雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

反町ジャパンの反町くん

2007-02-22 08:10:12 | スポーツ
昨夜は反町監督率いる22才以下の日本代表とアメリカとの親善試合があった。
結果は0-0で引き分けたが、もう少しで勝てる惜しい試合であった。

反町監督は私の息子と同学年である。
息子が小学生の頃からサッカーをしていたので、5,6年生頃からのサッカー事情は何となく普通一般の年寄りよりは幾らかよく承知している。

毎年、子供たちのサッカー大会が神戸であって、
その頃のオール清水は圧倒的に強かった。全ての学年で優勝した年もあった。

息子と同学年の清水では、中盤の望月くん、後藤くんFWの佐野くんなどが有名でその頃からスターだった。反町くんもいたのかも知れぬが、私は知らなかった。

確か、中学生になって清水と兵庫選抜が東京で試合をしたとき、何故か望月、後藤くんは居なかった。
このときはじめて、反町くんの存在を知った。
清水の監督が試合中に何度も「そりまち、そりまち」と叫んだからである。特徴のある名前だったので耳に残った。

望月、後藤くんなどは高校時代も有名で高校サッカーで活躍し、望月くんはその後オランダのチームと契約するなど話題となった。


反町くんを意識するようになったのは、横浜フリューゲルスで息子とチームメイトになってからである。
Jリーグがスタートして、みんな全日空の社員に戻ったとき、一人チームに残り、更にプロ契約でベルマーレ平塚に移籍した。

そんなに飛びぬけたスター選手だったという印象もなかったので、全日空を振ってプロになるという、この判断にはビックリした。
息子の嫁のノンちゃんが「反町くんがどうのこうの」と言っていたのはその頃のことである。

全日本に選ばれたりもしたが、あっさり引退して、次に気がついたらNHKの解説者、それもスペインリーグに非常に詳しかった。
その後、新潟アルビレックスの監督になり1部昇格させてからは、ご存知の通りである。


このまま順調にいけば、日本で何人しかなれないA代表の監督ももう視野の中にある。

慶応大学も一浪して普通に入ったとか、反町くんのその時々の決断がどのようにしてなされたのか、息子と同年代だけに余計に興味深い。

人の人生は、いろいろと変わるものである。
その時々の判断も大事だと思うが、ベースにあるのは継続した努力の積み重ねのような気がする。

今は成功の道を歩んでいる。
チャレンジを続ける反町監督の、今後の更なる飛躍を期待したい。


コメント (7)
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