まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

任侠ヘルパー 『居場所』

2012-12-15 12:47:05 | くらし

佐渡に帰る前に『任侠ヘルパー』2回目鑑賞。
おじさん4名おばさん6名で朝一上映、いちばん小さいスクリーンで鑑賞。

いやいや、ツヨシクン演じる彦一のどアップの場面がものすごく印象的でいつまでも脳裏に残っていたのよ。それが、どの場面かなと思ってもう一度見たくなったわけで。

「いいか、お前らよく聞けや、今日からこのごみダメみたいな施設をまともな施設に変える!」
って、劣悪これ以上ないという最低の老人施設を改善するために立て直しの決意をしていく時の表情だったのね。

ほらよくあるでしょ、瞼ひくひくとか唇ブルブルとか頬がゆがむとか、そんなんじゃないの、顔の表情が少しづつ少しづつ変わっていくのよ。微妙に。厳しいものに。
ほんと、ぞくっとするくらいの表情。ツヨシクンの瞼の傷まで演技していたようだったわ。

 (12月12日)

一切ドラマなどを見ていない人は、彼の演技を見るためだけでもいいので、
是非劇場に足を運んでもらいたいと思います。
役者・草 剛を見るべし!!!

なんてツヨシクンオタにとってはまことに嬉しいこちらの

http://japan-film-award.livedoor.biz/archives/1798789.html


ドラマや映画関係のことを書いているブロガ―さんが、奮い立つまでの時間すぐさま介護ヘルパーをやっていた感覚を取り戻し、行動に移るかと思ったが、これが意外に腰が重く、どうもそこが気になってならなかった。と書いているけれど。

ハチタンさん。やっぱり奮い立つまでの時間は、ヘルパー部分の目覚めとして遅くないと思う。
堅気になろうとしても、背中の大きな彫り物が邪魔してさんざん世間の冷たい風を受けてきた彦一が、ほんもんの極道になりたかったわけだから、組に楯ついて施設立て直しを決意するまでにはここまでの時間が必要だと思うのよ。

テーマとしては、ドラマがあまりに衝撃的かつ鮮やかな切り口で、これ以上はないというくらい深く切り込んでいたので、少々物足りなかったのは事実だけれど、
映画では『居場所』ということを取り上げていたのね。

建て替えられた「うみねこの家」が老人たちの本当の居場所。

たとえ認知症の人であろうとであろうと、厄介者として家族に見放されていや見捨てられた人であろうとも、ひととして認められた場所がその人の居場所。
自分の居場所があると思った時、ひとは生き生きとそこで暮らし始められる。

ものすごいスピードでキャベツを刻みお料理するおばあちゃんをはじめ、ひとりひとり自分の役割を持って「うみねこのいえ」に居場所を作っていたのね。

劣悪の施設にいた時は「ここ家じゃない」と必死になって脱走しようとしていた品川老人は、火事で焼けた「うみねこのいえ」に真っ先に帰って、庭先に座って渚のシンドバットの振りをしている。

うみねこの家にいた老人たちは火事の後も皆自分の居心地のいい場所に帰ってきた。   

子分の成次には茜ちゃんという居場所ができた。

そんな中、警官に追われてトンネルの中に逃げて行く彦一。
彦一ひとりに居場所がない。
映画前半で「俺には帰る場所がない」と言っていたもの。
ほんもんの極道になりたかった男には、心休まる居場所なんてない。

エンターテイメントとして楽しめるいい映画だ。

 

コメント
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