京大の臨床心理の方などで発達障害における主体の無さなどが取り上げられていますが、
何か行動したり会話したりする際の、起点となる主体というものが成り立っていないというのは、
普通に暮らして行動している人には、想像自体が困難なのでしょう。
何かのカウンセリングセンターなどなら、そこまで来て申し込み、定期的に通ってきているのですから、
主体や内面というものが成り立っていないということ自体、想定外なのだと思います。
もし街のクリニックなどなら、表面的な言動から不安や睡眠の乱れを見て取り、
何らかの薬を出すのみで、それほど本人の役に立つ対応はできないことが多いのかもしれません。
それらのことを考えるに、距離を取りつつ随伴する支援のようなものが合っているでしょう。