※大阪市職員に対する入れ墨調査は明らかな人権侵害です。教員に対して条例と命令で「君が代」が強制されていますが、どちらも狙いは同じです。「こんなことはおかしい」と思う人々に敢えて「踏絵」を踏ませ(おかしいと思いながらも従わざるを得ない)、ある種の思考停止状態にすることが狙いなのではないでしょうか。「踏絵」を踏んだ後は、なかなか自分の意見を主張することは難しくなります。つまるところ教員も職員も支配下におき、一切、「ものを言わさぬ」つもりなのでしょう。
10月22日、なかまユニオンの矢野さんと津々木さんが、大阪市人事委員会に対して、処分不当の申し立てを行いました。
その後の集会で労働問題に詳しい西谷敏さんが講演されたレジュメを掲載します。
入れ墨調査と公務員の人権
2012年10月22日エルおおさか
講演 西谷敏(大阪市立大学名誉教授)
1 公務員関係(労働関係)のとらえ方
橋下市長は、ことさらに公務員の義務を強調するが、その一方で身分保障を否定しており、明らかに矛盾している。
また、「身分から職業へ」(維新八策)と言いつつ、公務員の特殊性を強調する。全体の奉仕者と言うよりも橋下市長の奉仕者にしようとしている。
憲法の描く公務員像は、民間労働者と「勤労者」(憲法28条)という点で共通する。憲法で言うところの「勤労者」には公務員も含まれる。労働基準法は国家公務員には適用されないが、地方公務員には適用される。
公務員は全体の奉仕者(憲法第15条2項)として一部権利が制限されているが、これは国民(市民)に対して区別することなく業務をするという意味である。
公務員は政治活動について制限されているが、これは公務員の特殊性からして客観的に認められる範囲に限られる。国家公務員が休みの日にビラを配布して裁判になっており、最高裁での判断が注目されている。
2 一連の人権侵害
職員アンケートは思想と組合に関する調査であり、組合への抑圧だった。そしてアンケートの狙いは、思想を持って活動することを許さない、組合役員と職員を分離することにあった。
職員基本条例が制定されたが、その特徴は①管理職(区長、局長など)の公募・任期付き採用 ②徹底した能力・成果主義 ③厳罰主義 ④余剰人員の分限免職 だが、人権の観点からは特に厳罰主義が問題である。
また、橋下市長は政治活動を制限する条例を制定した。日本は先進国に例を見ないほど国家公務員の政治活動を規制している。アメリカやヨーロッパ諸国では、公務員の政治活動への規制は殆どない。ところが、橋下市長は地方公務員の政治活動を国家公務員並みに大幅に規制した。そして、違反に対する制裁は、免職を中心とする厳罰の方向である。橋下市長の狙いは、成績主義と厳罰主義による職員の管理である。
こうした動きに便乗して自民党が今年の8月に、地方公務員の政治活動禁止を国家公務員並みにする法律を国会に上程した。
こうした施策は、表現の自由の侵害であり、民主主義の侵害である。
更には橋下市長は、労使関係条例を制定した。組合事務所の貸与や組合費のチェックオフなどを廃止した。また、団体交渉事項を「管理運営事項」として制限し、団体交渉を形骸化した。当局からすれば「管理運営事項」でも組合側からすれば労働条件となる事項はいくらでもある。
こうした団結権否認の意味するところは、労働組合の弱体化である。橋下市長は、当初は「適性かつ健全な労使関係」と言っていたが、条例からこの言葉を消した。つまり、労使関係の適正化を目指しているのではなく、組合の弱体化を狙っているのだということがはっきりした。
トップダウンの一元的な管理体制を作るためには組合は邪魔であり、それが大胆なリストラのための条件作りとなる。
3 入れ墨調査と懲戒処分
こうした調査は、調査の目的、性格、何処まで従うべきかが問題となってくる。また、調査の前提としては、調査目的が適法で合理的であることが必要である。つまり、労働者が労働契約上、調査に協力する義務を負うと認められることが必要である。
富士重工業事件(昭和52年12月13日判決)は、会社内に原水禁運動をしている労働者がいて、その人からどんな働きかけがあったかを会社が調査したときに、その調査を拒否した労働者がいたという事件。判決では、企業内秩序を維持するために管理職はその調査は有効だが、一般労働者は無効となった。
西鉄事件(昭和43年8月2日判決)は、バスの運転手に対して勤務終了後にバス代を取得していないか靴を脱がして調査したという事件。これに対して最高裁は、全員に差別なく調査を行なっており、業務上もその調査が必要と認めた。いずれにしても、その調査の合理的必要性が問われる。
入れ墨の歴史は古く、5300年前からあったという資料がある。入れ墨の目的は①固体識別:ナチスの突撃隊に入れ墨をした。それは最前線で戦う突撃隊の兵士が負傷した場合に優先的に治療をするためだった。また、ユダヤ人に入れ墨をしたのも識別のためだった。
②刑罰:江戸時代に罪を犯した人に罰として入れ墨を入れた。
③暴力団関係者の入れ墨:社会からの離脱、痛みに耐える、他の人への威圧が目的だった。しかし、暴力団に対する取締りが強化されてからは、地下に潜伏する必要から入れ墨はしなくなった。
④ファッション(1960年代末アメリカから):最近の入れ墨(タトゥー)は、殆どこれになっている。
入れ墨に対する法的規制はないが、唯一暴力団対策法第24条で「未成年に入れ墨を強制すること」を禁じている。
入れ墨には2種類ある。まず、一定の反社会集団とのかかわりでなされた入れ墨だが、過去の経緯があったことから入れ墨をしたとしても現在ではまじめに働いているのなら何ら問題はない。もうひとつは、趣味としての入れ墨だが、これはプライベートな領域であることは当然である。
今回の入れ墨調査に合理性はない。特に全員を対象とした強制調査は必要がない。したがって調査を拒否したことへの懲戒処分は、無効である。
今回の調査は、職員に対する管理強化が目的だった。橋下市長は「職員の入れ墨を知らないとマネジメントができない」と発言したが、入れ墨と市政運営は関係がない。誰かが、「そういう調査は許さない」と言わなければならない。あれだけ職員がいる中で、入れ墨調査を拒否したのが6人とは、いささか寂しい気もするが、拒否した職員には敬意を表したい。
4 攻撃の背景と人権意識
公務員攻撃に拍手を送る市民は、3つの側面がある。納税者としての市民、行政サービスの受益者としての市民、労働者としての市民。労働者は就業者の87.7%なのに、何故他の労働者が公務員バッシングに加担するか。
国家公務員の30%は非正規となっている。非正規の労働者から見れば、同じ仕事をして給料は倍ほど違うことに納得していない。また、ワーキングプアから見ればねたみもある。民間の過重労働している正社員から見れば、公務員は楽だと映っている。このように公務員と市民の対立は、労働者内部の対立でもある。したがって、官民、正非正規の連帯が求められている。
世論調査結果を見ると、憲法で表現の自由が保障されていることを知っている人は35%、労働組合の結成の権利を知っている人は21.8%となっている。しかもこの率は年々低下しており、しかも労働組合の組織率(現在は18.5%)と並行して下がっている。
権利意識を取り戻していく取り組みが求められている。
以上