を続ける、また始める方々だと感じました
「先の大戦による一般市民が被った悲惨」を直接または間接に知る方々にとって、この山田先生等の行為は「教育(現場)の大問題提起」であるのだと認識します。

しかし、ぼくには少し異なります
身近な存在であった「T先生」の行為についての応援はもちろんですが、そこに真っ先に感じたものは「基本的人権の尊重」「信教の自由」という「憲法」に保障されるべき「自由」を不当に制限されようとしている現実に対してです。

ぼくは父母の戦争体験を直接耳にするほぼ最後の世代です。そして受けた教育のなかで「憲法」が国の最高の法であり、これを犯すことは国の根幹を崩すものと認識してきました。「戦争・軍隊放棄」もまたそうです。
しかしこれがどういうことかと云うと「象徴天皇制」に対する嫌悪感はありません。また「君が代」そのものは「国(=国民)の象徴」たる天皇への「賛美歌(決して神だとはおもいませんが、『応援歌』では逆に国民を貶めることいなりそうで)」のようなものと。また「日の丸」は歴史的に利用されたかもしれませんが、デザインが単純明快でそのものに「皇国史観」は感じません。
「国歌=君が代」は不適当
「国旗=日の丸」は容認となります
このどちらもが「憲法」で規定されているものではないのですが、別の法によって規定されており、そこから派生した「職務命令」などの内容は明らかな「憲法違反」だと感じています。

「山田先生を・・・」の最終でも話しましたが、現代の多くの人々にとって「君が代・日の丸」は嫌悪感なく受入れられているのは事実だと感じます。このことを「歴史を考えてごらん。とても危険なことだよ」と耳にしてみても違和感を受けるだけではないでしょうか。さらに詳しい事実を知ってこそ「問題!」と感じる様になるでしょうが、そこには至らない「無関心」

ぼくは行為としての先生方の「日の丸・君が代反対」行動を理解できますが、本質は別のところにあるのだと多くの人が気付くような方法がないのだろうかと考えます。

一般市民に「君が代・日の丸反対」の中味に興味をもってもらうことよりも、この行動の原点には、憲法違反の定め(取り決め)が知らぬ間に制定され「われわれ個々の意思・思想・宗教・生活」が犯されていく危険を知らしめなければいけない時がきているのだと思います

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