雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ソウルオリンピックの思い出

2007-03-25 06:13:55 | ジェットスキー&KAZE
1988年10月、ソウルのオリンピック委員会の招聘を受けて、オリンピックの開会式の当日スタジアムの直ぐ横を流れる漢江(ハンガン)でジェットスキーのデモンストレーションを行うことになった。

オリンピックとあってデモを行う選手も、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、日本からの男女代表選手でチームを構成した。
この団長をおおせつかったのだが、日本からは当時ジェットスキーの責任者だった鶴谷君や藤田君JJSBAの会長の苧野さん、それに福井、大南君など日本のジェットスキー業界の先駆者たちが参加した。

オリンピックファミリータウンに宿舎を用意して貰いオリンピックも自由に観れた筈なのに、本番前の練習やら挨拶ビジネスなど忙しくて、13日から18日まで1週間もいたのに、結局何も観ることはできなかった。


それなりに理由はあったのである。
戦前、中学1年生まで当時の京城、いまのソウルにいた。

どうしても住んでいた家がどうなっているのか確かめたくて、苧野さんとタクシーに乗って探しまわっったのである。
様変わりしていて見つけにくかったが、小学校を探しあてそこから道を辿ったら、家が見つかったのである。

殆ど昔のままの姿で残っていた。感無量であった。
懐かしくて帰国する当日、今度は独りでもう一度家を見に行ったりしたのである。

戦前の当時と比べるとソウルも見違えるほど発展している。
オリンピックスタジアムのあったハンガン流域は昔は何もない荒地だったのに、繁華街に一変している。
昔の漢江も魚釣りに行ったりしていたのでよく覚えているが、当時の面影はない。


そんな思い出のあったソウルオリンピックであったが、当日のデモンストレーションは練習の成果が出て無事終了し、みんなで賑やかに打ち上げパーテイをやったのを覚えている。

英語でスピーチをやったのは二度しか経験がないのだが、この時がその1回である。
英語のスピーチといっても流石に原稿無しでは難しく、鶴谷君の作ってくれたものを読み上げただけのことであった。

ソウルオリンピックの想い出は、オリンピック委員会から頂いた立派な額をみて時々懐かしく思い出している。
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする