マチンガのノート

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魂と暴力(ユング心理学研究 第3巻)「発達障害における『イメージと言葉の解離』について」渡辺あさよ

2013-08-19 10:53:39 | 日記
この研究論文の中で、発達障害の事例として取り上げられている男性が、
「強制労働をさせられているようで、勉強するのを止めたら殺されそう」
で止めれないとのことだが、周りの誰も信用できず、社会制度も当てにできず、
奴隷のように、勉強をしていると言う事だろう。
そうならば、SST、各種療育、治療なども、本人に対して
「強制」「奴隷」という受け取られ方をしないようにしなければ、
余計に「無理矢理」やらせて、本人の「主体」を育むのとは、
逆に働くのではないだろうか?
発達障害の場合、本人の、主体、内的感覚が不確かなために、イエス、ノーが
本人にとっても曖昧なので、よほど気を付けないと、「無理矢理」「強制」に
なって、反治療的になりかねないのではないだろうか?
本人の主体、内的感覚、快不快を最大限に尊重するのに余程気を付けなければ、
何をやっても、「無理矢理」記憶して、対応するパターンを増やすだけで、
治療には結びつかないのではないのだろうか?
畑中千紘氏の言う、「引き算の発想」(「話の聴き方からみた軽度発達障害」)というのは、
「無理矢理」記憶して、物事に対応しているのを減らして、
本人の内的感覚、快不快に応じて、行動するのを少しずつ増やしていく
と言う事だろう。そういうことが「主体」を育てる事だろう。
周りの、治療、療育関係者も、善意と良心をもって、対応しているのに、
知らないうちに「無理矢理」「強制」になっているのには
気づかない事が多いのではないだろうか?