マチンガのノート

読書、映画の感想など  

「話の聴き方からみた軽度発達障害」 畑中千紘著 その9

2016-03-29 11:40:59 | 日記
哲学とは、「考える」について考えることだそうだが、
発達障害の場合、自らの感覚や考えが、しっかりする前に、学校や習い事ですることを、
表面的に記憶して処理していき、その為そこでやったことが、自らの感覚に根付かず、
状況を見て使うということに繋がらないため、場違いなこと、KYな事となり、
周囲から浮くのではないのだろうか?
「主体の無さ」というのは、そのようなことの結果なのではないだろうか。
ゲームで指と目ばかり使っているのは、発達に悪そうである。

クリステヴァの場合も、ソ連支配下のブルガリアからフランスに留学すると、
当時のフランス知識人は「ソ連はいい国」というのを前提に、いろいろと
教えようとするので、自分の育ったブルガリアの感覚と正反対で合わないため、
主体にについて考えることになったのだろう。
言語学で言う「記号接地問題」に繋がるのだろう。
  
  「言語と身体性 」(岩波講座 コミュニケーションの認知科学 第1巻)

「人は怖くて嘘をつく」 曽野綾子 産経新聞社

2016-03-25 22:32:09 | 日記
最近、何かと話題になる曽野綾子氏の著作だが、
長年に亘る途上国の貧困地帯などに対する援助の経験に
基づいて書かれている。
そのようなところへの援助では、援助する側を騙そうとする、
自分の利益を掠め取ろうとする、盗もうとする、などが普通なことなので、
それらのことも織り込み、それがどのような影響を与えるかも考えて、
援助をするとのこと。
今の日本のように、「不正をする奴を許すな」などと言っていては、
援助自体がそもそも困難なのだろう。
援助される相手の困難さも考慮して、騙したり、過大な見積もりを出してきたものを
それがどのような波及効果を産むかを検討して援助するとのことだ。
相手にも様々な自力では解決できない困難さがある為、
善い相手と、悪い相手がはっきり別れて居るわけではないので
相手の状況も計算して対応するとのこと。
日本も昔は貧しく、そのことような事が背景にあったので、映画などでも、
「昭和残侠伝」「仁義なき戦い」のどの映画が作られて、
善悪の中でどのように振る舞うか、などを観客が観に行っていたのだろう。
「話の訊き方から見た軽度発達障害」の中で畑中千紘氏も、
受け手として社会が弱まったことも、発達障害の増えた原因の
一つだろうとしている。
潔癖になり単純な善悪二分法がはびこる社会は、善悪が分化する前の
子供をそのまま受け止める力が弱いという面も在るのだろう。
コンプライアンス、説明責任などと言って、人の弱さや狡さが
在ってはならないかの様な風潮は、子供や養育者にとって、
とても負担になっているのではないのだろうか?
人の弱さや狡さを認めることは、子供や養育者が甘える余地を作り、
小林隆児氏の言う、「甘えられない」発達障害の子供を
減らすことに繋がるのではないのだろうか?
悪や不正が在ってはならないという傾向の強いリベラル派と、
そのような物は在るものだ、という保守派の器の違いが、現在の
日本の政治にも、反映されているのだろう。

