徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

玉名干拓の歴史と横島潟担い節

2014-09-22 17:07:21 | 音楽芸能
 菊池川下流域の玉名地方に広がる広大な干拓地。ここは江戸時代初期から干拓が断続的に行われ、昭和の国営横島干拓まで75ヶ所もの干拓地が開かれたものだ。古代の海岸線を示す図を見ると、現在の横島町は本当に一つの小さな島、わが母の生家がある大浜町は小さな砂州に過ぎなかったことがわかる。
 新たに生まれた土地は、大部分が水田として利用され、昭和40年代からは、ビニールハウスを利用した施設園芸が盛んになり、玉名市でのトマトやイチゴは全国でも有数の一大産出地となったのである。
 横島町で現在も伝えられている民謡に「横島潟担い節(よこしま がたにないぶし)」がある。「潟担い」とは、干拓工事で堤防を築く時に、潟土を積み上げて行く作業のことで、土木機械が普及する前の昭和初期頃まではすべて人力で行われていた。「潟担い節」は、この作業をする時の作業歌で、明治以降になり踊りが振り付けられ、三味線や太鼓の伴奏も付けられたという。
 熊本にいても、同じく干拓工事の作業歌である「八代おざや節」に比べると、なかなか「横島潟担い節」に触れる機会は少なく、これから元玉名市民の一人として機会をとらえて紹介していきたいと思う。


広大な横島町・大浜町の干拓地


古代の海岸線


▼横島潟担い節
 2014.9.20 桜の馬場城彩苑・湧々座
 横島潟担い節保存会の皆さん
 撮影:栗田弘一