曽野綾子氏の短編で、足の不自由な高齢な女性が、以前は土方をしていたので力はある、
という会社重役の男性に庭の眺めのいい場所まで抱き上げて運んでもらい景色を眺める、
というものがあった。
曽野氏は父親がDV親だったとのことだが、自分や母親などに暴力を振るっていた父親を嫌いになれない、
心的距離を取れない、甘えたくても甘えられない、とのアンビバレントな所が、
その後もあるのだろう。
育った時代も鍛えるためには鉄拳制裁が当たり前で、社会を維持する為との事なら
警察、憲兵などの暴力も当然とされていたのだろう。
さらに海外では敵国に勝つための戦争が行われており、その勝利が国家目標であった。
国を挙げての殺し合いを行っていた時代に育ったため、暴力は良くない、
などとは実感を持っては考えられなかったのだろう。
その為、自分たちに暴力を振るう父親が間違っている、悪い、などとは考えられなかったのだろう。
そのため、その後にDVなどがメディアで取り上げられるようになっても、
自分が不当な目に遭ったとは思えないのであろう。
現代の若年世代が苦労していても、国を挙げての殺し合いと比べれば
なんということはない、苦しいとか辛いとか思うことは無駄である、
とのことで無関心なのであろう。
という会社重役の男性に庭の眺めのいい場所まで抱き上げて運んでもらい景色を眺める、
というものがあった。
曽野氏は父親がDV親だったとのことだが、自分や母親などに暴力を振るっていた父親を嫌いになれない、
心的距離を取れない、甘えたくても甘えられない、とのアンビバレントな所が、
その後もあるのだろう。
育った時代も鍛えるためには鉄拳制裁が当たり前で、社会を維持する為との事なら
警察、憲兵などの暴力も当然とされていたのだろう。
さらに海外では敵国に勝つための戦争が行われており、その勝利が国家目標であった。
国を挙げての殺し合いを行っていた時代に育ったため、暴力は良くない、
などとは実感を持っては考えられなかったのだろう。
その為、自分たちに暴力を振るう父親が間違っている、悪い、などとは考えられなかったのだろう。
そのため、その後にDVなどがメディアで取り上げられるようになっても、
自分が不当な目に遭ったとは思えないのであろう。
現代の若年世代が苦労していても、国を挙げての殺し合いと比べれば
なんということはない、苦しいとか辛いとか思うことは無駄である、
とのことで無関心なのであろう。