この「まっちゃん」が、バスの運転手に「殺すぞボケ」と言われたことを断片的に取り入れ、
その後に何かフラストレーションがたまると周囲にそう言っていたことは、
うちの父親が何かとこちらに、状況や脈絡を無視して、ああしろこうしろと大声で言って来たことと
同じようなものなのだろう。
父方の祖父は自分の子どもに安い酒を買わせに行かせていたそうだが、
父親も子供の頃から言われるがままにそうしていたのだろう。
そして防衛大学では教官の言うことには服従しなければならなかったので、
自ら考えて話し合って、決めたりするということが身につかなかったのだろう。
援助交際の女子高生なら、自分の体はどうしようと自分の勝手、と言うところまで
身体に基づいた自分というものを持てていたのだろうが、うちの父親の場合は24時間管理の規則と、
身体的にきつい訓練などもあり、自分の体は自分のものと言う感覚さえ持てなかったのだろう。
戦争になったらある程度の死者が出ることは必然的なので、
教官が学生の体調や感情を気にかけたりする文化が防衛大学にはなかったことで、
うちの父親は自分というものを形成できなかったのだろう。
最近は大学生でも主体が希薄だったり無かったりする発達障害の学生が
ある程度いるとのことだが、防衛大学には向いていないのだろう。
もし入学できても、状況に応じて自ら考えて決める主体が生成されにくい生活なので、
幹部候補生学校あたりで脱落することが多いのだろう。