徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

木原美樹さんは今・・・

2013-11-15 20:51:27 | その他
  4年前、「NNNドキュメント'09 ~20ヘクタールの希望 木原美樹27歳 私は『農』に生きる~」という番組が放送された。永年、祖父が守ってきた20ヘクタールの米づくりを継いだ、木原美樹さんの苦闘の日々を見続けたドキュメンタリーだった。農業の中でも米づくりの大変さ、困難さを実感を伴って見せてくれた番組で、放送後、かなり反響があったらしい。彼女が農業を営んでいる山口県の佐山というところは、僕が防府に住んでいた頃、よく近くを通ったところでもあったので、余計印象強かった。
 最近、減反政策が廃止されるなどというニュースが流れたので、ふと木原美樹さんのことを思い出し、今どうしているだろうと気になった。4年経っているから31か32歳になっているはずだが、などと思いながらネットで「木原美樹」と検索してみるとすぐにブログが見つかった。既に結婚し、 中澤という姓に変わったようだ。子供も生まれたらしい。優しそうな旦那様と一緒に元気に農業に励んでいる様子を見て何だかホッとした。これからも大変なことは変わらないだろうが、どうか家族で力を合わせて頑張ってほしい。

   ▼中澤美樹さんのブログ「おこめちゃん日記3

「水前寺成趣園」を聞きながら ~ 花童による玄宅寺定期舞踊会 ~

2013-11-14 23:22:10 | 音楽芸能
 今日は水前寺公園の玄宅寺で毎月一度行われる花童の舞踊会。玄宅寺を訪れるのは今回で4回目になる。夕方6時半から始まるのだが、今日も夕方のラッシュを避けるため早めに着いたので、裏手の、細川忠利公に殉死した寺本八左衛門直次の墓に手を合わせる。この玄宅寺に寺本八左衛門の墓があることを知ったのはもう随分前のことで、森鴎外の短編小説「阿部一族」を読んでからである。「阿部一族」の中で殉死を願って許された十八人の筆頭に寺本の名が出てくる。そんなこともあって一度訪れてみたいと思っていたが、それまで特に縁もないお寺にはなかなか入りづらかった。しかし、幸い花童の舞踊会が始まったお蔭で気兼ねなく訪れることが出来るようになった。しかも、寺本八左衛門の末裔の方とお知り合いになるというおまけまでついてきた。実はこのブログを通じて知り合いとなったSさんと何度かメールのやり取りを交わすうち、Sさんの奥様のご実家が寺本家であることを告げられて大いに驚いた。そして、玄宅寺で花童の舞踊会が行なわれることになった時、さっそくSさんをお誘いした。Sさんは奥様とともに来ていただき、初めて対面することもできた。それからSさんは毎回来ていただいている。
 そんなことを考えながら「水前寺成趣園」の曲に合わせて踊る花童の踊りを見ていた。


今日は素囃子「羽根の禿」の演奏も行われた。


花童全員でのお客様のお見送り

フォーチュンクッキー現象!?

2013-11-13 19:20:52 | 音楽芸能
 AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」が社会現象化しつつあるようだ。曲そのもののノリの良さもさることながら、指原莉乃らのダンスパフォーマンスが受け、AKBファンなどが真似をして撮ったビデオをYouTubeに投稿し始めると、「AKB48オフィシャルチャンネル」がこれらを公式動画として紹介し始めたものだから、われもわれもと投稿が始まったものだ。
 7、8年くらい前から「Me Singing」という、素人がヒット曲などをカバーしてYouTubeに投稿することが流行り始め、それがきっかけでスターダムへ駆け上がった人もいるが、いよいよグループやダンスパフォーマンスへも広がって来たということか。
 ところで、「フォーチュンクッキー」という題名の映画が昔あったような気がして調べてみたら、ビリー・ワイルダー監督の「恋人よ帰れ!わが胸に」という映画の原題が「The Fortune Cookie」だった。この歌とは何の関係もないが。
 それはさておき、僕はAKB48のインドネシア版、JKT48の「Fortune Cookie in Love」(English Version)が一番好きだ。


