雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

三木市総合計画

2008-01-05 04:33:12 | みっきぃふるさとふれあい公園
新春に広報みきが送られてきた。

その特集で、三木市総合計画が紹介されている。
めざすは「日本一美しいまち三木」
人にやさしいスローライフなまちづくりをめざします。

と格調高く書かれている。めざす方向に異論はない。


然し、この特集を読んでみて、
三木市がどこまで真剣にこの目標に向かっているのか、その切実な想いのようなものは、一向に伝わってこない。

もうこのような目標を立ててから、1年半の月日が流れた。
まだ今頃、目標を総合計画にどう盛り込んだかの説明だけに熱心なのである。

1年半の間の進捗状況や現状認識が皆無なのである。
こんな調子なら、4年経ってもまだ説明をしているかも解らないと思ってしまうのである。

その説明の言葉も、綺麗に書かれてはあるが、どんな実績があるのか不明である。
「選択と集中」、今言われたことではない。ずっと以前に使われたのである。
何を選択しどこに集中したのか?

「情報の共有」、これも2年も前から言われているが、「市民との情報の共有」と言われても、何を指しているのか解らない。
情報とは計画の中味などよりは、現状が、現状分析など今の姿を知りたいのである。
市や市長の想いが伝わらない情報など、市民はそんなに価値も興味も認めないのであろう。


とにかく、美しい言葉のみ先行するのではなくて、もっと具体的事実を積み上げていって欲しい。
「手伝おうと言う、協働を思う市民」は間違いなくいる。
批判をする人たちも、いたずらに批判をしているわけではないと思う。
何の関心も示さないサイレントマジョリテイと呼ばれる、大多数の無関心の市民よりはずっとましである。

まず、その人たちにまともに答えずに、だんまりを決め込む姿勢はいただけない。
間違いなく市民の声なのである。
ますます盛んになるネット社会での対応を間違っていると思う。
だから、10人しか集まらないタウンミーテングになってしまうのである。
そのタウンミーテングのコストが幾らなのか、一度見直す時期に来ていると思う。


新年早々、少々辛口だが、
幾ら書いても、幾ら市民が言っても市長や役所には届かないのか?
三木市の情報収集力はその程度なのか?


ただ、少し弁護して言うなら、三木市が特に悪いわけではない。
普通一般の市のレベルではある。

然し、「日本一美しいまちみきをめざす」レベルには、とてもなっていないと思うのである。
今年こそ、三木市が本当に目標に向かって、いい方向に歩んで欲しいと心から願うものである。


及ばずながら仲間と一緒に、私のできることで、三木のために頑張りたいと思っている新春である。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする