岡野憲一郎氏のブログ、著作などを読んでいると、
発達障害の人の相手の表情、感情を読み取る能力の欠如などは
素因に基づく所が多いように捉えているようである。
岡野氏は、荒んだ家庭のネグレクト、虐待、様々な欠乏、欠如について
ほとんど知らないのではないだろうか?
「愛を知らなかった子」(ダイアン&バーニー・リーロウ著:講談社)で描写されている
ような、基本的な世話やまともな食事等が無いような家庭では、
相手の表情を読み取るような関係、感覚を育てる基盤が
がそもそも無く、その為、自己をコントロールするだけの主体が生成されず、
周囲の雰囲気や感情を読み取るところまで感覚も育たないため、
表情が乏しく、生気もない状態で、ただ何か言われたことを
自分の好みや考えも持てずに単にこなすだけの状態で、周りに合わせる、
協調して行う事ができず、孤立して行き、更に周りとの関係を
持てなくなって行くのではないのだろうか?
岡野氏は「恥と「自己愛トラウマ」」という本を出しているが、
そもそも生まれた直後からまともな養育を受けずにいると、
自己愛自体が形成されないだろう。
岡野氏はブログで、発達障害の人は集団の中で生き残るため必要な序列の感覚が無く、
等書いておられたが、そもそも家庭などで世話をされたり、養育された経験がないと、
守ってもらえる、助けてもらえるという発想も持てず、序列というものを
理解し得ないだろう。
臨床家にとっては、病院や心理センターよりも、養護施設や
児童相談所などのほうが、クライアントについて深く知る機会が
多いのではないのだろうか?
精神科医の小倉清氏は、刑務所などで犯罪を犯して収監されている方と話して、
「赤ちゃんの頃から、親を殺そうと思っていた」と話される人もいた、
とのことで(「飢餓陣営」42号、「面接で語られる乳幼児体験」)
乳幼児からの積み重ねから、様々な事に繋がって行く、とのことを
書いておられる。
素因を仮定する前に、その様な生育歴から見ていく事が必要では
ないのだろうか?
発達障害の人の相手の表情、感情を読み取る能力の欠如などは
素因に基づく所が多いように捉えているようである。
岡野氏は、荒んだ家庭のネグレクト、虐待、様々な欠乏、欠如について
ほとんど知らないのではないだろうか?
「愛を知らなかった子」(ダイアン&バーニー・リーロウ著:講談社)で描写されている
ような、基本的な世話やまともな食事等が無いような家庭では、
相手の表情を読み取るような関係、感覚を育てる基盤が
がそもそも無く、その為、自己をコントロールするだけの主体が生成されず、
周囲の雰囲気や感情を読み取るところまで感覚も育たないため、
表情が乏しく、生気もない状態で、ただ何か言われたことを
自分の好みや考えも持てずに単にこなすだけの状態で、周りに合わせる、
協調して行う事ができず、孤立して行き、更に周りとの関係を
持てなくなって行くのではないのだろうか?
岡野氏は「恥と「自己愛トラウマ」」という本を出しているが、
そもそも生まれた直後からまともな養育を受けずにいると、
自己愛自体が形成されないだろう。
岡野氏はブログで、発達障害の人は集団の中で生き残るため必要な序列の感覚が無く、
等書いておられたが、そもそも家庭などで世話をされたり、養育された経験がないと、
守ってもらえる、助けてもらえるという発想も持てず、序列というものを
理解し得ないだろう。
臨床家にとっては、病院や心理センターよりも、養護施設や
児童相談所などのほうが、クライアントについて深く知る機会が
多いのではないのだろうか?
精神科医の小倉清氏は、刑務所などで犯罪を犯して収監されている方と話して、
「赤ちゃんの頃から、親を殺そうと思っていた」と話される人もいた、
とのことで(「飢餓陣営」42号、「面接で語られる乳幼児体験」)
乳幼児からの積み重ねから、様々な事に繋がって行く、とのことを
書いておられる。
素因を仮定する前に、その様な生育歴から見ていく事が必要では
ないのだろうか?