成道寺の荒れようはどうしたものか・・・

2013-11-12 16:16:24 | 熊本
 昨日、1年ぶりに成道寺を訪れた。昨年は、紅葉の時期に2回訪れたが、紅葉の美しさはともかく、境内の数か所でいかにも庭園管理が行き届いていないところが気になった。そして今回、それは益々酷くなっていた。どうも年々荒れていっているようで気になって仕方がない。今回は何十年ぶりという母を連れて行ったが、幼稚園勤務時代、研修などで何度もこの寺を訪れている母はあまりの変わりように落胆していた。
 今日、さっそく熊本市のコールセンターに実情を伝え、成道寺の管理体制についてメールで問い質してみた。しばらくして市の文化振興課から回答の電話があった。「市として文化財に指定しているのはいくつかの石塔などで、寺そのものや庭については個人の資産であり、直接管理しているわけではない。お申し出の内容は管理者に対してお願いをしてみる」といった内容だった。
 もう1週間かそこらで紅葉のピークの時期になるだろう。昨年もそうだったが、県外からも観光客がやってくる。多くの観光客の目的は紅葉に囲まれた寺や池や庭園を眺めたり、写真を撮ったりすることだ。拝観料200円を払うのは決して市指定の文化財が主目的ではない。今のような状態では熊本市民としてちょっと恥ずかしい。はたして状態が改善されるかどうか見ものだ。


棚田のタップダンス と 三番叟の反閇(へんばい)

2013-11-11 18:21:38 | 音楽芸能
 先日、テレビのニュースで岡山県美作市上山の棚田において大勢の若者によるタップダンスが行なわれたと報じていた。その映像を見ながら、最初はとても場違いな印象を持った。


 しかし、映像を眺めているうちに、ふと「待てよ!これはひょっとして三番叟の反閇と同じことじゃないの?」と思い始めた。
 能や日本舞踊の演目である三番叟は五穀豊穣を寿ぐ踊り。三番叟の中で反閇と呼ばれる足を持ち上げ踏み下ろす所作は、「おおさえ おおさえ よろこびありや よろこびありや」という台詞とともに土を踏みしめ、悪霊を封じ込める動作だといわれる。
 一方のタップダンス。アフリカ系ともヨーロッパ系とも言われるが、大昔からあった足を踏み鳴らすことによってリズムをとる動作が、20世紀のアメリカでジャズ音楽などと融合し、ダンスパフォーマンスとして完成したものだという。今日の洗練された動きからは想像できないが、太古の時代の足の踏み鳴らしには、日本の反閇と同じような精神性は無かったのだろうか。僕は研究したこともないのでわからないが、とても興味深いものがある。

 大正・昭和時代の代表的な民俗学者・折口信夫の「日本芸能史六講」の中に、「踊り」や「舞い」の起源について、次のような一節がある。

それで天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が木槽(ウケ)を突き踏みとゞろかして踊つたりしたといふことは、大地に籠つてゐる魂を呼び醒したといふことになりますが―――そしてそれが當然に第一の段階を作つたといふことになるが―――これはまた惡い魂を抑へつけたことにもなるのです。
つまり踏みとゞろかすといふことは、惡い魂を踏み抑へつけて再び出て來られないやうにする、といふことにもなります。それでその抑へつける方は何か、といふと、これは反閇であります。これは力足を以て惡いものをば踏み抑へつけるといふ形をする、同時に、惡い霊魂が頭をあげることが出来ないやうに、地下に踏みつけておく形です。このことは日本人のもつてゐる踊といふ藝の中に傳承されてゐますが、このをどりといふ吾々の語は、語自身をみると何の意味もなかつたといふことが訣ります。
つまり下から上にぴん/\と跳び上ることをば繰り返すやうな動作のことを言うた語です。

   ▼反閇の所作が含まれる「羽衣三番叟」

将門の祟り!?

2013-11-10 16:35:09 | 音楽芸能
 先週金曜日のNHK・Eテレ「にっぽんの芸能」は、今年4月の歌舞伎座こけら落とし公演から「忍夜恋曲者」通称「将門」が放送された。と言っても平将門が出てくるわけではなく、その遺児・滝夜叉姫と将門の残党狩りを命じられた大宅太郎光圀の対決を描いた名作舞踊。坂東玉三郎の傾城如月(実は滝夜叉姫)の妖艶さや、尾上松緑の光圀の凛々しさなど見どころいっぱいで約40分ほどの大曲もあっという間という感じだった。
 将門と言えば、先般、NHK高校講座の日本史で「承平・天慶の乱」を見たばかりだが、今から1000年以上も前の事件なのにいまだに「将門の祟り」などという言葉をよく聞くが、それだけ一般大衆の心を動かす存在だったのだろう。
 実は将門には熊本も因縁があって、今から37年前の昭和51年(1976)の大河ドラマは「加藤清正」にほぼ決まっていたらしいが、制作開始直前に、なぜか平将門を主役とする「風と雲と虹と」に急遽変更されたという歴史がある。以来、熊本県民の悲願である「加藤清正」の大河ドラマ化はいまだに実現していない。これも「将門の祟り?」。また、今、僕の研究テーマの一つでもある女流歌人の檜垣は「将門の乱」に呼応した「藤原純友の乱」によって全財産を失い、零落して肥後国の白川のほとりに流れて来たといわれるから、何やら妙なつながりを感じてしまう。


