徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

鬼門のはなし

2014-09-08 21:45:30 | 歴史
 先々週、横手町の正立寺で行われた「城華まつり」に行った時、大分から来られた栗田さんが「ここら辺はお寺だらけですね」と言われた。たしかに僕も以前、この界隈の寺巡りをしたことがあるが、お寺が多い。これは、熊本城の天守から見ると南西の方向で裏鬼門に当たるため、集中して寺院が建てられたからだ。鬼門(きもん)というのは陰陽道で鬼が出入りする方角の北東を指し、その真反対の南西を裏鬼門(うらきもん)と言い、この方角も鬼門同様、忌み嫌われる。だからこの鬼門、裏鬼門には熊本城と城下町を守護してもらいたいという願いを込めて多くの寺院を配置した。熊本城の北東には細川家の菩提寺である泰勝寺などがあり、南西には細川家の初代肥後藩主忠利公が没した時に建立された妙解寺などがある。(写真は泰勝寺跡)

 ところで、昨日の熊日新聞の「今日の歴史」というコーナーに下の写真が掲載されていた。1968年(昭和43年)9月7日に、福井県で行われていた第23回国民体育大会の高校水球で済々黌水球部が優勝した日であると説明されていた。


 実は、済々黌水球部が福井で優勝したのは前年のインターハイに続き、2年連続である。つまり福井は済々黌水球部にとって幸運の方角。この福井の方角が熊本から見るとまさに北東なのである。本来、忌み嫌う鬼門の方角での幸運。いったいどう説明すべきだろうか。もっとも、熊本と福井は江戸時代から細川家・松平家が姻戚関係にあったり、横井小楠の招聘などゆかりの深いところ。今日では姉妹都市となっているぐらいだから、そちらの縁の方が強かったのだろうか。ちなみにその7年前のインターハイで優勝したのは、ほぼ同じ北東の方角の金沢。結局、スポーツに陰陽道は関係ないということなのか。