徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

「長唄 神田祭」 と 「神田明神」

2013-11-24 20:41:49 | 音楽芸能
 今年5月、江戸三大祭りの一つ「神田祭」が4年ぶりに行われた。この祭りは隔年開催で前回行なわれたのが平成21年(2009)なので、本来なら平成23年(2011)に行われるはずだった。しかし、東日本大震災のため中止となり、今年、4年ぶりに行なわれたというわけだ。
 「神田祭」は東京都千代田区外神田にある「神田明神」こと「神田神社」のお祭り。神田という名前の由来は、もともと伊勢神宮の御田(おみた…神田)があった土地に、その土地の神を鎮めるために創建されたので神田ノ宮と称したという。「だいこく様」と「えびす様」と「平将門」の三柱を主祭神として祀る。
 現在では5月に開催されている「神田祭」は、もともと旧暦の9月15日に行われていたので、その名残りか「長唄 神田祭」は秋の花「菊」をモチーフとしており、歌詞の中にも何度も「菊」の言葉が出てくる。

 柳田國男の「日本の伝説」には、神田明神にまつわる次のような話が紹介されている。

 東京では神田明神のお祭りに、佐野氏の者が出て来ると必ずわざわいがあったといいました。神田明神では平将門の霊を祀り、佐野はその将門を攻めほろぼした俵藤太秀郷の後裔だからというのであります。下総成田の不動様は、秀郷の守り仏であったという話でありますが、東京の近くの柏木村の者は、けっして成田には参詣しなかったそうであります。それは柏木の氏神鎧大明神が、やはり平将門の鎧を御神体としているといういい伝えがあったからであります。(共古日録。東京府豊多摩郡淀橋町柏木)

(注)佐野氏(さのし)は、平安時代末期から江戸時代初期にかけて下野国を中心に栄えた一族