立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

村の生活の名残・・・富山市旧大山町・熊野川を遡る

2012年06月04日 | Zenblog
 村の跡に立ってみると、廃材がまだ残っており、屋敷の跡らしい石を積んだ敷地跡が分かり、その間を縫っていた村の道もほぼ分かります。人々が住んで生活していたのがそんなに遠い昔ではなかったことが偲べます。
 ここではありませんが、家はなくなっているのに近くに真新しいお墓が見られるところもありました。多分かなりの人たちが(若い人も含めて)、家はなくなっても山菜採りや畑仕事など機会あるごとに帰ってきて、何かと昔の生活を続けようとしているようです。完全に捨て去ってはいないことをしばしば感じます。

 道路(大山・福光線)はこの集落跡の直ぐ先であえなく途切れていました。道路が計画されたときには、他地域とつながる大きな夢を託したのでしょうが、今となっては「夢の跡」です。

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跡地碑の前の仏像・・・富山市旧大山町・熊野川を遡る

2012年06月04日 | Zenblog
 集落跡地碑の前に、三体の仏像を刻んだ石碑がありました。跡地碑よりもあきらかに古いです。跡地碑は多分村の人々が去ったのち、かなり経ってから最近建てられたものですが、仏像の方は村を去るに際して建てられたものではないかと推測します。去った後も村を守って欲しい願いがこもっているように思われました。

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赤倉集落(跡地)碑・・・富山市旧大山町・熊野川を遡る

2012年06月04日 | Zenblog
 ダムを越えて道路を上流へ向かって進み始めたら、この碑があらわれました。廃村の跡です。これまで立山連峰のなか山地の林道を走っていて、どれだけこのような集落跡に出くわしたことかわかりません。山地に少し入り込むと必ずといっていいほど出会います。
 平成4年富山県の「山村過疎地対策資料」には70余の廃絶集落名が挙げられ、19戸以下の小集落(なかには1戸・2戸というのも含む)は約300ということでした。ここもその廃絶集落の一つです。

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熊野川ダム周辺の案内図・・・富山市旧大山町・熊野川を遡る

2012年06月04日 | Zenblog
 ダムにあった周辺案内図です。「不動壁山は弁慶が尖山とあわせて一晩で造った」とか「奥地の小原杉は立山杉でねばり強い」「播隆上人が1782年に河内に生まれ、1827年槍ヶ岳を開山した」とか書かれています。
 ダム上を通り抜けて先へ進む道があります。大山・福光線とあります。そこへ向かいます。

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左折、熊野川ダムへ・・・富山市旧大山町・熊野川を遡る

2012年06月04日 | Zenblog
 以前、直進してトンネルを越え熊野川上流へ向かって走ったことがありました。ここから先には今は人が住む集落はありません。廃村になった集落がいくつもあり、熊野川流域全体では11集落の灯が消えたようです。本流の一番奥には槍ヶ岳を開山した播隆上人の生地河内がありました。
 富山市からそれほど遠いわけではありませんが、材木・炭焼き・屋根板作り・養蚕・製紙・狩猟などの生業が成り立たなくなり、過疎対策の酪農・養魚・山菜加工も生計維持の決め手とならず、辛苦して開いた田も減反を迫られました。ついには多くの人が、大山町の上滝などに移住することになりました。

 私はここで左折して熊野川ダムの堰堤上の道路を進んでみるつもりです。

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漆器の水差し、剥がれていない驚き・・・JingShangの湖南省博物館・馬王堆漢墓展示を見学

2012年06月04日 | JingShang君からの上海レポート
 水差しです。くどいですが、漆器が全く剥がれていないのが驚きです。

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上蓋がついた漆器の箱・・・JingShangの湖南省博物館・馬王堆漢墓展示を見学

2012年06月04日 | JingShang君からの上海レポート
 上蓋がついた箱です。紋様が綺麗です。

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漆器の食器、出来映えと保存の良さ・・・JingShangの湖南省博物館・馬王堆漢墓展示を見学

2012年06月04日 | JingShang君からの上海レポート
 食器です。保存の良さもさることながら、全て立派な出来であることに感心します。

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漆器の柄杓や杓子・・・JingShangの湖南省博物館・馬王堆漢墓展示を見学

2012年06月04日 | JingShang君からの上海レポート
 厨房器具です。柄杓や杓子だと思います。

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食物を入れる漆器、前2世紀の出来映え!・・・JingShangの湖南省博物館・馬王堆漢墓展示を見学

2012年06月04日 | JingShang君からの上海レポート
 今朝の上海は雲が多目の晴れです。予報は小雨、最高気温は25度、最低は21度です。

 昨夕湖北省荊州から上海に戻りました。予定通り荊州博物館で前漢漢墓の発掘物を見て、荊州古城壁も見てきました。荊州のことは、後日紹介します。

 今日も湖南省博物館の馬王堆漢墓の展示です。今日は全部漆器です。これは食物を入れるものだと思います。紀元前2世紀に漆が使われ、しかもこのような現代にも通用するような出来映えには喫驚します。

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