まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

綱を渡る

2012-12-02 12:44:22 | くらし

幸運に恵まれて『ぼくに炎の戦車を』2回観ることができた。同じ演目を複数回観る。
本来一期一会であるような気がするけれど。こんな機会はめったにない。

1回目観劇の後、プログラムをしっかり読むやらネットの公式ページや何やらを確認するやら。
ETV特集でチョウ監督の狙いやら想いやらをしっかり受け止め予習復習に念を入れて臨んだのだが。
これってよかったのかしら。

小賢しく小うるさく1回目観劇と比較してのことが頭に浮かんでくる自分がいて。
小邪魔になって困ってしまったわ、我ながら。評論家でもないのにね。

あれあれ?あれ?
ツヨシクン演じる直輝が旅立つときの長台詞、1回目の時のほうが私の胸に届いた、とか。
香川さん、父が息子に対する愛情告白、憲兵に連行される男寺党の大石に兄です!と叫んだ悲痛な想い、等々熱演だけが目立って響かなかった、とか。
青木さん、軽妙かつ堂々たる芝居だけど、とか。
なんかかんか自分が面倒くさい。ねえ。

全体的には、今回のほうがずっとテンポがよく楽しんだのに・・・変だ。
これって、私の心持にあるのか演じている俳優にも波があるのか、観客が醸し出す空気にもあるのか。
きっと、オペラグラスで観る時間が長かったこともあるのね、細かい表情を観ようとしていたこともあるのね。
私が新鮮でなかったのね。

そんな中。
演出家のチョン・ウィシンさんがおっしゃっていた綱渡りの意味を考えていた。
綱渡りは最初から端々に散りばめられている。
綱から落ちて片足が不自由になった男寺党の翁。
一人前の綱渡りになることが南星の夢。
男寺党を追い出した南星への弔いにと初めて綱渡りに挑戦した淳雨。
綱渡りというキーワードが1本の綱のように物語を通している。

あくまで独断の想い。

2メートルの綱の高さは。
日本と韓国の距離。親子、夫婦、男と女の距離。

1回目観たときは1回渡ればいいではないか、1回成功すれば南星への弔いになるのではないか、
と思ったのだが。
綱渡り往復は、行ったり来たりを表現しているのではないかと。
「日本にいるときは朝鮮が恋しくなり、朝鮮にいるときは日本が恋しくなり」
「日本が憎くなり、朝鮮が憎くなり」
(のような意味)
朝鮮に渡ってきた清彦と木下のセリフも日本と韓国二つの国を行ったり来たり。
プログラムの写真でも、ツヨシクンとチャさんは床の上を綱渡りしている。

そして、カーテンコールで、日韓の両俳優たちがハグしハイタッチしお互いを称えあっている姿を見ると、
もしかするとこれも物語の延長ではないかと思えるほど温かい気持ちになった。


そんなこと思いながらも、なんだかんだでとってもぜいたくな時間を持てたことに今も感激している。
ずっと舞台が頭の中を駆け巡っている。

 

コメント
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