雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

窯跡研究会の先生方とちびっ子たち

2009-11-15 05:48:24 | NPO The Good Times
『異種、異質、異地域の人たちをみんな繋いで楽しい時を過ごそう』

これは、私たちのNPO The Good Times のコンセプトですが、
この一連の行事、イベントはまさにコンセプトどおりです。

中心は、「窯跡研究会」の大学の先生や考古博物館の方、大学で考古学を学ぶ学生さんですが、
そのお手伝いをしたのは、東京や神戸や三木の小学校や保育園のちびっ子たちです。
ちびっ子たちが造った粘土細工のような陶器は、500個近くも集まりました。

1300年も前の古代の窯を忠実に再現した場所は、miki ANNEX PARK という三木にあるモトクロス場です。
昨日、陶器の窯入れが行われました。火を入れるのはこの週末です。



60おじさんと元世界モトクロスチャンピオンの渡辺明君のモトクロス教室を見に行ったときに、
このコースのオーナーの山田さんから、
『この場内に1300年前の古代の窯を再現しているのだが、秋に窯に火を入れるのだが、中に入れる陶器の数が不足気味なので、誰か手伝ってくれませんかね。』と言われたのが始まりです。

手を上げてくれたのは、こどもたちの絵画教室をやっているかよちん先生でした。
それにさるとるさんや熱血漢丸坊主君が加わって、この町内の子ども会のアラケンさん、kwakkyさんがまとめ役で。
土の手配や、陶芸教室、乾かす場所、入れる用具などいろいろありましたが、
結果はこんなに沢山500個に近い作品になりました。



いよいよ窯に作品を入れることになって、昨日朝から現場に行きました。
そこではいろいろあったのだが、何とか収まりそうです。


この行事研究を進めておられるのは、純然たる学術研究なのです。
それも『窯跡研究会』という大学の先生や考古学博物館の方、大学で考古学を専攻している学生さんなど、
日本の考古学の最前線でご活躍の皆さんで、単なるイベントなどではないのです。

そこに持ち込んだちびっ子たちの作品は、陶器というよりは『粘土細工』そのもので、数は問題なく多いのだが、乾かした段階で既に割れているものもあったりして、研究の妨げになりはせぬかと、心配したのですが、

中心になって進められている立命館大学の木立先生に、非常に優しく
『割れているものも、ここで焼くと余計に割れるので、立命館まで持って来て頂いたら、そんなに熱を上げずに焼いてあげますよ。』と言って頂いてほっとしているます。

木立雅朗立命館教授はこんな先生なのです。
考古学と古代の陶器などについて、インタビューでこのように応えられています。



まだ、始まったばかりで、
来週は窯に火を入れて、4日間ほど1200度の高温で焼かれ、
そして自然に熱を冷まして、
陶器の取り出しは、12月になるのではないかというのです。
まだまだ続く、『古代の窯』の学術研究行事のお手伝い?なのです。

こどもたちの作品に混じって、60おじさんがアネックスパークで行われる、ON ANY SANDAで毎回振舞われるカレーを入れる皿に挑戦しているのだが、
上手く焼けるでしょうか?


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私の昼寝とラブ

2009-11-14 04:44:12 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
今、午後3時である。
2時前から久しぶりに1時間ほど昼寝をした。
寝不足が取れて、何かシャンとした感じである。

この2,3日、ちょっと睡眠不足気味であった。


家には、16歳の柴犬ラブがいる。
2年前まではトムもいたのだが、ちょうど2年前に亡くなって、今はラブだけである。
犬は1年に人の4倍も歳をとると言うのだが、ここ1,2年何とか元気だったラブも、この夏ごろからめっきり衰えて、秋口からは散歩にも行けなくなってしまった。

家の中をただうろうろしているだけだが、
夜になると、2時間おきぐらいに起きて鳴いたりするのである。
そのたびに、外に連れ出して小便をさせたりして、夜がじっくりん眠れていないのである。



人間でいう睡眠薬でもないものかと、今朝お医者さんに連れて行って診て貰ったのである。

『昼はよく寝ますか? 昼は出来るだけ起こしたほうがいいのですが。』
『お尻の近くにポリーブが出来ています。このためにおしっこやウンチが近く、頻繁になるのですね』
その通りなのである。それで家の直ぐ近くを頻繁に散歩させねばならないのである。
『犬の睡眠薬と言うのはありません。鎮静剤はありますが,効くかどうかはよく解りませんが、犬によっては効く犬もいます。』
と仰るので、その鎮静剤を10日分ほど貰ってきた。

