マチンガのノート

読書、映画の感想など  

「恐怖の権力―<アブジェクシオン>試論」 ジュリア・クリステヴァ その6

2015-06-28 00:51:02 | 日記
以前、クリステヴァで検索していたら、誰かのサイトで
「公開セミナール」というのでクリステヴァについて取り上げていて
その中で、リストカットについて、症状による傷跡と見ずに
「記号」として見てはどうかと書いている人がいた。
無いほうがいい症状による、痛ましい傷跡としてみるのを、
自他未分化や混沌の中から出てくる記号として捉えると、
治療者側の姿勢も変わり、治療場面で様々な変化を引き起こすのでは
ないだろうか。

「甘えたいのに甘えられない: 母子関係のゆくえ、発達障碍のいま」 小林隆児 その3

2015-06-13 00:01:26 | 日記
乳幼児期に甘えられる関係を作れずに、過敏で外部からの刺激を
迫害的に感じるところで発達が止まると、ある程度、言葉を覚えても、
状況を見て、周囲の様子を感じて、主体的に言葉を組み合わせて
使うところまで行かず、ある程度の決まった塊として言葉を反射的に返し、
それによって、状況に合わない、場違いな、または、渡辺あさよ氏の言うような、
言葉とイメージの乖離というような、発達障害の特有のあり方に
つながるのではないだろうか。

「甘えたいのに甘えられない: 母子関係のゆくえ、発達障碍のいま」 小林隆児 その2

2015-06-11 01:19:03 | 日記
自閉症、発達障害のクライエント、患者が、
「原初的知覚」のところにいて、「母親が近くにいると回避的になるが、
いなくなると心細そうな態度を示す」という特性について、
小林隆児氏が「飢餓陣営」40号において書いているが、
その様なところには、治療者は個人として接するよりも、
バリントの言う、一次対象、地火風水として傍にいて、
安心感を体験させることが、「甘えの体験」となり、
「原初的知覚」「相貌的知覚」から進行して、主体の生成に
繋がるのではないのだろうか。
バリントは、人生最早期の不適切な養育から来るところの治療について書いているが、
その様なことは、自閉症、発達障害の治療にも共通するのではないのだろうか。

「恐怖の権力―<アブジェクシオン>試論」 ジュリア・クリステヴァ その5

2015-06-09 00:26:56 | 日記
ブルガリアからフランスへ行ってからのクリステヴァは、
当時のフランスの知識人、東欧を支配しているソ連や社会主義をよいものとして
捉えている人たちと、交流して会話しようとすると、
自らの出自である、ソ連に支配されている衛星国であるブルガリア出身であることや、
さらにその中のユダヤ系であることから、距離をとって考えて
話さないと、話自体が通じなかったのではないだろうか。
バリントの言う、「連想の雲」から、その場で言うことを
明確にして話したり、書いたりしないと、会話や議論自体が
成り立たないところに居たのではないだろうか。
豊かな西ヨーロッパよりも、貧しい東ヨーロッパのほうが、
ユダヤ系への差別は、はるかに激しかったとの事は、様々な文献などで
触れられている。
自分の出身国、民族から、距離を置いて考え、話さないと
少し深い会話すら通じないことから、アブジェクション、棄却という所に
考えが発展して行ったのではないのだろうか。

フランスと革命とスカイネット

2015-06-08 19:31:57 | 日記
フランス人は革命の時に、ギロチンを作って
処刑する人の首を落としていたそうだが、
そういうことをわざわざ機械を作ってやらせる
というのは、日本人としては考えつかないようなことだ。
「ターミネーター」で進化した機械が人間を攻撃してくる、
というのも、そのような背景があってこそなのだろうか。