坂東玉三郎の傾城如月(実は滝夜叉姫)と尾上松緑の大宅太郎光圀

今年最後の陸上競技会

2013-11-09 23:50:31 | スポーツ一般
 今年の陸上競技(トラック&フィールド)は今日の熊本陸協秋季記録会が最後の公式競技会。3月30日の春季記録会で幕を開けた今シーズンがあっという間に終ったような気がする。わが期待の女子短距離、野林祐実(九州学院)の高校最後のシーズンだったが、彼女は2年生だった昨年ほどの成績はあげられなかった。しかし、考えようによっては、これから進む次のステージへ向けての良いモティベーションになったのではないだろうか。
 さて、彼女の後を継ぐ選手は誰かを見定めるのが目的で今日の記録会を見に行ったが、まだまだ混戦状態のようだ。ちなみに今日の100mの記録を比べてみると下記のとおり。なお、北川愛菜は200mも25.28でトップだった。
北川愛菜(1) 熊本学園大付高 12.55
福嶋美幸(2) 九州学院高   12.56
深川恵充(1) 八代東高    12.61

▼女子100m


1レーン 塩塚あかね(セルモ)
2レーン 都甲留楓(大分西高)
4レーン 酒井優香(熊本商高)
5レーン 福嶋美幸(九州学院高)
6レーン 深川恵充(八代東高)
7レーン 山下歩花(宇土鶴城中)
8レーン 北川愛菜(熊本学園大付高)
9レーン 田中芹奈(九州学院高)

古希! エッ そうなの?

2013-11-08 18:03:03 | 
 熊大附属小学校の同窓会の案内が幹事のM君から届いた。今回の主旨は「古希の祝い」だという。まだ3年先と思っていたから愕然とする。何しろ開催日は来年5月の話なので出席できるかどうかまだわからない。
 案内文に同級生たちの現況が添えられていた。3クラス合わせて137名が卒業したが、既に鬼籍に入った方が16名。現住所不明の人が36名もいるので、その中には亡くなっている方も含まれているに違いない。もうそんな年齢である現実を突き付けられた思いがする。
 また、僕たちが卒業した昭和33年(1958)当時の建物で現在も唯一残っている旧講堂(現給食センター)の写真も添えられていた。懐かしくなってアルバムを引っ張り出し、小学校時代の写真にしばらく見入ってしまった。




当時の校舎の屋上で。向うに光永寺や往生院が見える。

花の色は うつりにけりな ~ 小野小町(おののこまち)二題 ~

2013-11-06 18:34:06 | 文芸
◆小野泉水公園
 今は熊本市となった植木町には、平安時代の歌人で絶世の美女と謳われた小野小町が産湯を使ったという伝説が残る「小野泉水」がある。
 今日、用事で植木へ行ったついでに立ち寄ってみた。他には訪れる人もなく、秋色が濃くなりつつある木々の向こうでゲートボールに打ち興じるお年寄りたちの声が水面を渡って聞こえてきた。



▼公園の案内板

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

※この歌は、自分の容色の衰えを、雨に打たれて色あせた桜の花になぞらえて嘆いている歌だという。

◆卒都婆小町(そとばこまち)
 「三島由紀夫生誕90年・没後45年記念プロジェクト」の一環として、三島が能(謡)を戯曲化した「近代能楽集」のうち「卒塔婆小町」と「葵上」が第一弾としてDVD化された。
 この「卒塔婆小町」は「七小町」と呼ばれる小野小町を題材とする能のうちの一つ。演出は映画「透光の樹」や「ヴィヨンの妻」などの話題作で知られる根岸吉太郎監督。出演は寺島しのぶと北村有起哉。


