アマゾンのレビューで、星ひとつの物を読んだのだが、
「発達障害治癒への精神分析療法による挑戦」として読んでいるとのことだ。
レビュアーからすると、ユング派のバックグラウンドを持つ著者達だから、
ユング=フロイトの弟子=精神分析療法をしたのだろう、
との発想でのことだろうか。
ユング派のバックグラウンドを持つ治療者達の面接治療、プレイセラピーは、
そもそも精神分析療法とは違うし、そう呼ぶこともない。
内容を読めば解るが、この本の中でも、精神分析療法を行ったなどとは
書かれていない。
発達についての知見として、精神分析を参考にしているのが
「精神分析療法」というなら、ほとんどの臨床行為はそうなってしまい、
用語の意味として成立しなくなる。
主体の無さや、主体の生成などの、対人的な感覚は、
文章のみでは伝わりにくいのだろう。
このレビュアーは、改善したエビデンス、データが無いと書いているが
確かに主体について測るようなものは、今のところないのではないだろうか。
主体というのは個人が社会の中で在るものなので、何らかの計測方法というのは、原理的に在りうるのだろうか?
前よりしっかりした感じ、その人の輪郭がはっきりした感じ、など
実際にその対象と関わらないと解らないものだろうから、
書物では伝えることは確かに困難ではないだろうか。
「本書でドラえもんののび太を軽度発達障害だとする章があるが」との事だが
のび太が軽度発達障害と書いているのではなく、「ドラえもん」で描かれている、のび太とドラえもんの関係が、何かに困ったら、
ドラえもんに道具を出してもらって解決しようとする関係が
「発達していかない」話として、取り上げられているのであって、のび太が発達障害児と書いているのではない。
アマゾンのトップ100レビュアーの人が、根本的に読み違ってしまうのだから、
発達障害の治療、主体の生成というのは、解りにくく、伝わりにくい
ものなのだろう。
「発達障害治癒への精神分析療法による挑戦」として読んでいるとのことだ。
レビュアーからすると、ユング派のバックグラウンドを持つ著者達だから、
ユング=フロイトの弟子=精神分析療法をしたのだろう、
との発想でのことだろうか。
ユング派のバックグラウンドを持つ治療者達の面接治療、プレイセラピーは、
そもそも精神分析療法とは違うし、そう呼ぶこともない。
内容を読めば解るが、この本の中でも、精神分析療法を行ったなどとは
書かれていない。
発達についての知見として、精神分析を参考にしているのが
「精神分析療法」というなら、ほとんどの臨床行為はそうなってしまい、
用語の意味として成立しなくなる。
主体の無さや、主体の生成などの、対人的な感覚は、
文章のみでは伝わりにくいのだろう。
このレビュアーは、改善したエビデンス、データが無いと書いているが
確かに主体について測るようなものは、今のところないのではないだろうか。
主体というのは個人が社会の中で在るものなので、何らかの計測方法というのは、原理的に在りうるのだろうか?
前よりしっかりした感じ、その人の輪郭がはっきりした感じ、など
実際にその対象と関わらないと解らないものだろうから、
書物では伝えることは確かに困難ではないだろうか。
「本書でドラえもんののび太を軽度発達障害だとする章があるが」との事だが
のび太が軽度発達障害と書いているのではなく、「ドラえもん」で描かれている、のび太とドラえもんの関係が、何かに困ったら、
ドラえもんに道具を出してもらって解決しようとする関係が
「発達していかない」話として、取り上げられているのであって、のび太が発達障害児と書いているのではない。
アマゾンのトップ100レビュアーの人が、根本的に読み違ってしまうのだから、
発達障害の治療、主体の生成というのは、解りにくく、伝わりにくい
ものなのだろう。