雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

宇田川勇くんのこと

2007-03-12 06:06:51 | カワサキ単車の昔話
先日服部カワサキの記念パーテイに元岩手カワサキの山本昌三郎君が出席していて、宇田川君や石塚君などの昔話に花が咲いた。

メイハツ工業に入社してからカワサキへ、私が40年前、仙台で会った時まではベテランのサービスだったのだが、私同様その時から営業に転進した。

岩手、青森、秋田の営業を担当した。
厳しかった宮川部長の下で慣れぬ経理や経営数値をお互い懸命に勉強した。

岩手の久保さん、秋田の斉藤雄幸さんなど、本来なら難しい営業のお付き合いを本当に上手くこなしていた。
流石、永年サービスでユーザーのクレームなどに対応してきた実績と、営業新人の私など大いに見習うところが多かった。

会社の職位などというのは、運不運もあって必ずしもその人の実力に見合うものではないと思う。
偉くならなかった訳ではないが、宇田川君などその最たる例だろう。

本当に難しい仕事を期待通りにこなす実力を持っていた数少ない人材だったと思っている。

ジェットスキーの国内展開の難しい時期に西武やヤナセの人たちと上手に付き合ったし、二輪でもあの難しいと言われたヤマハオートセンターの杉浦さんが一目も二目もおいていた。

これは彼の特技みたいな人を納得させる話術と経験、人柄のなせる業だろう。
今でも西武関連のジェットスキー関係者とはお付き合いがあるとか。

江戸っ子でさっぱりしていたが、無茶苦茶きれい好きだった。
私は少々雑然としていても気にならない方だったが、仙台で宇田川君と出会って、会社ではこんな人もいるのだから、事務所などの整理はそんな人の基準に合わすべきだと思うようになった。

晩年、全国の事務所やショウルームを水準以上にきれいにしたのは、彼から受けた影響と思っている。

本当に一度会ってみたいなあと思う人、宇田川君はそんな男である。
先日、山本君などもしきりにそんなことを言っていた。

一緒に苦労をした人たち、それはみんな懐かしいのである。

先日の会合に出た人たち、服部、海老沢、山本、山本夫人、浅沼、竹中君。
昔話に名前が出た人たち、宇田川、石塚,石塚夫人、守谷、宮川、門伝、斉藤雄幸,蓬田、稲垣、小林,連保、柄沢、中村君など。

当日、北見の奥山さんが亡くなったと聞いた。
95歳とか、カワサキの代理店時代から唯一残っておられた方である。
北海道川重建機のころ一度ご挨拶したのだが。 ご冥福を祈りたい。
コメント (4)
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