マチンガのノート

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治療論から見た退行 :マイケル・バリント

2017-07-07 00:16:21 | 日記
治療者からの解釈に対して被害的に捉える、しがみつく態勢になり際限なく
要求する、などのエディプス水準以前の問題、早期母子関係の問題の治療論。
治療者はあくまでも、地火風水などのような受け手として存在し、
ある意味、患者を甘えさせ続けて、根元のあいまいな在り方から立て直せるよう
抱え続けることが治療的とのこと。
本書の中には、フロイトーフェレンツィ間の、ナルシシズムの基礎は生得的なものか、
周囲との関係のなかで作られるものかの論争が紹介されている。
訳者の中井久夫氏は、「Basic fault」を「基底欠損」と訳したが、
山中康裕氏は「こころの科学」誌上で、「欠損」ではなく「ずれ」「断層」ではないか
としていた。
中井久夫氏と山中康裕氏の著作をある程度読んで感じた違いは、
後者はプレイセラピーの中で自閉症児の攻撃性も自らの身体で受け手となり、
眼鏡が飛ぶくらい顔を叩かれたり、痣が残るくらい肩を嚙まれたりしていた
ところである。
地火風水のような受け手として在ることが必要、と言っても、
そのような前言語的なものとして、患者に関わることについては、
自ら理解したり、他人に伝えることは大変困難であろう。
しかしながら、受け手としての治療者や環境の大切さは、最近の発達障害の
臨床でも取り上げられている点である。