うちの母親は何か手続きを頼んでも、せずに帰ってきて、よく解らない理由を並べ立てていた。
いつもお金をケチっていたので、手数料に何百円かが掛かるのに抵抗を感じて、せずに帰って来たのだろう。
戦前の商社の韓国の支店長の家で生まれたが、すぐに産みの母親が亡くなり、おばさんに育てられたことと、
周囲からは「家の外に出たらさらわれるで」などと言われていたことや、8歳でカバンひとつで帰ってきた事もあり、
愛情などは知らず、不安の強い人だったのだろう。
結婚した相手もよく解らない人で、実家に戻ろうにも父親は亡くなり、兄姉ともあまり交流がなく、
お金しか当てになるものが無かったのだろう。
試験勉強は出来た方だったらしいが、時代的に大学に行かせてもらえなかったことと、周囲に普通の
労働者としてのロールモデルとなるような人もいなかったことで、自分一人で働いてやってゆくという決断が
出来なかったのかもしれない。
現代でも女性が就職した後のことは色々と難しいようだが、ある程度働けばなんとかなる社会制度を
作らなければ、どんどん少子化も進みそうである。