治療者からの解釈に対して被害的に捉える、しがみつく態勢になり際限なく
要求する、などのエディプス水準以前の問題、早期母子関係の問題の治療論。
治療者はあくまでも、地火風水などのような受け手として存在し、
ある意味、患者を甘えさせ続けて、根元のあいまいな在り方から立て直せるよう
抱え続けることが治療的とのこと。
本書の中には、フロイトーフェレンツィ間の、ナルシシズムの基礎は生得的なものか、
周囲との関係のなかで作られるものかの論争が紹介されている。
訳者の中井久夫氏は、「Basic fault」を「基底欠損」と訳したが、
山中康裕氏は「こころの科学」誌上で、「欠損」ではなく「ずれ」「断層」ではないか
としていた。
中井久夫氏と山中康裕氏の著作をある程度読んで感じた違いは、
後者はプレイセラピーの中で自閉症児の攻撃性も自らの身体で受け手となり、
眼鏡が飛ぶくらい顔を叩かれたり、痣が残るくらい肩を嚙まれたりしていた
ところである。
地火風水のような受け手として在ることが必要、と言っても、
そのような前言語的なものとして、患者に関わることについては、
自ら理解したり、他人に伝えることは大変困難であろう。
しかしながら、受け手としての治療者や環境の大切さは、最近の発達障害の
臨床でも取り上げられている点である。
要求する、などのエディプス水準以前の問題、早期母子関係の問題の治療論。
治療者はあくまでも、地火風水などのような受け手として存在し、
ある意味、患者を甘えさせ続けて、根元のあいまいな在り方から立て直せるよう
抱え続けることが治療的とのこと。
本書の中には、フロイトーフェレンツィ間の、ナルシシズムの基礎は生得的なものか、
周囲との関係のなかで作られるものかの論争が紹介されている。
訳者の中井久夫氏は、「Basic fault」を「基底欠損」と訳したが、
山中康裕氏は「こころの科学」誌上で、「欠損」ではなく「ずれ」「断層」ではないか
としていた。
中井久夫氏と山中康裕氏の著作をある程度読んで感じた違いは、
後者はプレイセラピーの中で自閉症児の攻撃性も自らの身体で受け手となり、
眼鏡が飛ぶくらい顔を叩かれたり、痣が残るくらい肩を嚙まれたりしていた
ところである。
地火風水のような受け手として在ることが必要、と言っても、
そのような前言語的なものとして、患者に関わることについては、
自ら理解したり、他人に伝えることは大変困難であろう。
しかしながら、受け手としての治療者や環境の大切さは、最近の発達障害の
臨床でも取り上げられている点である。