立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

説明板の航空写真・・・魚津市・早月川右岸(東岸)を遡る

2012年06月01日 | Zenblog
 先ほどの航空写真とはまったく逆方向から撮っています。南から早月川の下流・富山湾方向に向いています。水尾城跡が細長い尾根にあること、その北には石の門砦があること、手前右下に本城の松倉城があり早月川を前にした山には支城(出城)が点々と配置されていたこと、などが一目で分かります。
 いつかの冬に松倉城跡に向かったものの、見ることは果たせなかったので、こんどはぜひ訪ねてみたいと思っています。

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丁寧な説明板・・・魚津市・早月川右岸(東岸)を遡る

2012年06月01日 | Zenblog
 説明板は丁寧につくられていました。それによると丘陵の細長い尾根上に南北350メートル東西180メートルの範囲に5つの空堀で区切られた4つの曲輪があり北の曲輪がとくに大きく帯曲輪をめぐらせているとのこと。史上に出てくるのは、南北朝時代1346年7月に能登からの勢力に攻められた事実などです。

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高くに「水尾城跡」標識・・・魚津市・早月川右岸(東岸)を遡る

2012年06月01日 | Zenblog
 少し高いところに小さな標識が見えます。ここを上がっていけば少しは歩けるかも分かりませんが、あきらめました。説明板と見比べると、標識のあるところが空堀になっていて、その両側は曲輪(くるわ、斜面を削って平にしたところ)になっているようです。

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行き止まり・・・魚津市・早月川右岸(東岸)を遡る

2012年06月01日 | Zenblog
 とうとう行き止まりまで来ました。ここが水尾城跡らしいです。説明板が出ています。この左上の細長い尾根上に城跡があるようです。でも草木が鬱蒼と茂っていて容易には登れそうにはありません。

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「水尾城跡」の標識・・・魚津市・早月川右岸(東岸)を遡る

2012年06月01日 | Zenblog
 石の門を越えてさらに進むと「水尾城跡」の標識があり、両側に石を積んで門のようにしてありました。さらに奥に向かって進んでいきます。道路は悪く車の腹を擦りそうです。いよいよとなったらバックできるか心配しながら進みました。

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石の門の説明板・・・魚津市・早月川右岸(東岸)を遡る

2012年06月01日 | Zenblog
 「石の門」の説明板に航空写真がついていました。北東方向から早月川の上流方向を俯瞰しています。早月川と角川に挟まれた細長い丘陵には升方城跡、南升方城跡、水尾城跡など松倉城の支城である山城が点在します。その西には中世の本格的な松倉城跡があり麓に城下町があった鹿熊地区が見えます。
 「石の門」は南升方城跡と水尾城跡の鞍部に位置しています。

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「石の門」砦・・・魚津市・早月川右岸(東岸)を遡る

2012年06月01日 | Zenblog
 早月川から離れて、山へ入ると升方の集落が現れ、それを過ぎると再び山道になって「石の門」の標識が現れました。ここは丘陵の鞍部にあたるところで、70~80㎝の石を3~4メートルに積み上げて門のようになっています。
 周辺には曲輪や土塁が設けられ、砦としての機能があり全体を石の門砦と呼んでいます。近くに松倉城の城下町があった鹿熊地区への西の入り口にもあたり、中世の山街道もここを通っていたらしいです。

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1号墓と3号墓の断面図・・・JingShangの湖南省博物館・馬王堆漢墓展示を見学

2012年06月01日 | JingShang君からの上海レポート
 1号墓(妻の墓)と3号墓(夫の墓)の断面図です。1号墓の方が深いですが、多分妻の方が先に死に、実力者の夫が丁寧に葬ったのではないかと、これは私の推測です。

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馬王堆漢墓の模型・・・JingShangの湖南省博物館・馬王堆漢墓展示を見学

2012年06月01日 | JingShang君からの上海レポート
 馬王堆漢墓の模型です。右側手前が3号墓で利蒼の墓です。これは盗掘されていました。その奥が1号墓で利蒼の妻辛追の墓です。左側の丸い墓穴はこの夫婦の息子のものです。

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長沙の発掘現場(右オレンジ)と博物館(左)・・・JingShangの湖南省博物館・馬王堆漢墓展示を見学

2012年06月01日 | JingShang君からの上海レポート
 長沙の地図で、博物館と馬王堆発掘現場の位置関係を示しています。長沙の中央を南から北へ湘江が流れます。湘江東岸にオレンジ色の文字が2箇所ありますが、東側の文字が発掘現場、西側の文字が博物館です。

 今回は原則として私が博物館で撮った写真をお見せします。馬王堆について詳しくご覧になる場合は、日本語ウィキディア「馬王堆漢墓」をご覧下さい。

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長沙国丞相の利蒼と妻辛追と息子の墓・・・JingShangの湖南省博物館・馬王堆漢墓展示を見学

2012年06月01日 | JingShang君からの上海レポート
 博物館の馬王堆漢墓展示の入り口です。以下はこの馬王堆漢墓に関する日本語ウィキペディアの記述を取り纏めたものです。

 馬王堆漢墓は前漢初期紀元前2世紀の長沙国で丞相をつとめ初代軑侯(だいこう)となった利蒼とその妻辛追と息子の墳墓です。

 文化大革命時期の1972年に発掘が始まり、最初に発掘された1号墓辛追の遺体は腐食乾燥等が進んでいない、まるで生けるが如き状態だったと知られています。またこの1号墓は盗掘されてなく、副葬品にも貴重な工芸品や衣類等が含まれ、中国古代史研究にとって多くの重要な資料を提供したと言われます。

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博物館の外観、三度目の見学・・・JingShangの湖南省博物館・馬王堆漢墓展示を見学

2012年06月01日 | JingShang君からの上海レポート
 今朝の上海は曇りです。予報も曇り、最高気温は25度、最低は20度です。

 今日から長沙にある湖南省博物館の馬王堆(ばおうたい)発掘展示を始めます。最初の写真は博物館の外観です。湖南衡陽の遊覧が早く終わったので、翌朝衡陽から長沙へ行き、午後上海へ戻る飛行機の時間までの間湖南省博物館にある馬王堆展示を見ました。

 この馬王堆展示を見るのは三度目です。最初に見たのは1997年頃で、入場料にまだ外国人と中国人の二重価格が残っていました。2度目は2000年以降で、妻と長男夫婦を連れて行きました。そして今回が3度目です。今回は入場料は無料になっていました。

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