雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

今日は忙しい

2009-02-15 05:20:09 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
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新聞の一面トップは『熱冬の変』と2月の最高気温を105地点で記録したと大きく報道されている。

この辺りも、勿論暖かかったが、静岡県清水が26.8度と全国最高である。
北海道恵庭は7.6度と流石に一桁だが、関東以西は軒並み20度を越えている。
そんな中で、一番低いのは兵庫県明石市の18.1度である。
それでも、見出しは『2月の観測史上最高気温となった主な場所』とあるから、18.1度も最高気温なのだろう。

そんな暖かさが、今日までは続くが、明日からは一転2月の寒さが戻ってくると言う天気予報である。


今日は、1日忙しくなりそうだ。
毎月第3日曜日は朝、9時。 三木総合防災公園でマイスター同好会のモーニングツーリングでカワサキのバイクが集まってくる。
そんなに沢山ではないのだが、もうほぼ1年も続いている。

何事も継続は力である。
今日は主宰者のモリチャンが、2月1日新発売のカワサキZRX1200 DAEGの実車を持ってくるという。
今日から、公園でジョギングもするので、運動靴を持参せよと連絡に書いてあった。

今朝は、山本隆君も平井稔男君もカバン屋さんも参加すると言っていた。


10時半からは、直ぐ近くの緑ヶ丘公民館で、『鉄道模型の走行会』がある。川重鉄道研究会の人たちが、5月に大掛かりな走行会を三木の『よかたん』でやるのだが、今日は関係者にどんなものかを見せる「予行演習」である。
ツーリングに来たメンバーもみんなこれに参加する。

そして、同じ会場でこの走行会の終わったあと、
NPO法人 The Good Times の設立に関しての打ち合わせ会をやることになっていて、朝から夕方までぎっしりとスケジュールが詰まっている。

カワサキの関係者に三木の地元の人が加わる。
今回のNPOが、まさしくこの1日のようなコンセプトなのである。

『異種、異質のグループ』や、『広域に散らばっている人たち』が、お互いに『連携、協働』していろんなことを行い『good time』を演出しようとしているのである。 そんな遊びの『企画、ソフトNPO法人』なのである


今日、集まるメンバーは
平井、山本隆、渡部、福井、森田、細谷などカワサキのバイクやJSの連中や、川重鉄研の小林、吉田君など、これにマイスターのバイクユザーやカバン屋さんそして地元の三木の緑ヶ丘や吉川の人たち、市民も役所の方たちも沢山集まるだろう。

キーになっているのは、『バイク』だったり、『鉄道模型』だったりと言うハードもさることながら、『ひょこむ』と言うSNSで繋がっているのである。
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バイクと共に暮らす

2009-02-14 04:28:19 | 発想$感想
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長く、二輪の世界にいました。

若しこの世界を知らなかったら、多分私の人生はもっと味気ないつまらぬものになっていたのだと、いつもそう思っている。

だけど、自分ではバイクも持たなかったし、あまり乗ることもなかったので、
バイクのことは、そんなによく解ってはいないのだと思う。

今朝読んだ、小林ゆきさんのブログ、非常に新鮮だった。

私はバイクを持ったことがないので、その保管場所のことなどあまり関心もなかったのだが、このような記述を見ると改めていろんなことが、アタマに浮かんだりする。


東京の二輪の駐車場問題があることは知っていた。
仙台、とか横浜では、いろんな対策が打たれているようだが、一般にここでも行政のタテ割りがネックになっているようだ。
『自治体トップの理解が早道、施策の遅れは担当セクションが一本化していないから』とベタータイムスで指摘している。
千葉市では早急にトップダウンで二輪車駐車問題に着手するとか。
トップダウンでは、最右翼の橋下さん辺りがやればいいのにと思う。

然しこれは、出かけた先での問題である。
ここで言われているのは、個人個人のバイクの置き場の問題で、これも確かに、都会では問題なのは容易に想像できる。
自宅で二輪をどこにおくのか?
小さなスペースではあるが、専用の格納場所があればいい。



『このように、バイクを取り巻く問題は、所用先の駐車場所がないことがもっとも問題なのはもちろん、バイクに対応する賃貸物件が少ないのもまた問題でした。
バイクとともに暮らす
最近、東京近辺では「バイクとともに暮らす」というコンセプトの賃貸住宅が増えてまいりました。』  と小林ゆきさんは述べておられます。

確かに、バイクと一緒に暮らせたら、『生活スタイルが変わる』と言うのは解る気もする。
世の中が変わってきて、環境問題も省エネ、省スペース、省資源、
どれをとっても二輪は世界の潮流となるべき乗り物では、なかろうか?
そんなバイクの新しいイメージを作るうえでも『バイクと一緒に暮らす』と言うのは面白い。
どこかのテレビのスタジオにバイクがあったりしたが、結構似合っている。

行政が出先での駐車場を考え、民間も自宅での置き場を考える。
特に、場所の少ない大都会でこそ、官民の『協働』が望まれるもだと思う。
総合的な流れを作ることが大事なんだと思う。

グランドⅣ桜木町のコンセプトは、ライフスタイルを変えるという点で面白い。

こんな流れを、NMCAもメーカも行政も民も、一緒になって『流れを作る』努力が望
まれるのである。


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春が来たような1日

2009-02-13 05:34:51 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
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NPOの申請作業も一段落で、特に何をしなければならないということもない、久し振りにのんびりとした1日であった。

