麦積山の名前は、その山が麦を刈り取って積み上げた形に似ているところからつけられました。麦積山の周辺も山地ですが、山地の中の独立した山で、周囲の山に比べると形状が特異です。
麦積山は岩山ではなく土山というか、脆い砂岩で構成されているようで、従って仏像も塑像が多いのが特徴です。雲崗、龍門の石窟の仏像とは趣を異にします。この地方は地震もあり(昨年の四川大地震も影響があり、周囲の農村で、仮設テントを見かけました)、また長年の風雨浸食により、一部は崩壊しています
麦積山石窟の開鑿は五胡十六国の十六国の一つである後秦(384~417年)の時代に始まり、北魏、西魏、北周時代に本格的となり、その後隋、唐、宋、元、明、清時代も開鑿があったとのことです。
標題をクリックして写真を大きくして見てください。ぜひ
と
にクリックを!
麦積山は岩山ではなく土山というか、脆い砂岩で構成されているようで、従って仏像も塑像が多いのが特徴です。雲崗、龍門の石窟の仏像とは趣を異にします。この地方は地震もあり(昨年の四川大地震も影響があり、周囲の農村で、仮設テントを見かけました)、また長年の風雨浸食により、一部は崩壊しています
麦積山石窟の開鑿は五胡十六国の十六国の一つである後秦(384~417年)の時代に始まり、北魏、西魏、北周時代に本格的となり、その後隋、唐、宋、元、明、清時代も開鑿があったとのことです。
標題をクリックして写真を大きくして見てください。ぜひ


今日から麦積山石窟を紹介します。
今日は、全体像をお見せします。麦積山の石窟があるところは、周囲が円周状の垂直の壁になっています。円周の半分近くあるでしょうか。
(1)~(3)は、石窟部分の垂直の壁を入り口から順々に撮ったものです。壁に石窟が無くプレーンな箇所がありますが、元々そうだったのではなく、剥落等で石窟、仏像が落ちて、セメントを吹き付けた所も有るようです。
この山の裏側は、見ていませんが、垂直な壁ではなく、なだらかな山腹であるように思います。山頂がみえますが、木が生育しており、向こう側の山腹も、同様ではないかと思います。円筒の山というのはちょっと考えられず、石窟側の山腹が異常なのでしょうね。
標題をクリックして写真を大きくして見てください。本文・コメントはその下にあります。ぜひ
と
にクリックを!
今日は、全体像をお見せします。麦積山の石窟があるところは、周囲が円周状の垂直の壁になっています。円周の半分近くあるでしょうか。
(1)~(3)は、石窟部分の垂直の壁を入り口から順々に撮ったものです。壁に石窟が無くプレーンな箇所がありますが、元々そうだったのではなく、剥落等で石窟、仏像が落ちて、セメントを吹き付けた所も有るようです。
この山の裏側は、見ていませんが、垂直な壁ではなく、なだらかな山腹であるように思います。山頂がみえますが、木が生育しており、向こう側の山腹も、同様ではないかと思います。円筒の山というのはちょっと考えられず、石窟側の山腹が異常なのでしょうね。
標題をクリックして写真を大きくして見てください。本文・コメントはその下にあります。ぜひ

