ダイソーの2個で100円のヘアクリップにねこを付けてみました。
本書のなかで取り上げられている「症例:アンネ・ラウ」は入院先での主治医との間での語りの中で、
「当たり前ということがわからない」「指導してくれる人がいないと何も出来ない」等
語っているが、母親がアンネ・ラウは父親からボロ布のように扱われていた、
と語っていてることから考えると、アンネはずっと考える余裕もなく周囲の言いなりになり過ごしてきたのではないだろうか。
入院して親から引き離されたことで余裕が生まれ、感じたり考えたりするようになり、上記のような事を
語ることが出来るようになったと考えられる。
虐待家庭から引き離されることで回復に向かう事が多いのも、無理やりやらされていて
言いなりになっているのみの生活がそうでないものに変化するというケースが多いからなのだろう。
この著者は普通の家庭しか知らず、親が子どもを世話したり守ったりすることのない家庭というものを
知らなかったので、自らの患者を理解できなかったのだろう。
ブランケンブルクの「自明性の喪失 分裂病の現象学」で取り上げられているような、
今ならば発達障害と見なされるような患者さんを語りを基に書かれているものだが、
著者の言うところの「運命共感的態度」という、相手を変えようとするよりも、相手の状態を受け入れるあり方で
患者さんに関わることで、相手が自らの不自然さや不全感を語る事につながるとのことだが、
発達障害の臨床においても、相手を変えようとするよりも相手のあり方を共感的に受け止めることが、
結果的に患者さんが自らの状態を自覚し、変化する方向に向かいそうである。
「運命共感的態度」で接することは、SSTなどの相手の出来ることを増やそうとするアプローチよりも、
深いところでの変化につながりそうである。
いろいろと語られることのある映画ですが、こちらにとって一番印象に残ったのは、
マイケル・ダグラスが食堂のおばちゃんから箸の持ち方を教わるシーンでした。