暖かくて、もう春が来てしまったのかと錯覚するような陽射しだった。この調子だとバラの芽も順調に動くだろう。

朝、60おじさんがMFJ近畿新春ふれあいミーテイングのブログをアップしている。



ご本人や吉村太一、田中隆造君ら往年の名ライダーたちの写真に混じって、これは多分MFJ本部の来賓挨拶なのだろうが、
私が懐かしく思ったのは、中央の方ではなくて、なぜか右のほうに写っている二輪車新聞の衛藤さん、もう50年ものお付き合いである。
今でも自宅に、二輪車新聞を送って下さっている。

B7の時代から、もう、50年間続いているのである。
川崎の人でもそんなに長い人はいない、カワサキの単車が一番長い人と言えるだろう。

今日は、この写真を懐かしむところから1日が始まった。

昼に、三条の国定市長が柿しぶとクロレラのラーメンをわざわざ送って頂いたので、それで郷土料理研究会の『えぷろん三木』の方たちがラーメンを作るので、『是非試食をするように』と
さるとるさんからブログで指示があった?ので、出かけたのである。



ラーメンもおでんも、更にはデザートも果物もついた立派な昼食であった。

美味しかったが、ローバーさんも、JJさんも来ていたので、その写真やラーメンの記述は本職たちに任すことにして、
私は、まだ調理中のお姉さま方の写真の紹介に止めたい。
国定さん、『美味しかったです。ご馳走様でした。』

これ以上書かなくて、正解でした。
同じ場所で、同じものを食して、何故表現力がこうも違うのか?
ローバーさんは、流石です。ラーメンについてはこちらをどうぞ。







この『えぷろん三木』のグループは、すごくいいと思っている。

ネーミングも、レタリングも、グループカラーもばっちりで、
そのセンスは、三木一般のレベルからちょっと抜け出している。
今度のNPO The Good Times のトップに推薦したいと思っているし、必ず応援することをお約束してきた。
NPO参加、三木第1号グループである。
今日の昼食も 「Good time』なひと時であった。



家に帰って、町の文房具屋さんに行ってたら、
突然『クルマが止まっていたので』と福井君が入ってきた。もみじマークがあったので、『間違いない』と思ったそうである。
『カバン屋さんに行きたいのですが』ということで、カバン屋さん宅まで案内して、一昨日書いた昔話の続きや楽しい話に途中まで付き合って、ちょっとお先に失礼して来た。
相変わらず、S850さんのS800は見事にまで綺麗で、エンジンルームも新品よりもピカピカであった。

オープンカーが似合う、春のような陽気の楽しい1日でした。
カメラを持ってなくて、せっかくのクルマ撮れなくて残念でした。


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紀元節

2009-02-12 04:57:30 | 発想$感想
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2月11日、建国記念日である。

私たちが小学校の頃は『紀元節』であった。
『節』がどんな意味か解らなかったが、『節』のついた日は休みであった。
「天長節」4月29日や「明治節」11月3日があって、今もなお祭日としては残っている。

戦時中で、教育勅語も紀元節の歌詞も難しくて解らなかったが、小学生でも兎に角暗記して、覚えていた。

紀元節と言えば、
このような小学唱歌があって歌ったものである。


紀元節
作詞 高崎正風
作曲 伊沢修二

『小学唱歌 第一巻』明治25年(1892年)3月14日
一、
  雲にそびゆるちほのねおろしに艸も木も
  なびきふしけん大御世を仰ぐけふこそ楽しけれ
二、
  うなばらなせるはにやすの池のおもよりなほひろき
  めぐみのなみにあみし世を仰ぐけふこそたのしけれ
三、
  天つひつぎのみくら千代よろづに動きなき
  もとゐ定めしそのかみを仰ぐ今日こそたのしけれ
四、
  空にかがやく日の本の萬の國にたぐひなき
  國のみはしらたてし世を仰ぐけふこそ楽しけれ

間違いなく、小学唱歌なのに歌詞はこんなに難しいのである。
流石に2番からは覚えていないが、一番は今でも良く覚えている。

この感想が後ろに幾つかついていて、こんな意見である。

この楽曲に関する解説を投稿してください。

2008/02/11(月) 12:11 竹之上
紀元節を朗々と歌うと爽やかで気持ちが良い。
建国記念日など全然馴染めない。

2008/02/11(月) 13:17 kokko
今、歌っても格調の高い詩・メロディはいいですね。往時が懐かしいです。

2008/02/11(月) 15:06 春風
万葉の匂いが感じられ日本人のアイデンティティが高まる
格調のある詩文であります。
戦後生まれですが 日本人があまりにも歴史を忘れかけている嘆かわしい現状であります。

これは、昨年の紀元節の日のコメントだが、私もこの人たちに近い感想である。
何も戦前の体制などがいいということではなくて、
同じ日を、呼び名を変えるだけで、残すのなら、それも同じような意味合いで残すのなら、わざわざ変える意味もないように思う。


どこまでどのように遡ればいいのか解らぬが、
私の子供の頃は、昭和15年が紀元2600年であった。
紀元の年数で4で割れたら「うるう年」、昭和は1を足して4で割れたら「うるう年」とこどもの頃、習っていた。

私の年代は、日本史を習わなかった年代だと思う。
終戦が昭和20年、中学1年生であった。
中学、高校の頃までは、日本の歴史をどう教えるのか、先生のほうも解らなかったのでは、なかろうか?

