まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

プレミアムカフェ 昭和を代表する女性脚本家『没後20年 向田邦子が秘めたもの』

2019-12-06 08:55:58 | TV

録画しておいた『金曜特集 没後20年 向田邦子が秘めたもの』を何回も観ている。
うとうとしたりぼんやりしたりして観ているから、観るたびに新しい気付きがあったりして新鮮で面白い。

向田邦子さんが脚本家作家として活躍されていた当時、向田さんは私の憧れの人だった。
暮らし方から生き方そのものが格好よく、出版された雑誌やエッセイは片っ端から読んだ記憶がある。
そのころ自分のお給料と同じくらいの金額の水着(だったと思う)をえいっと買うなんて芸当は、
みみっちい私としては逆立ちしてもできない芸当だ。
ハードカバー本はだいぶ処分したが、
向田さん関係の本はまだ何冊か残っている。
日に焼けて縁が茶色になっていることが長い年月が経っていることを示している。

向田さんの年譜は昭和38年が空白になっていて、そこには13歳年上の恋人の存在があると。
飛行機事故で亡くなった後、納戸の中から何の変哲もない茶封筒をご遺族が見つけた。
男性が急死した後、母親が向田さんへと持ってきた大学ノート1冊、手帳2冊、手紙3通。
向田さんから男性あての手紙が5通、電報1通。それだけ。

向田さんの手紙の言葉はきれいだ。たとえば
「お具合いかが?」「ガスストーブお買いになって」
それでいながら最後に「バイバイ」と結んでいたりする。気を許していることがよくわかる。

男性の日記には、仕事のこと食事の献立のこと身体のこと等々が細かく記されている。
一皿一皿のおかずのメモ。ああ、これがのちの向田ドラマの食卓風景の原点になっているのかと。
向田さんは、忙しい仕事の間をぬってバブと呼んでいた男性のもとに駆け付けてる。男性の日記。
夕方、邦子来る。4時、邦子来る。突然邦子来る。
そして帰った時間も几帳面に記している。
10時半、邦子帰る。11時邦子帰る。大抵は10時半から11時ころ。
向田さんは天沼の実家暮らしだったから、二人の気遣いで帰宅はそんな時間だったのかしら。


(「向田邦子の手料理」からプロカメラマンだった恋人が撮ったとされる写真)

それにしても誰にも言わず22歳ごろからの恋、20年間も胸に秘めていた恋。
男性が妻子ある立場の人とは言え、すでに別居しているのだから結婚しようと思えば強引にできたはず。

久世光彦さんはその著「触れもせで」の中で向田さんの恋について記している。

欲しいと思うものを、奪れるようでなければ人間一流でないと言っていた向田さんが、
たった一つ、奪れなかったものがある。他人の幸せである。さびしい恋をしていた。
あの人の恋はみんなそんな恋だった。ここで自分の気持ちを通したら、きっと誰かが
一人不幸になる。そういう赤提灯の歌謡曲の世界で泣いていた。
しかし、所詮は人の幸不幸、他人の私に推し量れるものではない。

向田さんのご遺族の意志によって20年間どこにもその存在は知られなかった。が、
妹和子さんが自身の責任においてこれらの手紙を公表することに決めたという。

「どういう形であっても、これは向田邦子っていう人生なんだから、それを通らなければこの作品は
生まれなかったのではないか」
「これも姉の人生だった。いっぱい傷ついてでも好きな人もいて。これが人生だ」
「作品として言い続けていた。向田邦子の人生だった」と話している。
最初はいくら作家といえどそんな秘密を公にしていいのかしら、お相手のご家族もあることだろうし、
と少し違和感を持ったが、和子さんの話を聞けばそれもありかなと。
かなりの年数もたっていることでもあるし。
いずれにしろ、向田さんの作品の原点がそこに潜んでいることを知ることは、読者としては有難く嬉しい。

そういえばドラマや小説でも不倫の人たちや離婚歴のある恋人がよく出てきたと思う。
一筋縄ではいかない恋の数々。
「阿修羅のごとく」の長女綱子(加藤治子さんが絶品だった)の不倫 父の浮気(実際にあったそうだ)
大抵の場面は忘れているが、母親(大路三千緒さんが演じていた)が買い物帰り夫のもうひとつの家庭を物陰から目撃する。衝撃のあまり買い物かごから卵が落ちて割れた卵から君が流れ出る。
この場面は大路さんの驚愕のお顔が鮮明に記憶に残っており、すごいものを見たなと感じた。
「蛇蝎のごとく」では、娘を通して向田さんご本人の若き日の恋を告白している。
「寺内貫太郎一家」娘の結婚の場面 
父の祝福を受けて結ばれることが果たせなかった向田の夢かもしれない。と。

「その人と作品が密接に関連し、生き方が作品に反映している。
だれに話すこともなく、つらさ悲しみを作品の中にだけ残している。」
番組中繰り返される言葉。 

作家の高橋俊男さんは、向田さんは、
小説という全体をフィクションにして、最後のところに自分の中の真実を書いていこう。
フィクションなのだからだも作者のこととは思わない。と述べている。作家って似ても焼いても食えない。

 誰にも話さない、なんてよく苦しくないなと思ったけれど、そりゃあ凡人のことだ。
そうか、いちばんの友、分身である作品に投影しているのか。それもまたすごいことだわ。

それなりの文箱じゃないいかにも向田さんらしい何の変哲もない茶封筒に、
誰にも言わなかった恋の形見を仕舞っておいて。
和子さんじゃないけれど「なんで捨てなかったのかな」
まさか忘れてたなんてことはないでしょうね。やはり捨てられなかったのかしら。


 


 

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