今日の気になるニュース

2013-11-05 21:39:42 | 時事
◆熊本県のウナギがとうとう捕獲禁止になる。ウナギ資源の激減対策だからしかたあるまい。子供の頃の夏休み、母の生家のそばを流れる菊池川へ、叔父たちのウナギ獲りについて行った想い出があるが、石垣の間に手を突っ込んだりして面白いようにウナギが獲れたあんな時代はもう帰って来ないのだろうか。

◆まぁ次から次に出てくるホテルレストランなどのメニュー表示と異なる食材を使っていた問題。阪急阪神ホテルズがメディアで騒がれ始めた頃、おそらく氷山の一角だろうと思っていたが、まさにそのとおりになった。日本人のこころは「お・も・て・な・し」だなんて、とても恥ずかしくて言えたもんじゃない。


菊池川

「ザ・わらべ の “ 奴だこ ”」 江戸文化のサイトで紹介!

2013-11-04 17:07:25 | 歴史


 前に一度ご紹介したが、江戸下町の文化を研究している「江戸東京下町文化研究会」というサイトがある。江戸文化について調べたい時によく僕が訪れるサイトだが、熊本に伝わった江戸文化の一例として、ザ・わらべ が踊る「品川甚句」の映像を3月から同サイト上でご紹介していただいている。そして、このほど、2曲目として「奴だこ」をご紹介していただくことになった。心より感謝申し上げたい。
 この「奴だこ」は、江戸端唄の「奴さん」をモチーフとして藤本流三味線初代家元・藤本ひで丈さんが作曲された江戸情緒溢れる名曲。一人でも多くの方に江戸端唄と ザ・わらべ の芸の魅力を味わっていただきたい。

 ▼「江戸東京下町文化研究会」のサイト


2011.11.25 熊本城本丸御殿「秋夜の宴」
振付 中村花誠
立方 ザ・わらべ
地方 藤本喜代則と喜代則社中/中村花誠と花と誠の会

冨重写真所シンポジウム

2013-11-04 11:43:45 | イベント
 日本最初の写真師上野彦馬に学び研究し、明治3年(1870)に熊本に初めて写真業を開いた冨重利平。利平が残した明治時代の撮影所や機材、古写真などは日本写真史における黎明期の資料として世界的にも価値の高いものである。この熊本の至宝ともいうべき冨重写真所の存在価値を再認識し未来へ活かすべく、このほどシンポジウムが開催されることになった。

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大和楽(やまとがく)って ナニ?

2013-11-03 15:55:31 | 音楽芸能
 数年前までその名前を聞いたこともなかった「大和楽」。舞踊団花童の演目の中に大和久子(今藤珠美)さん作曲の「大和楽」が数多く含まれているお蔭で「大和楽」を今では頻繁に楽しんでいる。
 そもそも「大和楽」とはいったいナニ?という話になるが、「大和楽公式ホームページ」の説明からその要点を列記してみると

◇「大和楽」という古式ゆかしい響きとは裏腹に、昭和8年に生まれた新しい楽派であること。
◇創始者は、大倉財閥二代目の大倉喜七郎男爵であること。
◇邦楽の系統の中で「三味線音楽」と呼ばれるジャンルに属すること。
◇その「三味線音楽」の中でも「語り物」にも「唄い物」にも分けられないこと。
◇伝統的な邦楽に現代的な音色をまとわせて、人々により親しまれる楽曲を創りだそうというコンセプトであること。

 「大和楽」には、洋楽の発声法やハーモニー、輪唱、ハミングなどの演奏法も採り入れられており、女性主体の楽派であることも特徴のようだ。
 ちなみに舞踊団花童の演目に含まれる「大和楽」の主なものを挙げてみると
 羽衣三番叟・花がすみ・船場川・舟・梅・肥後の花娘など

 この中から今回は僕の大好きな「舟」をご紹介したい。




十八世 中村勘三郎 一周忌メモリアルイベント

2013-11-02 20:20:41 | 映画
 昨年12月5日に急逝した十八世中村勘三郎の一周忌を前に、故人を偲ぶイベントが山鹿八千代座で開かれます。

▼映画「中村勘三郎」上映
 11月30日(土)14:00
 12月 1日(日)10:00
          13:00
          16:00
▼子供による舞台芸能
 11月30日(土)12:00
 【出演】八千代座子供歌舞伎、舞踊団花童


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