歴史をちゃんと、習った覚えがない。
いまだに、『2600年もあったのに、何故700年も短くなって1950年か』と単純にそう思ったりしている。
最近では、やっと西暦にも慣れたのだが。

ただ、単純に

『雲にそびゆる高千穂の~』と言う歌詞も、その旋律も、懐かしいのである。
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旧友たちとまたーー

2009-02-11 04:46:15 | カワサキワールド
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最近、NPOのこともあって何かと昔のカワサキの連中と話をする機会がめっきり増えた。
すっかり世間一般のスピードに慣れてしまって、のんびりとしたペースでやっていたのだが、1月末から俄然昔のペースに戻った。

NPOは出来てしまえばそんなにバタバタすることはないが、むしろ準備期間は、気を緩めずに確りとした仕組みを造りたいと思っている。

昨日は、朝東京の村島君からメールも来たし電話も掛かった。
この人たちと話をしていると、兎に角反応が早いのが気持ちがいい。
ちょっと、ホームページの事で質問をしたのだが、その回答である。
『21日にそんな関係者に会いますので、そのときに聞いておきます』ということだったのに、即答のような回答である。

それがまた、内容が申し分なく本当にそんなにうまくいくのかと思ったりするが、
どうせ、中味を詳しく聞いてみても私には解らないことなので、信じてお願いすることにした。
これで一つ解決である。

ついでに、ユーザー管理やそこへのモノの発送について聞いたら、部品の発送はお手のもので、1万人のユーザーに発送しているシステムがあるから、大丈夫それを使ってくださいと仰る。
ハンドルネーム大和屋嘉平、流石である。
このホームページ、下のほうだがこの『雑感日記』をリンクしてくれている。
そんなお付き合いだが、仕事で付き合うのはみんな15年振りである。


基本コンセプトについて、佐々木八太夫君に朝電話をしたら、夕方には彼の想いをメールで送ってくれた。
ソフト会社、考え行動する手法は最大手電通の極小型であるが、守備範囲や機能は電通のようにと逆にハッパを掛けられた。
彼も、無茶苦茶反応が早い。これもまた気持ちがいい。


タッチャンのところに、ちょっと用事があって電話をしたら、
『今、藤田さんが来てますよ』という。
藤田孝明君、私と同じ昭和32年(1957)、川崎航空機入社である。
入社当時は野球部で、三遊間を組んだり、1,2番を打ったりした。

仕事で付き合ったのは、あまり皆さんはご存じないが、
彼が会社が面白くないから『止めたい』と言う話の相談に乗ってからである。
昭和46年のことだったと思う。
私は近畿を担当していて、京都の営業所を任すから、『やめるなどと言うのはよせ』と京都の所長を任せてからである。

この京都以降、名古屋、西日本、東京そしてジェットスキー、JJSBA、KJS常務などと続くのだが、藤田君の販売店からの信頼は、まあグループの中でも最右翼であったと思う。

大東京の所長から、1店の店もなかった国内のジェットスキー販売網の立ち上げに部下一人も持たずに、単身でチャレンジしてくれた。
そのジェットスキーの専門店の第1号店をリスクを犯してやってくれたのが、佐々木君である。2号店が福井昇君なのである。
非常に難しかったジェットスキーの立ち上がりなどは、彼でなかったら出来ないと思った。躊躇なく手伝って貰うのに藤田君を選んだのである。

KHI側で、これも独りで引き受けてくれたのが、オーストラリアの社長から帰国した鶴谷君である。
こんな人たちが居なかったら、国内やヨーロッパにジェットスキーの市場は開花しなかったと思う。
みんなソウルオリンピックの開会式のデモンストレーションに一緒に行ったメンバーである。
ちなみに、村島君は当時のジェットスキー販売店である。

藤田君はパソコンなどやらないので、最近は疎遠だったが、本当に久し振りに電話で元気な声を聞いた。
今度のNPOには、声を掛けていなかったが、
今日声を聞いたので『手伝えよ』と言って電話を切ったが、その後タッちゃんとどんな話になったのだろうか?


このたび、NPOの関係で、タッチャンや平井、山本、福井、村島君らに声を掛けているが藤田君はその誰ともツーカーの仲である。
彼が若しホントにやる気なら、彼に繋がっている販売店の人たちはバイクもジェットスキーもいっぱいいる。

無口であまり喋らないし、それでも信頼があって誰も彼には一目置くのは、
彼が常にどちらを向いて仕事をしてきたか、によるのだと思う。
末端はそんな態度を見抜く目は鋭い。

ひょっとしたら、また一緒に何かやれるかも解らない。
お互いもう年だが、元気だし大丈夫やれると思っている。
今日、たまたま、声が聞けたのも何かのご縁である。
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三木市緑が丘発ですがーーー

2009-02-10 04:43:01 | NPO The Good Times
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『NPO The Good Times 』の設立を突如思い立ったのは、1月24日の夢塾のNPO講習会の最中でした。
NPO法人とは、地域活動など狭い範囲の活動を法人化したものだとばかり思っていたのだが、どうも聞いていると、広域の異種、異質の活動の連携を考えたような、全国区の活動もどうやら出来そうなのである。

昨年1年、『どこ竹の竹とんぼ』も東京と関西を結んで、
『ミニSLフェスタ』も、地域などに拘らない、神戸市ともカワサキワールドとも、全国の鉄道マニアとも連携した、広域の異種、異質の人たちの活動を繋ぐだけの企画機能だけを果たしてきたのである。
そんな『ソフト会社的な』発想でのNPO法人が若しホントに出来るのなら面白いと、思ったのである。

また、三木市役所の人たちとも、いろんな連携で協働してきたがもう一つすっきりと割り切れてはいなかった。
NPO法人には行政の人やサラリーマンの現役の人は入れるのですか?と質問したら、『Yes』と言う。

たまたま朝日にNPOの特集があって、
『協働』とは、日本NPOセンターの定義によると「異種、異質な組織」が「共通の社会的な目的」を果たすために「それぞれの資源や特性」を持ち寄り、「対等の立場」で「協力して共に働く」こと、とあって
非常にぴったりと認識できたのである。

