雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

SPA直入物語ー1 昔話ー40

2007-03-16 06:20:31 | M/Cレース
SPA直入物語ー1

SPA直入も今年1月1日から㈱オートポリスの一部門として一括運営されるようになったとか。

今から30年以上も前から、いろいろと問題もあったプロジェクトだが、本当にいい形で決着がついてよかったと思う。

SPA直入については、色濃くその建設に関係したので想い出も多い。
当初からの話を詳しく知っている訳ではないが、何となくその経緯の大要はわかっているので、「SPA直入物語」として、概略をまとめてシリーズでお伝えしたい。


1970年代に入って、実用車から大型スポーツ車の時代へと移ろうとしていた。
A1やマッハⅢが世に出て、Z1が開発進行していた頃である。

開発部門としては独自のテストコースが欲しくなるのは当然であり、74年頃にはその候補地として岡山なども噂されていた。
その候補地の中の一つが大分県の直入町であったと思う。

このような不動産の取得は、地元との調整などもいろいろあって時間が掛かるものである。
特に、人の採用問題は地元としては第一条件にするので、テストコースだけではなかなか要望を満たすことが出来ず、何か付帯の小さな工場でもというような話になるのである。

この頃は、技術部門の確か堀江さんや渡辺さんが担当されていて、人の採用については難しく、当時カワ販が取り扱っていたFRPボートのFRP工場でもどうかという話があったりしたので知っているのである。

大分の山の中でボートを造るのかと不思議に思ったのを覚えているのだが、余程その対策に困っておられたのだと思う。1974年頃の話だと思う。

私は75年秋にカワ販から企画に異動した。
企画室長は堀川さん、技術部は高橋鉄郎さんの時代になっていた。
テストコースの候補地は直入町に絞られていたが、その購入には堀川さんが反対をされていた。

その理由は、堀川さん独特でいろいろあったのだと思うが、
「当初テストコースの必要条件に挙げていた大型スポーツ車Z1などは既に世の中に出ていて、テストコースなどなくても、開発できたではないか」というのがその一つあった。

塚本本部長の頃で、技術部としても事業部としても購入したいという立場ではあった。

このような土地の取得は、本社の財産課の管轄で川重不動産の加藤社長なども「購入賛成」の立場で、いろいろとややこしいことであった。

76-10-5に高橋宏企画部長に「とにかく一度現地を見ておきましょう」と促して、はじめて直入町を訪れた。
博多から古石君の運転で、今有名な黒川温泉を通って直入町まで、何とも山の中だという感想であった。温泉に入れて頂いてただ現地に行ったというだけの出張ではあった。

そんな経緯はあったのだが、多分76年か77年に土地の購入がなされたと思っている。
コメント (2)
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