雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

旧友たちとまたーー

2009-02-11 04:46:15 | カワサキワールド
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最近、NPOのこともあって何かと昔のカワサキの連中と話をする機会がめっきり増えた。
すっかり世間一般のスピードに慣れてしまって、のんびりとしたペースでやっていたのだが、1月末から俄然昔のペースに戻った。

NPOは出来てしまえばそんなにバタバタすることはないが、むしろ準備期間は、気を緩めずに確りとした仕組みを造りたいと思っている。

昨日は、朝東京の村島君からメールも来たし電話も掛かった。
この人たちと話をしていると、兎に角反応が早いのが気持ちがいい。
ちょっと、ホームページの事で質問をしたのだが、その回答である。
『21日にそんな関係者に会いますので、そのときに聞いておきます』ということだったのに、即答のような回答である。

それがまた、内容が申し分なく本当にそんなにうまくいくのかと思ったりするが、
どうせ、中味を詳しく聞いてみても私には解らないことなので、信じてお願いすることにした。
これで一つ解決である。

ついでに、ユーザー管理やそこへのモノの発送について聞いたら、部品の発送はお手のもので、1万人のユーザーに発送しているシステムがあるから、大丈夫それを使ってくださいと仰る。
ハンドルネーム大和屋嘉平、流石である。
このホームページ、下のほうだがこの『雑感日記』をリンクしてくれている。
そんなお付き合いだが、仕事で付き合うのはみんな15年振りである。


基本コンセプトについて、佐々木八太夫君に朝電話をしたら、夕方には彼の想いをメールで送ってくれた。
ソフト会社、考え行動する手法は最大手電通の極小型であるが、守備範囲や機能は電通のようにと逆にハッパを掛けられた。
彼も、無茶苦茶反応が早い。これもまた気持ちがいい。


タッチャンのところに、ちょっと用事があって電話をしたら、
『今、藤田さんが来てますよ』という。
藤田孝明君、私と同じ昭和32年(1957)、川崎航空機入社である。
入社当時は野球部で、三遊間を組んだり、1,2番を打ったりした。

仕事で付き合ったのは、あまり皆さんはご存じないが、
彼が会社が面白くないから『止めたい』と言う話の相談に乗ってからである。
昭和46年のことだったと思う。
私は近畿を担当していて、京都の営業所を任すから、『やめるなどと言うのはよせ』と京都の所長を任せてからである。

この京都以降、名古屋、西日本、東京そしてジェットスキー、JJSBA、KJS常務などと続くのだが、藤田君の販売店からの信頼は、まあグループの中でも最右翼であったと思う。

大東京の所長から、1店の店もなかった国内のジェットスキー販売網の立ち上げに部下一人も持たずに、単身でチャレンジしてくれた。
そのジェットスキーの専門店の第1号店をリスクを犯してやってくれたのが、佐々木君である。2号店が福井昇君なのである。
非常に難しかったジェットスキーの立ち上がりなどは、彼でなかったら出来ないと思った。躊躇なく手伝って貰うのに藤田君を選んだのである。

KHI側で、これも独りで引き受けてくれたのが、オーストラリアの社長から帰国した鶴谷君である。
こんな人たちが居なかったら、国内やヨーロッパにジェットスキーの市場は開花しなかったと思う。
みんなソウルオリンピックの開会式のデモンストレーションに一緒に行ったメンバーである。
ちなみに、村島君は当時のジェットスキー販売店である。

藤田君はパソコンなどやらないので、最近は疎遠だったが、本当に久し振りに電話で元気な声を聞いた。
今度のNPOには、声を掛けていなかったが、
今日声を聞いたので『手伝えよ』と言って電話を切ったが、その後タッちゃんとどんな話になったのだろうか?


このたび、NPOの関係で、タッチャンや平井、山本、福井、村島君らに声を掛けているが藤田君はその誰ともツーカーの仲である。
彼が若しホントにやる気なら、彼に繋がっている販売店の人たちはバイクもジェットスキーもいっぱいいる。

無口であまり喋らないし、それでも信頼があって誰も彼には一目置くのは、
彼が常にどちらを向いて仕事をしてきたか、によるのだと思う。
末端はそんな態度を見抜く目は鋭い。

ひょっとしたら、また一緒に何かやれるかも解らない。
お互いもう年だが、元気だし大丈夫やれると思っている。
今日、たまたま、声が聞けたのも何かのご縁である。
コメント
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