河合隼雄は80年代に不登校のことなどで、『カウンセラーは犯人探しをするな』等書いていたが、当時から様々な問題があり
学校どころではない家庭は結構あったと思う。
普通の家庭の不登校のことを取り上げて色々言うのは、国内の経済が良くいろいろ安定していてメディアも限られていた当時はそれなりに意味があったのだろうが、
今から考えると経済的に大変だったり、家庭の中で虐待があるなどの、本当に困った状態の人たちを無視していたのだろう。
河合隼雄は80年代に不登校のことなどで、『カウンセラーは犯人探しをするな』等書いていたが、当時から様々な問題があり
学校どころではない家庭は結構あったと思う。
普通の家庭の不登校のことを取り上げて色々言うのは、国内の経済が良くいろいろ安定していてメディアも限られていた当時はそれなりに意味があったのだろうが、
今から考えると経済的に大変だったり、家庭の中で虐待があるなどの、本当に困った状態の人たちを無視していたのだろう。
うちの母親は戦前の韓国で、日本の商社の支社長の娘として生まれ、8歳くらいまで向こうにいて、
敗戦ですべて失って帰ってきたとのことだった。
産まれて三ヶ月で産みの母親が亡くなり、おばさんの育てられたと言っていたので、母性的な世話をされた体験が
少なかったのかもしれない。
経済的に豊かで家にある絨毯一枚でも、一生食べて行ける位の価値があるもので、姉には家まで教師が来て教えていたそうだ。
そのような立場で小さい頃を過ごしたことと、本人も学校の筆記試験は出来たほうだったことから、
弱い立場や貧しさを、嫌悪したり見下していたのだろう。
自分が結婚した相手は大学校卒だったが、そちらの家庭は貧しさが身についていて、その中で自分は
嫁という弱い立場だったので、相手の家庭も自分の子供も嫌悪していたのだろう。
相手のきょうだい達からいじめられても、夫は守ってもくれないことから、実家に子供を連れて
戻ろうと思ったが、その頃には実の父親は亡くなっていたので、逃げ出す先もないので、
しばらく我慢したが、それでも変わりがないことから、子供を置いて出ていこうとしたときに、
夫の転勤が決まったので、出た行かなかったと言っていた。
社会階級や学校制度などの影響というものを考えさせるケースである。
映画 『愚行録』予告編【HD】
哲学者の内田樹さんは、合気道の教え子から『家のない若者が結構いる』と聞いても想像できず、
家に居ると決まった役割があり、それが嫌で家を出ているのだろうと想像したようだ。
それと同じように、『親が敵である』という事も、想像できない人が多いのだろう。
団塊の世代の学生運動は衰退していったが、ある程度恵まれた層でしていて、
本格的に貧しい層を見ず、組むこともなかったからなのかも知れない。