スターリングラード 史上最大の市街戦 2013年 ロシア映画 監督:フョードル・ボンダルチュク

2016-03-22 00:27:29 | 日記
スターリングラード攻防戦70週年として製作されたもの。
ロシア映画らしく、爆発の炎の中を突っ切り、自ら燃えながらドイツ軍の陣地に突入していくソ連兵、
荒涼としたスターリングラードの廃墟の風景、撃墜され墜落してくる爆撃機のシーンなど、幻想的雰囲気を伴いながら
ストーリーが展開していく。
敵であるドイツ人将校やそれと交際するソ連人女性なども、異質な敵ではなく人間として描いている。
よくロシア映画はCGの質がどうとかいう人がいるが、とても効果的、印象的に使っている。
目の前で市民を虐殺しているドイツ軍に対してソ連兵が突撃しても、自分たちに大きな損害が出るところは
実際に優秀なドイツ軍に攻めこまれて大量の死者を出した歴史が今も息づいているからだろう。
この映画と比べると、大量の資金と技術と才能をつぎ込んでいるハリウッド映画の浅さがよく判る。
気候に恵まれず、貧しく重い歴史を辿ってきたロシアだから、このような映画が作れるのだろう。
そのような歴史があるので、東日本大震災も絡めているのだろう。
パウル・カレル著「捕虜」の中でも、自らも食べ物に困っているロシア人女性たちが敵であったドイツ人捕虜に食料を
分け与えた事が書かれている。
最近は西ヨーロッパの行き詰まりが明らかになりつつあるが、このような歴史を持つロシアと、
恵まれた西ヨーロッパを同列に考えることに無理があるのだろう。

戦争のはらわた サム・ペキンパー監督 ジェームズ・コバーン マクシミリアン・シェル

2016-03-15 09:16:37 | 日記

第二次大戦の敗色の濃い独ソ戦線が舞台。
武器弾薬、食料も乏しいので、ストーリーが始まってすぐ、ソ連軍の
武器弾薬を回収するシーンが描かれている。その後から主人公のスタイナー(ジェームズ・コバーン)が使うのは
ソ連軍の短機関銃。
食料も乏しいため、部下が少年兵を捕虜にすると将校から「捕虜は取るなと言われているだろう」
と言われ、対立するのを主人公の下士官のスタイナーが仲裁し保護する。
大義や正義や国のため、というより、「生き残れたらいいな」くらいの感じで、戦闘を続けている。
戦闘シーンではソ連兵がどんどん押し寄せてくるが、ソ連軍の場合、上官に逆らったら、
即決で処刑されたのだろう。
クルト・マイヤー著「擲弾兵―パンツァー・マイヤー戦記」にも、ソ連兵が横一列に密集して、何度も同じ方法で
突撃して来るので、若いドイツ兵の機銃手が泣きながら撃ち倒していたとの描写があった。
ミハルコフ監督の「遙かなる勝利へ」でも、酔っ払った上官が無理な突撃を命じて
反論する部下に拳銃を突き付け、それを周りの将校が黙って見ているシーンがあった。
ソ連側には女性兵士が出てくるが、「戦争は女の顔をしていない」スベトラーナ・アレクシエービッチ (岩波現代文庫)
で描かれているように、国を守るために自ら志願しても、様々な身の回りの綺麗なもの、女性的なものを
捨てなければいけない事は、大変残念だったそうだ。
更に、戦後も、男性の場合は戦争に行ったことが名誉で自慢できたのだが、
女性の場合、そのことで周囲から敬遠されるので、隠さねばならない事が多かったらしい。
米軍の場合、男女平等からくる「権利」として、女性兵士が戦闘部隊に参加することも認められるべき、という意見が
あるようだが、様々な面で恵まれた米軍だから言えることだろう。
ソ連にとっては、第二次大戦は人口の一割以上を失ったとのことだが、ソ連に支配されて大量の餓死者がでた
ウクライナや、周囲のロシア人以外の民族にとっては、共産主義ではないドイツが勝った方がいいとか、
どちらでも関心が無いなどだったのだろう。
ミハルコフ監督が「戦火のナージャ」の前線のシーンでイスラム教徒の兵隊を少し取り上げていたのは
そのようなことも考えたからだろう。
エマニュエル・トッドが近著「ドイツ帝国」が世界を破滅させる ・文春新書で
西側メディア、知識人はロシア政府を批判しているが、乳幼児死亡率、平均余命も良くなっている
ことを見ると、西ヨーロッパと同じ基準でロシアを見ること自体が間違いだそうだ。