地図をご覧下さい。揚子江が南西から北東方向へ流れ、武漢を分けています。西北半分は更に漢江が東西に流れ、北を漢口、南を漢陽に分けています。漢江は、以前ご紹介した陝西省漢中に源を発し、漢口と漢陽を分けて、揚子江に注ぐのです。
現在の武漢では、武昌は政治、漢陽は産業(自動車)、漢口は経済(商業、金融)と色分けされています。しかし、武昌地区には(青山区)には大製鉄所となった武漢鋼鉄があり、武昌にも産業はあります。
昔の地図を見る機会があり、それによると武昌と漢陽には円形の城郭があり、民間人が造った街であることが判ります。漢口は戦前外国の租界がありました。
この武漢には20年位前から何度も行ったことがあるのですが、あるブログで武昌にある辛亥革命記念館や漢口にある租界の紹介を見かけ、そういえばこういう所は行っていないなぁと思い、出かけることにしました。
この武漢への旅は1月16日、17日に行きました。行きは動車組(新幹線)で武漢駅へ、帰りは武漢空港より飛行機で上海に帰りました。
中国の鉄道は、南北は幾つも路線があるのですが、東西は従来連雲港~鄭州~洛陽~西安~宝鶏の1本だけでした。昔は、鉄道は物資の輸送が主であり、華中は揚子江が東西に流れるので船便で輸送すれば足りたのです。
上海から武漢に直通の鉄道が通じたのは、昨年の筈です。上海から南京に行き、一旦揚子江を渡って合肥に行き(南京~合肥も新線です)、合肥から六安を通って武漢までも新線を建設してつなぎました。最初から動車組軌道です。
開通当初は従来の漢口駅が最終駅となっていましたが、今回切符を買うと武漢駅となっていました。武漢駅が武昌地区の青山区に作られ、揚子江を再度渡ることになります。
武漢駅は地図で見ると武漢鋼鉄のすぐ横に作られています。実際に下りて見ると武漢鋼鉄の圧延工場の傍にあって、びっくりしました。地図でいうと青山区の自建一村とある付近に鉄道がぐるぐる回るように固まっていますが、この辺りが武漢鋼鉄で、動車組の路線はこの西側を走ります。
武漢駅から更に南にも新線が建設され、広州へ通じています。この路線も最近建設が完了し、最速の動車組は350kmの速度で走っています。
明日からは、武昌地区の辛亥革命記念館等を紹介します。
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現在の武漢では、武昌は政治、漢陽は産業(自動車)、漢口は経済(商業、金融)と色分けされています。しかし、武昌地区には(青山区)には大製鉄所となった武漢鋼鉄があり、武昌にも産業はあります。
昔の地図を見る機会があり、それによると武昌と漢陽には円形の城郭があり、民間人が造った街であることが判ります。漢口は戦前外国の租界がありました。
この武漢には20年位前から何度も行ったことがあるのですが、あるブログで武昌にある辛亥革命記念館や漢口にある租界の紹介を見かけ、そういえばこういう所は行っていないなぁと思い、出かけることにしました。
この武漢への旅は1月16日、17日に行きました。行きは動車組(新幹線)で武漢駅へ、帰りは武漢空港より飛行機で上海に帰りました。
中国の鉄道は、南北は幾つも路線があるのですが、東西は従来連雲港~鄭州~洛陽~西安~宝鶏の1本だけでした。昔は、鉄道は物資の輸送が主であり、華中は揚子江が東西に流れるので船便で輸送すれば足りたのです。
上海から武漢に直通の鉄道が通じたのは、昨年の筈です。上海から南京に行き、一旦揚子江を渡って合肥に行き(南京~合肥も新線です)、合肥から六安を通って武漢までも新線を建設してつなぎました。最初から動車組軌道です。
開通当初は従来の漢口駅が最終駅となっていましたが、今回切符を買うと武漢駅となっていました。武漢駅が武昌地区の青山区に作られ、揚子江を再度渡ることになります。
武漢駅は地図で見ると武漢鋼鉄のすぐ横に作られています。実際に下りて見ると武漢鋼鉄の圧延工場の傍にあって、びっくりしました。地図でいうと青山区の自建一村とある付近に鉄道がぐるぐる回るように固まっていますが、この辺りが武漢鋼鉄で、動車組の路線はこの西側を走ります。
武漢駅から更に南にも新線が建設され、広州へ通じています。この路線も最近建設が完了し、最速の動車組は350kmの速度で走っています。
明日からは、武昌地区の辛亥革命記念館等を紹介します。
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今日からは湖北省武漢に行った時のお話しをします。まず武漢の位置関係からお話しします。地図をご覧下さい。揚子江は上海で海に注ぎますが、上海から遡ると蘇州の北を走り、揚州の南を通り、南京、蕪湖、銅陵の北を抜け、安慶の南、九江の北を通り、武漢に達します。
武漢は、古代は楚の国に属し、現在は湖北省の省都、華中第一の大都市です。武漢は、武漢三鎮と呼ばれる武昌、漢陽、漢口の三地区からなる都市です。武昌の「武」と「漢陽」、「漢口」の「漢」をとって武漢という名前になりました。東京の大森、蒲田がくっついて大田区、国分寺と立川の間で国立というが如くです。
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武漢は、古代は楚の国に属し、現在は湖北省の省都、華中第一の大都市です。武漢は、武漢三鎮と呼ばれる武昌、漢陽、漢口の三地区からなる都市です。武昌の「武」と「漢陽」、「漢口」の「漢」をとって武漢という名前になりました。東京の大森、蒲田がくっついて大田区、国分寺と立川の間で国立というが如くです。
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新天地に近い地下鉄2号線の黄陂南路駅を出たところの建物です。私は、向こう側の赤いマークのついている建物で5年働きました。手前の横縞の建物のタワー部分はサービスアパートになっており、私はここに2年住みました。黄陂南路駅付近は、私にとり馴染みのある所です。
そんな近くに大韓民国臨時政府旧址(2月8日ブログ参照)があり、今も保存されていて、韓国の人たちは大統領から観光客まで参観に来ていることを知った時は驚きました。そもそもそのような組織が1919年に上海に成立していたことさえ知らなかったのは、一応中国近代史を勉強した筈の私にとり衝撃でした。
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そんな近くに大韓民国臨時政府旧址(2月8日ブログ参照)があり、今も保存されていて、韓国の人たちは大統領から観光客まで参観に来ていることを知った時は驚きました。そもそもそのような組織が1919年に上海に成立していたことさえ知らなかったのは、一応中国近代史を勉強した筈の私にとり衝撃でした。
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