徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

遠い日々の懐かしい熊本・・・

2014-11-17 17:39:13 | 熊本
 上熊本駅から京町台を横断する県道は、明治29年4月13日、第五高等学校に赴任した夏目漱石が人力車で通った道である。坂を登り切った辺りの京陵中学校沿いには「京町本丁漱石記念緑道」という石碑が立てられている。またすぐ脇には「すみれ程の小さき人に生まれたし」という有名な漱石の俳句の句碑も立っている。
 昨日、京陵中学校での熊本市長選挙を終え、ここを歩いて通りかかると、80歳前後と思しき老婦人が、この石碑に熱心にカメラのシャッターを切っていた。背中にリュックサックを背負っていたので「観光客かな」と思いながら通り過ぎ、京町本丁の四つ角で信号待ちをしていると、追いついて来たその老婦人が「壷川小学校はどちらの方向になりますか?」と。僕は老婦人が壷川小学校まで歩くのは大変だなと思って、「バスで行かれたらどうですか。ここから二つ目ですよ」と言った。しかし、老婦人は「壷川小学校は幼い頃通っていたので歩いて行きたい」とおっしゃる。それじゃ途中までご一緒しましょうと歩き始めた。道々、熊本にいたのは戦前の6年間で、京町1丁目に住んでいて壷川小学校に通ったこと、その後、父親の転勤で熊本を離れたことなどを話された。そして、「たしか道の左側に刑務所があった」とおっしゃる。京町拘置所のことらしい。そこで新坂じゃなくて観音坂を通学していたらしいことがわかった。しかし、今さら観音坂へ回るのは大変だと思い、とにかく道なりに進んで、まず壷川小学校を目指すことを勧め、別れた。別れた後、彼女にとって懐かしい子供時代の思い出の熊本を訪れるのは、おそらくこれが最後の機会だろうと思うと、なぜ、遠回りになっても観音坂へ連れて行ってあげなかったのだろうと後悔にくれる一日だった。



▼観音坂(豊後街道)