雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

仙台事務所 昔話ー32

2007-02-20 06:22:49 | カワサキ単車の昔話
仙台事務所のスタートの思い出

広報やレース担当の後、1967年1月から約4年間仙台で東北6県を担当した。

「仙台に事務所を作って東北6県を上手くやれ」そんな曖昧な指示だけだった。

引継ぎなど一切なかった。
自分にとってはじめての転勤であったが、どこを事務所にするのか、自分の住む家をどこにするか、など一切白紙の状況で全て自分で決めなければならなかった。

今思えば無茶な話だが、余り苦にもならなかった。
入社10年目であったが、それまでも会社ではじめてで、上の人が経験のない仕事ばかり担当してきたので慣れていて、そんなものかと思っていた。

自分の住む家をまず決めてスタートした。
もう少し慣れてからにと言ってくれたが家族ははじめから連れて行った。

川重の仙台事務所はどうかと言って頂いたが、どうも単車には馴染めそうにもないのでお断りし,
取り敢えず、宮城カワサキに机を一つ借りて一人でスタートした。

一人というのが一番困った。
女子を雇えというので、新聞に小さな広告を出したら応募があった。
一人目の面接をして即座に採用を決めた。
ぐずぐずしていて後が来るかどうか心配だったし、兎に角早く、一人から開放されたかった。

菊池さんというお嬢さんだったが、結果的にめっちゃ良かったと思っている。
神様がいい人を選んでくれたんだと思った。

宇田川、海老沢君、森谷君と田中さんがそのうち加わり、
石塚君が当初出張ベースで来ていて7人体制でスタートしたのだが、
私自身が未経験、宇田川君もサービスはベテランだが営業初めて、海老ちゃんも営業見習い程度、森谷君は単車の経験なし、石塚君は当時は堅いばっかりの経理やさんで、まともなのはサービスの田中さんだけだった。

こんな素人集団からの出発だったが、東北の4年間はこのメンバー全てにいい成果といい思い出を残してくれたと思っている。
「代理店の経営指導を含んだ営業」を素人集団がやるという常識を超えた責務であったがみんなが背伸びしながらの活動で、ホントにそれぞれ背が伸びたような気がする。

2月半ばからは連日の代理店会に出席のため東北6県を回ったりもしたが

6月までの半年間は、MFJの全日本をはじめ4回もモトクロスレースがあった。
ファクトリのメンバーを招聘したり、当時秋田にいた金子豊君(現星野インパル社長)と彼の空冷パブリカのスポーツカーで走り回ったりしていたが、そんなレースに関係する活動が直接営業に繋がるほど東北はレースが盛んであったのは助かった。

レースに関しては、代理店の社長さんよりも誰よりも詳しく、またレース界に顔が効いたので、一目も二目も置いて頂いた。前職のレースがこれほど役にたつとは思わなかった。

この間ずっと宮城カワサキにお世話になったが、5月には新事務所の土地候補地も決まり、だんだんと営業らしい活動に入っていくのである。

そんな思い出の仙台で、3月6日宮城カワサキにいた服部君が独立開業30周年の記念パーテイがある。
ご招待頂いているので喜んで出席したい。懐かしい限りである。
コメント (2)
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