そんなことで、立ち上げてみようと思って、ひょこむの中に、
『The Good Times を考える会』というコミユニテイを立ち上げたのである。
そこに、三木のの中枢の『滝の瀬』さんが
『兵庫県が21世紀の少子高齢化社会を「モザイク社会」と言ったことがあります。
 確かに、近年、個人の生活も、いろんな団体の活動も、それぞれが好きなことだけを断片的に行う傾向が強くなってきているように思います。
 そして、これをつなごうとする力が弱くなってきています。
そのようなことから家族や地域コミュニティの弱体化進んでいるのでしょうね。
 このNPOの活動はモザイクタイルを貼り合わせ一枚の名画を創作するように、個々が持つすばらしい素材がつなぎあわせ、21世紀のモナリザが描けるといいなあと思います。 』
とこんな文章を、寄せて頂いたのである。



それで本気になりました。設立趣意書の前後にこの文章を使わせてい頂いて、具体的な設立作業を進めました。
三木の仲間たちに加えて、カワサキの昔の仲間たちも集まって、いよいよ具体的にスタートします。

思い立って、丁度2週間申請の提出資料は完成したし、設立のMUST条件はすべてクリアしました。
兵庫県への申請、設立総会を2月28日にして、その前後に正式に申請を提出します。法定の手続き期間を経て、6月にはスタート出来そうです。

世の新しい仕組みを駆使して面白く楽しい『Good Time』が転がり続けるような『美しい活動』を目指したいと思っています。


今年の元旦、グリーンにア三木の展望台から、孫と二人だけで拝んだ丹生山から上ぼる初日の出です。
この太陽のように『三木発ですが、いつか日本を照らしたいと思っています。』

三木市緑が丘発ですが地域には拘りません、カワサキ発ですが銘柄にも拘りません。
美しい活動で、Good Time を演出する『基本コンセプトには拘りたい』と思っています。

従来にない、新しい発想のNPOでありたいと願っています。
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カワサキZRX1200 DAEG

2009-02-09 05:09:45 | カワサキワールド
KAZE VOL.199 が送られてきた。

2月1日に新発売のZRX1200 DAEG の試乗インプレッション記事が載っている。



これでは、小さすぎて読めないが、こちらなら大丈夫である。
写真をクリック頂けたら、はっきりと読めるくらいにはなる。

このXのヨコにタテの棒が入った形が、旧いドイツのルーン文字で、その読み方が、DAEG (ダエグ)と読むらしい。
そしてその言葉の意味は『進化する』などというのだと言う。

そんな風に、誰かが聞いたら教えてくれた。

こんなネーミングは、他社はどのようにして決めるのかは、知らぬ。
カワサキも最近どのようにして決めたのかも知らないが、
少なくとも、私らの時代には、何となく決まっていたようにも思う。

開発の段階は、数字3桁のコードNOで呼ばれているが、いつの間にか決まるのだろう。
あのZEPHYRなども、決まって出てきたようにも思うし、当時の販社の若手の意見だったような気もする。

ZEPHYR のときは熱烈なカワサキファンが、Kawasaki のタンクマークを欲しがって、部品で用意したら沢山売れた時期もあった。
いずれにしても、ネーミングはいろいろ博学なのがいるものである。

不思議なもので、売れるといいネーミングのようにも思うし、売れなければ何か冴えない感じもする。
ゼファーをはじめてみたときは、何故「ER」でなくて「YR』かと違和感があったのだが、あれだけヒットすると、それで当然と思うようになるものである。


今回のDAEG 久々の国内専用機種のようである。
クルマもテレビも売れないらしいが、二輪車はあんまり景気には関係ない。
特にカワサキのわれわれが担当に時代には、ヒットしたのはどちらかといえば不景気のときが多かった。

今年は、景気が難しいといっているから、『売れるのでは』と思っている。
50年近く、二輪を担当したが、ハードのことは全く解っていない。
売れるか売れないかも、ホントは売ってみないと解らないのである。

わからない世界だから、面白いのである。

皆さんは売れると思いますか? 結構高いんですよ、100万は当然越えているようです。
私は『売れる』と思っています。



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あれから1年経って

2009-02-08 05:03:36 | 大阪維新の会、橋下徹氏
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丁度1年前に大阪の橋下さんのことについて触れている。
新しく『大阪府&橋下徹氏』というカテゴリーを作って追っかけてきた。
最近では、支持率も90%もあって、何か応援し甲斐がなくなってきた。

まだ昨年の今頃は、世の評論家先生たちは、何かと文句をつけていた頃である。
私は『やりきる』と信じた。
改革など、素人のほうがやり易いのである。
素人が、常識で考えればいい。『この世界は』などというのはみんな言い訳なのである。

丁度、1年前のブログから抜粋。



今度、大阪府知事になった橋下さん、こんな解り易いマニフェストを出している。

そんな中で「収入の範囲内での支出」と言い切った。
これが出来る、出来んといろいろ騒がしいが、まずそんなことよりも、「明確に言い切った」ことに大拍手である。

これで、方向、大方針は決まった。
そして、その言い方が極めて明確であり、やろうと意思が明確に読み取れた。

橋下さんは、これをやりきるだろうと思う。

節減もいいが、節減ではまずダメである。
幾つ止めれるかに掛かっている。ドラスチックに行くほうがいい。
不要なものを探して止めたらいいのである。

改革とは体質の転換である。
それをしないで、ちょっと改革の真似事の改善をしただけで改革と錯覚しているリーダーが多すぎる。
大阪を変えようと言う意識が、極めて明快である。

意識改革など、口先でかっこいいこと言わなくても、ドラスチックにやれば意識は自然に変わる。

役所など、もともと水ぶくれみたいなもので節減する要素はいっぱいあるだろう。
それを1割や2割減らすことは可能であろうが、それではダメだと思う。

役所を見ていると、もともと必要ないことをいっぱいやっている。
止めたらゼロになるのに、節減と言うから80は残ってしまう。
100減るところが20になってしまうのである。



