正門と向かい合う、即ち正門の外にある舞楼です。懸かっている額から千秋鑑楼とも呼ばれます。
昨日1月4日午後に上海に戻ってきました。成田はよいお天気でしたが、上海に到着すると小雨でした。北京時間16:00の発表で上海は5.8℃でした。上海で雨が降ったのは4日だけのようです。
4日は日曜ですが中国では出勤だったので、私は休暇をとりました。中国では、1月2日(金)を休日にして、1日から3日迄3連休にしたので、4日は振替出勤日です。
今回は、コストセーブで中国東方航空(MU)に乗りましたが、空席は結構ありました。日本人は、工場勤めの人が多く、旧正月(春節)を間近に控えた3連休程度では、日本に帰らないようです。勿論景気悪化の影響もあるでしょう。
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4日は日曜ですが中国では出勤だったので、私は休暇をとりました。中国では、1月2日(金)を休日にして、1日から3日迄3連休にしたので、4日は振替出勤日です。
今回は、コストセーブで中国東方航空(MU)に乗りましたが、空席は結構ありました。日本人は、工場勤めの人が多く、旧正月(春節)を間近に控えた3連休程度では、日本に帰らないようです。勿論景気悪化の影響もあるでしょう。
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洛陽龍門石窟は昨日でお終いです。今日からは、洛陽関林廟(らくようかんりんびょう)を紹介します。
洛陽は洛河が洛陽市街地を横断するように西から東に流れています。隋、唐の跡地は、洛河の南岸にあります。北魏、東漢(後漢)等の都は、現市街地から少し離れています。関林廟は、この隋唐の都の跡地から更に南にあります。即ち、市街地の最南部に当たります。
関林廟は東漢(後漢)後の三国時代の蜀(しょく)の劉備(りゅうび)麾下の武将である関羽を祀った廟です。歴史のおさらいですが、三国とは曹操(そうそう)の魏(ぎ)、孫権(そんけん)の呉(ご)、そして劉備の蜀です。
関林廟には関羽の首級を埋めたと言われる塚があります。それを中心に道教の廟となっています。
まず、大門と言われる正門です。
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洛陽は洛河が洛陽市街地を横断するように西から東に流れています。隋、唐の跡地は、洛河の南岸にあります。北魏、東漢(後漢)等の都は、現市街地から少し離れています。関林廟は、この隋唐の都の跡地から更に南にあります。即ち、市街地の最南部に当たります。
関林廟は東漢(後漢)後の三国時代の蜀(しょく)の劉備(りゅうび)麾下の武将である関羽を祀った廟です。歴史のおさらいですが、三国とは曹操(そうそう)の魏(ぎ)、孫権(そんけん)の呉(ご)、そして劉備の蜀です。
関林廟には関羽の首級を埋めたと言われる塚があります。それを中心に道教の廟となっています。
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