BSで視聴。いろんなサイトで低評価ですが、普通の人っぽい米国人青年が、
タイでできたタバコ売りの貧しい彼女にいろいろなものをあげたいので、
知り合いと組んでカンボジアに行って強盗をする、というのはありそうな話でした。
しかしながら、日本のポスターと海外でのポスターの違いに驚きました。
セガールは犯罪組織のボス役として少し出る程度で、あくまで左右の二人がメインの話です。
作りの雑さと緩さがかえって良かったです。
強盗をする彼氏の普通っぽさと、彼女役の綺麗さでそれなりになった映画だと思います。
Pim Bubear Showreel
本書では、医師である湯沢千尋氏と、あまり症状のない患者さんとの遣り取りが取り上げられている。
その多くは、「当たり前ということが解らない」「普通というものが解らない」など、
ブランケンブルグの症例とかなり重なるところがあるが、こちらの方はいくつかの症例が挙げられている。
臨床心理学の方では、発達障害のことに関して、主体が未成立、未だ生まれざる者、などと表現しているが、
ラカンなどに詳しい十川幸司氏によると、どのような価値体系で人格を築こうと、
そこに絶対的な確かさや正当性というものは無いとのことである。
本書で取り上げられている患者さんたちは、親などの周囲の影響で通学や就労などの様々なことをしてきたが、
周囲の価値体系などに同一化せず、人格を築かずにやってきていて、そこでかなり無理があり疲弊し、
医療に関わった時に湯沢氏が、運命共感的に関わったため、実際のところは何にも同一化していないことを言語化でき、
思考化できたのではないだろうか。
一般的に見られる、受験が済むと自宅や下宿でゴロゴロしている、一人でゲームばかりしている、
喫茶店で駄弁ってばかりいる、などの状態と似たところがある事だろう。
本書の患者さんたちは、湯沢氏との面接場面がそのような余裕を持てる場所として機能し、
何にも同一化せず、主体が未成立な状態を「当たり前のことが解らない」などと
言葉で表現できたのだろう。
バリントの言うところの「地火風水」として治療者が在ることができたことが大きそうである。