徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

異母姉

2013-11-29 17:14:12 | ファミリー
 母には一人の異母姉がいた。母がその人の存在を知ったのは高等女学校に上がってからだという。祖父が若い頃、一度結婚に失敗し、子供までもうけていたことに母は少なからぬショックを受けたらしい。僕にとっては伯母にあたるその人がどういう家庭でどんな風に育ったのか母は今でもよく知らないという。その人が母を突然訪ねて来たのは、お互いに嫁いだ後のことである。その人は自分の異母妹や異母弟のことをずっと気にかけていたらしい。戦後間もない、食べる物もろくにない頃、その人はわが家を突然訪ねて来た。母はその人を家に入れなかった。それは姑(僕の祖母)が士族の家に育った厳格な人だったこともあるだろう。しかし、そのことは伯母にとって終生心の傷として残っていたという。実は伯母の嫁ぎ先は裕福な家だった。食うや食わずの生活をしているであろう妹を心配し、少しでも援助してやりたいとの思いからやって来たのだった。伯母の家は二本木で遊郭を経営していた。母と伯母とのわだかまりが氷解した後、何度か二本木を訪ねて行った。行く度に当時はなかなか食べられないようなご馳走でもてなされ、衣類などの提供を受けた。まだ幼かった僕も遊郭の座敷にちょこんと座って待っていたことを憶えている。現金なもので、厳格だった僕の祖母も何の抵抗もなく二本木について行くようになった。昭和33年の売春防止法施行後、伯母の家は解体業などに商売替えをし成功した。その後も伯母を訪問する度に母が手ぶらで帰ることはなかった。伯母が病に倒れてから母はよく見舞いに行った。伯母はしゃべれなくなっていたが、母の顔を見ると涙を流して喜んだ。その伯母も昨年亡くなり、今は古町のある寺の一角に眠っている。

二本木に最後まで残っていた遊郭 旧日本亭(上村元三さんのブログからお借りしました)