内田樹氏が書いてたことだけど、アメリカ版では、
同じ国の中でも、地域とか職業とかで、語り口が違う、
つまり、テキサスのカウボーイとNYの金融関係者だと、
語るスタイル自体が違うそうだ。
日本版では、どこに住んでいる、どんな職業の人でも、
語るスタイルが同じだそうだ。
テレビや新聞の影響で、ものの見方や捉え方が、似たような人が
すごく大きい割合を占めているのだろう。
農業で同じ品種ばかり育てると、伝染病などで枯れるときは
一気に枯れるとか読んだことがあるけど、
それを考えると、トランプ候補を支持している人が多いアメリカより
ヤバイのかもしれない。
同じ国の中でも、地域とか職業とかで、語り口が違う、
つまり、テキサスのカウボーイとNYの金融関係者だと、
語るスタイル自体が違うそうだ。
日本版では、どこに住んでいる、どんな職業の人でも、
語るスタイルが同じだそうだ。
テレビや新聞の影響で、ものの見方や捉え方が、似たような人が
すごく大きい割合を占めているのだろう。
農業で同じ品種ばかり育てると、伝染病などで枯れるときは
一気に枯れるとか読んだことがあるけど、
それを考えると、トランプ候補を支持している人が多いアメリカより
ヤバイのかもしれない。
時々、「自分探し」をする人のことに関し、「本当の自分」というのは無い、
等の意見を見かけるが、子どもの時から選択する範囲の狭い日本で、
無難に自分のできそうな事をこなしていって、それなりに周囲にも
愛想よく振舞っていると、そんなに問題なく大人になるのだろうが、
「自分探し」をするひとはその中で、自分の主体感覚や、本音の感覚、
素顔の感覚が薄く、生きている感覚も薄いのではないのだろうか?
周囲と軋轢なく過ごす、要求されている事を処理するなども、
予測可能な範囲でやり続けると、主体感覚がうすくなり、
生きている感覚もあまり沸かないのではないのだろうか?
そのような人は、渡辺あさよ氏の言う、素顔を持つことの先延ばしを
生き続けているのではないだろうか?
等の意見を見かけるが、子どもの時から選択する範囲の狭い日本で、
無難に自分のできそうな事をこなしていって、それなりに周囲にも
愛想よく振舞っていると、そんなに問題なく大人になるのだろうが、
「自分探し」をするひとはその中で、自分の主体感覚や、本音の感覚、
素顔の感覚が薄く、生きている感覚も薄いのではないのだろうか?
周囲と軋轢なく過ごす、要求されている事を処理するなども、
予測可能な範囲でやり続けると、主体感覚がうすくなり、
生きている感覚もあまり沸かないのではないのだろうか?
そのような人は、渡辺あさよ氏の言う、素顔を持つことの先延ばしを
生き続けているのではないだろうか?