『1日に2回、12時間空けて飲ましてみてください』と言われたので、朝の10時に飲まして、それから私はプールに泳ぎに行ったのである。


昼前に、家に戻ってきたら、大人しく寝ていた。
ちょっと、薬が効きすぎている感じである。
今も私の直ぐヨコで寝てしまっている。
この調子だと、夜飲ますのはどうしようかと思うぐらいである。



そんなことで、私のほうも昼寝して起きてきたところである。

犬は可愛いが、生き物には死がつき物である。
トムが死んだときも、その前のコロが亡くなったときも、
あんなに涙を流したことはないほど悲しかった。

モノが言えないので余計に可哀想なのである。
ラブも今どんな風に思っているのだろうか?
もう歳だからそんなに長くはないだろう。



今夜は、ラブどんな夜を過ごすのだろうか?

(昨日はあまりに大人しかったので、夜は薬を飲まさなかった。
一晩大丈夫だった。今散歩に連れて行って戻ったところである。
夕方に、飲ますことにする。)


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関西3空港問題

2009-11-13 04:05:11 | 発想$感想
羽田のハブ空港化を前原さんが言って、では関空はどうなるのか?
橋下さんは、関空のハブ空港化に熱心で、伊丹を止めようと言っている。
関西にはまだ神戸空港もある。

伊丹については、橋下さんと井戸さんが激論を交したとか。
こんな話は、実際のところどれが一番いいのか、よく解らない。

ずっと昔、関空が出来る前に確か、神戸沖空港の話があったが、このときは兵庫県の知事が反対して、関空になったような気がする。
伊丹も騒音問題で、近隣の人たちはずっと反対だったのだのに、いつの間にかちょうどその頃と反対の意見になっているようだ。

そんなことで、世の中の考え方は、その時々でどんどん変わってゆくのである。
関西にハブ空港はあったほうがいいのは当然だが、関空はその立地が如何にも不便である。
この『地の利』というのは、どんな対策をしてみても、何年経ってもあまり変わらずに、どうも不便な空港というイメージは拭えないような気がする。


国家100年の計で言うなら、神戸沖にもう一度『浮島方式の新空港』を作り直して、現在の3空港を全部集約するぐらいのことのほうが、いいのかも知れない。

現在の関空は地盤沈下しているのは事実のようで、こんな現象は多分止まることはないであろうから、地盤沈下対策費で新空港などできるのでは?
などと思ったりする。


非常にムツカシイ話だが、
素人の発想で粗っぽく言うなら、世界各地の空港はどこでも、結構便利なところに位置している。騒音問題など言わないのだろうか?
街に隣接していて、そこに行くまでに何時間も掛るようなところは少ないのである。

バイクの世界などで、よく『生まれがイイとかワルイ』とか言ったりするが、
生まれの悪いマシンは、後で幾ら手を入れてもどうにもならないものである。

どうも関空も、成田も『生まれがイイ』とは決して言えないのである。

成田と羽田の両立などと言っているが、
客の立場で言えば、成田と羽田ならみんな羽田と言うだろう。

箕面の倉田さんが、そんな空港問題を取上げている。
市長さんでもまだよく解らぬと仰っているが、止めようという伊丹が唯一大幅な営業利益の空港だというのも皮肉である。

こんな大きな話は、結局のところ正解などないのである。
使う人が便利だと思うところに、人は流れてしまうものであ
人が集まれば、自然と利益は生まれるのだろう。

そういう意味では、伊丹の43億円の営業利益は、便利だという証しなのかも知れないが、
伊丹の拡張は、無理だから3つとも止めて神戸沖の大阪からも神戸からも便利な立地に浮島方式の大空港を作るのが、一番簡単で正解のような気がする。