リーダーに、確固とした方針と熱っぽさがあり、それをホンネで伝えれば、必ず追随する強い味方がいっぱいできる。
そして、いつかそれは、流れになる。流れ出したら、さらに大きな流れになるはずだ。

選挙で180万票もとれたのも、大衆が橋下さんのホンネと熱っぽさを認めたのである。


今年の予算で100%やりきる、魔法みたいなことでなくてもいい。
間違いなく実現するスタンスであればいい。
私は今、実現の方向に歩み出していると思う。

収入の範囲内の支出にする。
子育て世帯に絞って「選択と集中」を明確にした。
目標も差別化された手法もいい。

ファンになり応援したくなる人がまたひとり、出来た。
応援をすることに決め、新しいカテゴリー「大阪府&橋下徹」を造った。

視点をどこに置くのか、
こんなことは少しも大変ではないのである。

橋下さんの大局を見る目、視点の方向、スタンス、どれも間違っていない。
若いけれど、リーダーの資質、大丈夫である。
大阪も全国区になるだろう。』


結構良く見ている。
かってのカワサキの単車は、1年前の大阪のように潰れかかっていた。
アメリカ市場をはじめ抜本的にシステムを変えた。
その構造を変えたのである。

そして、1年経ってまだまだだったが、今のKMCのあの新しい土地と社屋に、旧い何箇所かの土地や建物を処分して、新天地を求めたのである。
『大坂のWTCビル』とかぶって見える。

今がチャンスである。
絶対に動くべきだと思う。大阪市にとってもいいことなのだから。

議員さんたちは、この際じっと黙ってみていて欲しい。
議会軽視などと寝言を言わないで欲しい。今は変えてしまうチャンスである。
今なら変わる。絶対に見逃してはいけないことがある。
今年は『WTCに賭けて欲しい』


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昨日の続いて、コメントでも繋がった

2009-02-07 05:46:25 | 発想$感想
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昨日、
金谷ー片山ー田崎ー山本ー樋渡 というブログをアップしたのだが、
この他に星野一義も従野孝司も北川圭一くんらも繋がっていた。
こんなライダー仲間は当然と思うのだが、ここに田崎さん更には樋渡さんが入ってくるのは本当に不思議である。

昨日のブログに早速3人の方が反応された。

ひとり目は、山本隆君である。
最近、彼とはしょっちゅう関係もあるのだが、これもネット社会のお陰である。

続いて、山本隆のファン代表のようなRM250さん。
RM250さん、金谷とも会っているんだ。
バイクネタではこんなハンドルネームだが、ひょこむのトモダチたちには、kakogawalionyaさんのほうが通りがいいだろう。

そして、はいぴーこと樋渡さん。
流石にビックリされている。

『60おじさん!日記 (山本 隆)
2009-02-06 14:52:33
大変光栄に思っています。バイク一筋で65年!まだまだ走り続けます。
PC覚えたばかりに「生涯現役」こんな表現してしまっています。
応援下さる方がいる限り、頑張ります!

バババーと繋がると気持ち良いものですよね! (RM250)
2009-02-06 20:48:31
確かに本当に案外いろんなところで繋がっているものです。

rfuruyaさんが繋いでくれているということに負うところが多いとは思うのですが・・・
金谷さんは私の中では本当に「世界の金谷」ですね。
ビデオで観て知っていた「世界の金谷」さんに一度だけ声を掛けてもらったことがあります。

昔、明石の運転免許試験場でバイク(8.19)の日にいろんなイベントが行われていた時期があって、そのイベントの一つのジムカーナに出場した私は気合入りすぎて本番前の練習中にハードブレーキングでフロントをロックさせ転倒。CB750Fのクランクケースを割ってしまったことがあるのです。
その様子を見ていた金谷さん曰く「オートバイは壊れたのに・・・人間の体ちゅうもんはいかに丈夫にできとるかっちゅうことやな!」とニコニコしながら言われたのを覚えています。

壊れたCBを軽トラックに積んで帰ってくれたのはトライアル関係で参加していた60おじさん!こと山本隆。

その2人と懇意なrfuruyaさんとこうしてやり取りさせてもらっている。
こういうのは非常に面白いですよね。
繋がり、縁というものを有難く実感しています。rfuruyaさんのブログのお陰です。』



運転試験場でのイベントと聞くだけでその当時を思い出す。同じ想い出を共有している人たちを『仲間』というのだと思っている。
この言葉、『同じ想い出を共有する仲間』と言うフレーズは、
金谷が司会した片山義美の引退パーテーでの挨拶で、私は始めて口にした言葉である。


『感嘆 (はいびー)
2009-02-07 00:00:49
こういうつながりがあるんですね。驚愕しました。まさにネット時代そのものですね。今までは直線的に調べるだけだったのが、こうやって面的に広がりが出てくると、また、いろんなことに使えそうです。お疲れ様でした。 』



樋渡さんの仰るようにまさにネット社会ならだはだと思う。
ライダー仲間が繋がるのは当然だが、若し樋渡さんに繋がっていなかったら、こんなブログなどにはアップしていない。
誰が考えても、田崎さんはともかく、樋渡さんに繋がるのは不思議である。
『意外』以外のナニモノでもない想定外の出来事で、ネット社会ならではである。


でも現実に今朝のコメントは
60おじさんーRM250,kakogawalionyaーはいぴーさんと繋がっているのである。

また、こんなこともある。
東京のzosanが60おじさんに会いたくて、3月20日に、カバン屋さんと一緒に加古川に行くことになっている。
間違いなく、zosanもカバン屋さんもkakogawaliomyaさんとはじめてお会いになるに違いない。
最近は、ハンドルネームのほうがぴったり来るから不思議である。
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金谷秀夫ー田崎雅元ー(山本隆)ー樋渡啓祐

