猟師と虎の戦いに、その他が絡んでくる映画かと思い鑑賞してみたら、
もっと深い内容でした。
エンタメ映画としても、十分に見れます。
ロシア映画が好きな人には、合うと思います。
隻眼の虎 アマゾン
自閉症児の治療などで様々な実績を残した山中康裕氏だが、
本人が教え子たちに教えたりしても、教え子たちは理解できなかった等、
聞いたことがあるが、本書では山中氏のプレイセラピーのなかの
幾つかのポイントについてふれ、暗闇についての考察のあと、
プレイセラピーの中での暗闇への同化と、そこから竹中氏自身が
なんとなく口にする言葉や行動により、どのようにクライエントと治療者の間に
自己と他者が生成していくかを解説している。
それに関しては、言葉のない重度の自閉症でなくても、
主体の生成プロセスの止まっているクライアントには共通のものが
あるという。
岩宮恵子氏書いているように、最近の中学生位では、主体がとても希薄でも、
表面的なテクニックを覚えて、日常を過ごしている子供がいるという
事とも関係があり、ある程度言葉を使ったり、日常生活を送ったりしていても
主体の生成がとまり、空虚なパターン化で行動している場合にも、
同じことが当てはまるようだ。
療育的アプローチは、その子供がハンディキャップを抱えていても
何とか世界でやっていく方法を身につけさせようとして、
発達心理学のアプローチは、その相手が他人との関係を
発達させられるような方向を目指す。
双方ともある程度の主体があることを想定している。
しかしながら、その主体もないとすれば、どのような関わりが、
主体を発生、生成させることにつながるのか、を本書では
検討している。
マイケル・バリントの「治療論からみた退行」が、重症例の治療において
多く人の役に立ったように、本書も自閉症圏の治療に役立ちそうである。
本書では暗闇について検討してゆき、自己も他者も未成立な状態を暗闇にたとえ、
どのように暗闇の中で自己と他者がともに立ち上がるのかを
症例を挙げながら論じている。
時々名前を見かけるので、なんとなく読んでみたのだが、
久しぶりに本格的な思考の深さのあるものを読むことができた。
山中康裕氏の自閉症児との臨床に関して、かなり深く踏み込み
考察していて、ここまで深く考えて納得のいくことを書いている人は
これまで居なかったのではないだろうか、と思った。
療育的アプローチや発達心理学的な考えとも違う、
深い考察をしている。
自己と他者の発生に関わるという事に関して読めてよかった。