今の3空港は、どれも将来性がない。
お金など少々掛っても大丈夫である。地盤沈下対策を毎年やって追い銭を出すようなのが、一番問題なのである。

『もう一つ、新しく作る』 然し、コレは現実には、ムツカシイだろう。
田中角栄さんみたいな人が出てこぬと、無理である。

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ブログ、双方向の情報発信

2009-11-12 04:45:22 | 発想$感想
この数日、ちょっと単車事業に関することなど、『ムツカシイ』ことを書いている。
現役の頃、『ムツカシイ仕事』『ムツカシイ時期』が一番好きだった。
そんな時期になると、『新しいことが本当にやれる』からである。


日本のタテ型社会、生産管理型の管理社会、管理の標語
こんなのが、みんな嫌いだった。
これらは日本社会独特の『みんなで渡れば怖くない』式で、全然『差別化』がないのである。

『ほうれんそう』よくどこでも言われる、
報告、連絡、相談。 コレが何となく嫌いだった。
自分が上の人に報告をし、連絡して、いろいろ相談するのは当然である。

ソレを部下に求めたりするのは、どうもイヤだった。
『報告を受けなければ解らない』『なぜソレを言わなかった』と怒る上司。
『言わなかった』のではなくて、『言えなかった』そんな状況だったはずである。

部下の立場では、『いやなことでも報告』すべきだが。
上司の立場では、標語にして張り出し、強制するのではなく、スムースに報告できる職場環境、さらに言えば『報告がなくても』『考えていることが解る』のが一番いいと思っていた。


世の中、全て相手がある。ソレは縦の関係ではなくて、ヨコの関係でありたいものである。
ネットの世界は、ヨコ一線で双方向、そして強制されずに自主的に繋がるからいいのである。
『ほうれんそう』でなくても、コメントが入ったりするのである。

ブログの世界は双方向の情報発信である。
昨日のブログに関して、『職権打刻』さんから、コメントが入った。

二輪の世界には『遊び心』がなくてはと書いたら、それに同調してくださった。
『職権打刻』さんは、『雷神マッハ』さんの紹介者である。
川崎重工が好きで、北見紀生さんとは繋がっているのだが、雷神マッハさんは面識はないそうである。
それでも繋がるところが面白い。NPOの会員さんだが、私も面識はない。


台湾に今行っておられる、武雄の樋渡市長から、今日もコメントが届いた。
ざっと、こんな内容である。
『そうなんですよね。武雄で作ったものを台湾で売る、古い言葉ではボーダレス、今ではフラットっていうんでしょうか。
ーーーーー中略ーーーーーー
今、市場を含めて、大小左右の壁を感じなくなってきています(笑)。 』

私はめちゃめちゃトーンやスタンスは合うのだが、普通の相場で言えば、変わっている。
武雄の市民でもなく、特に関係もないのに、市長さんの激務の中、台北の出張先からコメントである。
まあ、普通の人はそんなことはしない。しないというよりやれと言っても出来ないのである。

何が大事かという、価値判断の基準が普通の人と違うのだと思う。
でも、大局ははずしておられない。24時間の時間配分や、優先順位の判断に独特のものがあるのだろう。


この2日間、雷神マッハさんに、つききりであった。
カバン屋さんが、ビックリしたように言われたが、ソレでいいと思っている。
現役の頃、結構忙しいと思われた頃でも、遠くから来た人には、その人の予定に合わせて、100%対応したものである。

大した仕事のように思っているだけで、日常の予定や仕事など、『大したことはない』のである。どれかを、止めたら時間など、幾らでも出来る。
今は、止めたりしなくても時間はいっぱいある。



今朝、起きてブログチェックしたら、結構なアクセスである。
『カワサキの動向』に関心のある『カワサキファン』も『バイクファン』も健在である。その人たちの声をメーカーは是非聞いてあげて欲しい。

60おじさんは、昨日のブログのコメントにいろいろ書いて最後に、
『何が言いたいか、やろうと思えばなんでも出来るということです。 』と書いてきた。
一昨日のオフ会で話題になった『滋野靖穂』が何故か検索ワードのトップだったし、
『アクセス元URL』では、いつもお世話になっているこんなブログがトップに並んでいた。

ブログは間違いなく、双方向の情報発信なのである。

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カワサキの単車事業を考える

2009-11-11 04:56:40 | カワサキ単車の昔話
この数日、長年携わったバイクの世界をもう一度思い出させてくれた、
そんな環境の中にいた。
少なくとも、ここで出会ったバイクのプロたちの意見は、非常に前向きで明るいものであった。
そんな雰囲気の中にいるだけでも、楽しいものである。

バイクは楽しい遊びの乗り物である。
生活必需品などではないのである。
ベースに絶対に失ってはいけないのは『遊び心』なのである。
どうもその辺りが、昔に比べて希薄になったのではなかろうか?