2009-02-06 04:34:42 | カワサキ単車の昔話
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昨日のアクセスにこんなところからのものがあった。

金谷秀夫のページからである。
金谷のことに触れた、雑感日記が幾つか載っているのである。



いろんなことが書かれているのだが、右のほうに私のブログが出ているのである。
そこから訪ねてくれたのだと思う。
金谷も有名人だが、彼の師匠の片山義美はと検索してみると、
そこにはもっと多くの雑感日記が見つかった。



金谷も片山も世界に通用する名前だから、こんなところに出ても当然である。
そんな有名人と結構近い位置にいる。
金谷とはZ1会のゴルフでも一緒だし、先日は彼の店から忍者の伊藤さんが電話をしてきた。
師匠の片山は三木に住んでいるのである。もう一昨年になるが清原と一緒に店を訪ねて昼飯をご馳走になった。山本隆も彼のお弟子さんである。
山本の弟分の星野一義のところにも川崎重工業をクリックすると載っていた。山本隆はどうかと調べたら、山本姓は多すぎて見つからない。

田崎雅元さんは、どうかなと調べてみた。
なぜか名前が『田崎雅』になっている。表のページには流石に載っていないが、
もっと詳しくというところの『田崎さん』と言うタグからはをクリックすると、雑感日記がずらっと並んでいる。
更にビックリしたのは、どういう意味なのか良くわからぬが、左側の田崎さんとの関係を表す個人名はベスト5に山本隆、樋渡啓祐、金谷秀夫と並んでいる。

田崎さんは若い頃私と一緒にレースをやっていたから、当然山本も金谷とも面識はあるのだが、多分樋渡啓祐さんはご存知ないと思うのだが。



そして、樋渡啓祐さんのところは、こんなことになっている。

これもビックリである。
左の上のほうには、樋渡さんと繋がる人物のなかに山本隆がいたり、マッハⅢがあったりするのである。
そして、下のほうのトップには『田崎雅』とある。
右のブログも、市長公室長やがばいばあちゃんをクリックすると
雑感日記や『さるとるファイト』が並ぶのである。
さるとるくんに言うと大喜びだろう。

このサイト『試験運用』となっていたから、まだ正確ではないのだろうが、
この人の繋がりを見る限り『雑感日記』も結構大きな役割を果たしているのである。

ネット上だけのことだろうが、田崎さんと樋渡さんも繋がっているし山本隆君もその間に割って入っているのである。

昨日、4~5人で8万人に繋がるという話をアップしたが、こんな風に見ると納得できるのである。
時間があるというのはいいですね。
このブログ、完成するのに3時間は優に掛かりました。

検索も結構時間が掛かるものです。 労作です。
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8万人ぐらいだったら、4~5人で繋がります。

2009-02-05 05:33:36 | NPO The Good Times
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昨年4月、三木山森林公園で『どこ竹の竹とんぼを飛ばそう会』という講習会をやりました。
その記念講演で、ひょこむの和崎宏先生が仰いました。
『三木ぐらいの8万人ぐらいの町だと、4~5人でみんな繋がってしまいますよ』


この言葉は、その後ずっと私のアタマのなかに強烈に焼きついて残っていた。
確かに人の繋がりというのは、いろいろ複雑に絡んでいるが、その後いろんな三木の方にこの話を意識しながら聞いてみると、ホントにびっくりするように、いろんな人が絡んでいるのである。

本当は4~5人で繋がっているのだが、それが明らかになるネットワークが出来ていないから解らないのではと思っていた。

『8万人くらいなら4~5人で繋がる』
これを言われたのは、ネットワークの専門家、SNS、ひょこむの管理者の先生の話なのである。

私は現役の最後の頃、
ユーザークラブKAZEには現実に5万人の会員がいたが、『100万人の共感ネットワーク』を創ろうと旗を掲げたことがある。
まだSNSもブログもない時代であったが、何となくできるのではと思っていた。
その頃、SNSと言うようなシステムがあれば、もう少し具体的に進んでいたかも知れない。

8万人が4~5人なら、40人~50人で80万人ということになる。
今回、NPO法人『The Good Times』を立ち上げることになって、つい1月末から動きかけたが、大丈夫設立はできそうである。
既に、設立趣旨書も定款もほぼ原案は出来て、MUST項目の10人の会員も充分すぎるほど集まって、3月中旬に正式申請をするような予定で進めている。




20年前、二輪やジェとスキーのユーザーのために立ち上げたソフト会社、ケイスポーツシステムもNPOではなかったが、何となく想いはそれに近いものだったと思ったりしている。

そんな気持ちでの活動を、昨年1年間実際に続けてきたのだが、
今回は三木市緑が丘で、故岩崎茂樹君の関係で繋がったカバン屋さんの事務所でスタートすることになった。
この1年間、ひょこむのなかに築いた、トモダチたちが一斉に動き出した。

上の写真は、今年の元旦、グリーンピア三木の展望台で孫と二人だけで眺めた初日の出である。
丹生山からの日の出だが、やがてより広い地域を照らすのである。

いつの日にか、100万人と繋がることも夢ではないのではと思っている。
理屈で言えば、100人もいれば、100万人など充分既に繋がっているのである。
今の世の中には、SNSなど繋ぐシステムもあって、そんないいツールがいろんな意味で援けてくれるのではと思っている。


いい仲間たちと一緒にもう一度チャレンジしてみたい。
三木とカワサキがベースでスタートするが、
地域にも、銘柄にも、自由である。
Good Timese がどこまでも転がるような『美しい活動』を夢見ている。

