蒋経国(しょうけいこく)故居です。蒋経国は蒋介石の長子で、1910年浙江省奉化(ほうか)に生まれました。奉化は蒋介石の故郷でもあり、今も生家や住んだ家や蒋経国がハネムーンを過ごした家等が残っています。奉化には昨年12月に行ったので、その時にも奉化の蒋経国のことをお話することになると思います。
1925年モスクワ中山大学に留学し、当時同級生に6歳年上のトウ(登+おおざと)小平がいたとのこと。留学中にソ連共産党に正式入党したが、中国国共合作崩壊によりスターリンに人質とされたり、ソ連内のスターリンとトロツキーの抗争の影響を受けて西シベリアに幽閉されたこともあるようです。元々蒋介石が案配した毛福梅と結婚していたのですが、シベリア時代にロシア人の娘と結婚して1937年中国に戻り、中国国民党に入党しています。帰国後故郷の奉化で暮らしました。奉化での生活はソ連で受けた教育を洗脳しようという蒋介石の配慮だったようです。
蒋経国は、1939年にカン南地区(江西省南部)の行政督察専員兼保安司令に任命されました。このカン南地区の行政が善政だったようで、台湾民主化のモデルケースとなったという評価もあるようです。台湾で、行政院長を勤め、その後父親を継いで総統になりましたが、李登輝を始めとする本省人を多く起用し、実態のある憲政に変換して行ったようで、ここでも民主化を進めています。
それで現在の中国でさえ、彼に対する評価は父親に対するそれとは大分違うようです。上記の情報も、中国内の百度百科や、カン州、奉化で見た資料等で知ることが出来ました。台湾の資料は見ていません。
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1925年モスクワ中山大学に留学し、当時同級生に6歳年上のトウ(登+おおざと)小平がいたとのこと。留学中にソ連共産党に正式入党したが、中国国共合作崩壊によりスターリンに人質とされたり、ソ連内のスターリンとトロツキーの抗争の影響を受けて西シベリアに幽閉されたこともあるようです。元々蒋介石が案配した毛福梅と結婚していたのですが、シベリア時代にロシア人の娘と結婚して1937年中国に戻り、中国国民党に入党しています。帰国後故郷の奉化で暮らしました。奉化での生活はソ連で受けた教育を洗脳しようという蒋介石の配慮だったようです。
蒋経国は、1939年にカン南地区(江西省南部)の行政督察専員兼保安司令に任命されました。このカン南地区の行政が善政だったようで、台湾民主化のモデルケースとなったという評価もあるようです。台湾で、行政院長を勤め、その後父親を継いで総統になりましたが、李登輝を始めとする本省人を多く起用し、実態のある憲政に変換して行ったようで、ここでも民主化を進めています。
それで現在の中国でさえ、彼に対する評価は父親に対するそれとは大分違うようです。上記の情報も、中国内の百度百科や、カン州、奉化で見た資料等で知ることが出来ました。台湾の資料は見ていません。
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