美しい日本の、美しい兵庫の、日本一美しいまちを目指す三木の
そこでの『美しい活動』が
『Kawasaki, Let the good times roll 』というように、どこまでも転がり続ける(rollする)ように頑張ってみたいと思っている。

共感するどなたでも、参画できます。
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相撲の品格

2009-02-04 04:40:29 | 発想$感想
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相撲は日本の国技だと言っている人がいる。
いま、そう思っている人の割合はどれくらいであろうか?
私も、昔はそう思っていた。

私は相撲自体はあまり見ない。でも嫌いではない。
朝青龍は、いろいろ問題もあるのだろうが、好きか嫌いかと問われたら、好きと答える。
逆に、相撲協会や審議会は嫌いである。時代離れしていると思っている。。

朝青龍の態度がどうこうと言う前に、相撲協会の態度や、何やら審議会の改革をやるべきだと思う。
横綱の品格よりは、相撲協会や親方衆の品格や本件に対する対応の姿勢のほうが問題である。

何やら審議会のえらそうに言う人たちは、今回の事件に対する相撲協会の一連の対応の胡散臭さを
『国技の品格』と言う視点から、どのように論評するのだろうか。

歴史があるので仕方がないのかも知れぬが、
相撲はスポーツなのか、見世物なのか。
解りやすく言うために『見世物』といっているが、そういう意味では、歌舞伎も見世物である。
二つとも長い歴史のある伝統文化である。
見世物なら形に拘り、八百長があっても、部屋同士の貸し借りがあっても、まだ許されるのだろう。

スポーツと言うから、無理が出る。
若しスポーツと言うのなら、この際、基本的なルールや部屋別の取り組みなども見直して、スッキリすればいい。

今時、このような状況で国技、国技と声高に叫ばれたら迷惑する日本人も多いのではなかろうか? 
国技の品格が問われている。
学生相撲は、スポーツなのだろう。
大相撲が、おかしいのである。
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嬉しいアクセスです

2009-02-03 04:29:52 | カワサキ単車の昔話
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二輪業界と言うのはその生い立ちから言っても、特異な業界なのである。
昭和30年ごろまでは、メーカーの数など100以上もあって解らないくらいのメーカー数だったのである。

私が川崎航空機に入社した頃でも、
まだ三菱も富士重もトーハツなど大メーカーも二輪業界の中にいたのである。
それがいつの間にか浜松出身の3社とカワサキだけになってしまったのである。
そんなことで、浜松の3社の中にちょっと異質なカワサキだけが残った面白い業界だった。


1社残ったカワサキが特に意識したわけではないのだが、A1,マッハ、W 、Z と続いた独特の商品が世に言う熱烈なカワサキファンを作って行ったのである。
今でもカワサキファンは多いのだが、その流れの源流はこのあたりであろう。

カワサキの二輪の歴史のなかで、私などはなぜかもっとも旧いところからタッチしているのである。
営業やマーケッテングの分野では、メイハツやメグロの人は別にしてカワサキでは私より旧い人はいないのである。
だから、その歴史などは良くわかっているのだが、レースの世界などにもいたが、ハードオンチであまり込み入った技術も解らなかったし、大型二輪の免許は持ってはいるが、自分では乗らなかったので意外に冷静に業界を第3者的に眺めて生きてきたのである。

勿論、カワサキも好きだったが、二輪業界も好きだった。
特に本田宗一郎は雲の上の人ではあったが、若いカワサキのお陰で、会議に同席することも何度もあって、私のホンダファンはホンダのクルマからではなくて、本田宗一郎とその理念によるものである。
そして、スズキさんもヤマハさんもライバルではなくて、同業者という感覚が強い。

一時クルマはアコードだったし、ゴルフクラブはヤマハ、娘に買ってやったモペットはスズキであった。考えてみるとカワサキだけ何も買っていないのである。

国内販売も何度も担当したが、シェアも運よくトップになったこともあるが、あまり3社をライバル視したことはない。
3社の人たちとも本当に仲良かった。同業他社という言葉があるが、同業が同志になればとホントにそう思っていた。


今朝のアクセス、こんなブログからのアクセスが多かった。雑感日記を紹介頂いているのである。
YSP上馬と言うお店でホームページもなかなかのものである。

YSPというとワンメークのお店だから、ヤマハのユーザーの方が多いのだろうが、
店の経営者がそれを選ぶのはいいのだが、オンリー店政策は私はあまり好きではない。
カワサキにも熱烈なオンリー店はいっぱいあるが、こんな小さな市場でexclusiveを義務付けるのは、メーカーのエゴでしかないと思っている。

いつもヤマハの話が当然多いのだろうが、ヤマハのお客さんにもたまにはカワサキの話もいいだろう。
同じ意味で、カワサキの皆さんも、ちょっとヤマハの雰囲気を覗いてみてください。


ヤマハさんとは、PWC(パーソナルウオータークラフト)?
何のことかと思われるだろうがジェットスキーがカワサキの商品名だから、このように言われているのだが、その安全協会の設立など一緒にやった。

珍しくカワサキがトップメーカーで、最初は会長などおおせつかったが、その会議はヤマハの方たちから社内の会議のようだと評価して頂いた。
同業と言うより同志と言う風に思っていた私の正直な気持ちが出たのだと思う。
お陰でヤマハのクラブは従業員販売価格を適用していて頂いたり、シドニーからちょっと行っためちゃめちゃ高級なマリーンのレストランをご紹介頂いて、外人客ばかりの中の最上の席で食事をさして頂いたりした。
私たち夫婦の生涯で最高の、日本語が一言も聞かれない不思議な雰囲気の、ディナーであった。

私にとってはどこも、みな同業者、同志でなくても仲間であることは間違いないのである。
そういう意味で嬉しいブログでのご紹介だったのである。
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真弓人気

2009-02-02 04:59:13 | スポーツ
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阪神の真弓明信新監督の周囲がじわりと熱くなっている。
甘いマスクに柔らかな語り口が、これまで野球に関心の少なかった女性ファンを引きつけている。
というのである。

何事もイメージ先行の時代ではあるが、世の中の女性たちの心理がどうもよく解らない。

「男前の真弓さんのおかげ。不景気の感じがしない」というが、既に55歳、幾ら男前だと騒いで見ても、具体的に『どうと言うことはない』のだが、それでも昨年12月にキャンプツアーの募集を始めると、例年のように20代の女性がグループで参加するだけでなく、今年は40歳前後の女性からの問い合わせが急増したというのである。
ファンクラブの会員数にも「真弓効果」が出ていて、新規会員は2万4千人を超え、ここでも年配の女性からの問い合わせが多く、2月にも追加募集する方針だとか。

イケメン監督の人気に、親会社の阪神電鉄は3月20日に開通する阪神なんば線のイメージキャラクターに、真弓監督を起用するという。

まあプロだから、何でも人気が出るのはいいことである。
野球の成績以外にこんな人気は真弓監督の契約の中でどのように評価算定されているのだろうか。



そんな真弓とは直接関係ないのだが、
真弓の奥さんとはカワサキは少しだけ関係があったのである。

もう20年も前の話だが、カワサキマイスターが独立開業したのが舞子だったのだが、その隣の店が真弓の奥さんが経営するブテイックだったのである。
非常にこぎれいなかっこいい店であった。

当時のバイク屋は一般には自転車屋の延長のような店構えの店が多かった。
とてもブテイックの隣に並ぶのはーーと言うような時代だったのである。

隣に迷惑をかけないような、綺麗な店造りで対応しようと言うことになった。
モリチャンの人柄が良かったのか、当時の同僚たちがみんないろいろと協力していたのをよく覚えている。

出来上がったマイスターの新店舗は小さかったが、東京から同業者が見学に来るぐらい洗練された店構えであった。
決して、隣のブテイックに迷惑をかけたりはしていない。
むしろ、引き立てたのかもしれない。
それくらい、当時では目立っていた。

それから20年、今の店は写真でしか知らないが、大きさも10倍、いやそれ以上なのだろう。多分中もちゃんとしているに違いない。
ひょこむで、『マイスター同好会』を立ち上げて、何人もの方とトモダチで付き合っているが、みんないい人ばかりである。

カワサキマイスターのモリチャンの律儀な性格が店作りにも、お客さんにもいい影響を与えているのだと思う。

世の中、生きていく上で、『人に迷惑をかけない』というのは最低の条件である。
真弓のことから、マイスターのことを思い出した。

kawasaki、Let the good times roll である。
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もう2月になった。

2009-02-01 05:04:41 | 発想$感想
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月日の経つのは早いもので、もう今日は2月1日である。
先週は身内に不幸があって、私より少し年下の義弟が亡くなった。
月日の経つのは早いものなどと、あまり言っておれない年なのだと実感している。

そんな1月末日、昨日も触れた新しいNPOの打ち合わせを、その発起人になるであろう数人の方と行った。
出席者の1人のブログに『いい会議だった』と記して頂いてほっとしている。

私が半ば独断で、勝手に判断して走っているような今回の計画である。
私が先頭を走っているのは間違いないのだが、後ろを振り返ってみると、どんどん後続が増えているようなところが見えて、いたって心強い。
この調子なら本当に決断できるかも知れない。

このNPO法人、小なりとは言え法人格である。
個人の持ち物ではない。立ち上げる限りは、長く継続することが見込めねばならない。
スタートする時点で次にバトンタッチをする、或いはこの法人が発展できるという確かな見通しを持っていたいのである。
もうそんな年での新しいものへのチャレンジである。
昨日、今日。 そんな確かな手ごたえを感じている。


私にとっては、このことも大きいが、世の中今朝の新聞などで見ると、
軒並み、大企業は大幅赤字である。
何か、この際一挙に膿をというような『便乗赤字』ではないのかと思ったりする。

量の拡大に走ったところほど、こんなときの影響は大きいのである。
大企業の経営者といっても、サラリーマン上がりの特に高い理念も持たないサラリーマン経営者もいないでもないので、格好良く量を追っかけるとこんなときはひどい目にあうのだと思う。

二輪出身の田崎さん以来『質主量従』といい続けてきたわが川重はどうなのだろうか?
年初に送られてきた広報誌の大橋社長の挨拶を読む限りは、あまりバタバタしたところがなくて安心しているのだが。3月決算はどうなのだろう。

ホンダ、スズキ、ヤマハ、二輪出身の同業者はみんな確りしていて、何とか切り抜けるのではと思ったりしている。
一緒に歩ませて貰った仲間として、頑張って欲しいと思っている。


そんな2月のスタートだが、2月は逃げるという。
2月末、世の中は、 私の身の回りは、 どんな風になっているのだろうか?

1月の最終日は、昨年も今年もいい1日であったと思う。
昨年の1月31日は、田崎さんと神戸市の鵜崎副市長をお訪ねして、神戸市のご協力で、神戸フルーツフラワーパークや、神戸メリケンパークでのミニSLのイベントが昨年出来ることになった記念すべき1日であった。

あれから、丁度1年、『NPO The Good Times 』の設立は、その延長線上にある発想なのである。
集まったメンバーは、肩書きの立派さ加減では、比ぶべきもないが、志の高さでは結構イケテいると思っている。

また、1年後、どんな展開になっているだろうか?


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