土曜日に、出会った平井さんが、そのブログでこんな風に書いている。

そのブログのコメントに、今年は『チームハラダ』を鈴鹿で手伝った春さんが、

『そのとおりですね。今年は、「ひょこむ」の縁がありまして、カワサキプライベーターのレースのお手伝いをさせていただきました。
が.....タイヤサポートも、メインスポンサーも無くプライベーターにとっては、なかなか情熱だけではやっていけない時代のようです。
そんな中でも、お手伝いができ、また、私も素人ながら一緒に参加でき、楽しめる「レース」に興味が持てたので、これから、この下火になっている、レース界を再び盛り上げることのできる何かを見つけることができればと、考えています。』

とこんな、コメントである。
メーカーはともかく、末端のバイクファンは、至って健全な意見を持ち、元気なのである。
『日本のバイク保有台数は、350万台と過去最高のレベルにある。』
『新車が少し売れないだけで、二輪業界は結構面白い。エネルギー問題なども追い風である。』


昨日、今日と2日間、
雷神マッハさんともうお一人の関東のマッハマニアを明石工場にお迎えして、
夜はこんなバイク関係のメンバーでのオフ会、
翌日は、カワサキワールドを訪ねて、ぼけちんさんも加え、昼食をとりながらのバイク談義など、ずっと二輪の世界の中にいた。



明石工場で完成車の生産をすることだけが、二輪事業ではない時代に既になっている。
二輪事業とはどんな事業なのか? 今こそ新しい発想で二輪事業を捉えるべきだと思う。
新車は事業の中心ではあるが、特に事業損益のレベルでは、二輪事業のほんの一部なのである。
『ソレが全て』だと錯覚していないか?


ちょっと、従来の発想に捉われて、発想が固すぎるのではなかろうか?
Zでも、マッハでも、40年前の新車の頃よりも高い値段で、モノさえあればその頃以上に、売れる環境にある。
それをミスミス見逃しているという意見が、末端の市場をよく知っているプロたちの主流の意見である。

『メーカーでこんな旧いバイクの部品をもう一度、作りませんか?』
ユーザーたちの単純な願いなのである。

『型がない、アレがない』『難しい』 いろいろ断る理由を見つけるのは上手なのだが、コレは間違いなく『新しいビジネス』になるはずである。
新車を作るなと言っているのではなくて、ユーザーがホントに欲しているものに対応するのが新しい時代のメーカーの生き方なのだろう。

先日、ko-zaruなる30ccのバイクを作っている、ホンダOBのメーカーさんの佐々木さんに
『Kawasakiの1000ccか600ccのエンジン100台ほど、分けて貰えませんかね』と尋ねられた。 エンジン単体では売らない。
コレはよく解っている。
カワサキフランスが世界耐久でトップを走った頃の『マシンのイメージのクルマ』を再現』したいようである。

末端の価値観は、間違いなく成熟して、多様化しているのである。
今、供給側に求められているのは、単細胞な発想ではなく、末端の希望に柔軟に対応する姿勢と仕組みの創造である。


このマシン『EGLI』のエンジンは、ご存知の通りカワサキである。
エンジン単体でなく完成車を買って、エンジンだけを使うので、マシンとしては高価になるのだと思う。

ただ、そんなに高い車でも、大の男が3人熱心に車から離れないほどの魅力があるようである。
マシンとか、技術オンチの私には、なかなか理解できないが現実は、こんな様子なのである。

ただただ、完成車を作ってそれで経営しようという『メーカー』としての事業には、既に限界が来ているように思う。
本音で言えば、20年前の現役の頃から、そう思っていた。

明石の工場が、事業の主力なのか?
国内外の販社が、事業の主力なのか?
二輪事業とは、その両輪で成り立っているのである。
そして、その収益性は、その自由度と巾の広さから、間違いなく販社の収益性のほうが、圧倒的に高いはずである。

カワサキの単車事業には残念ながら、本社がないので、そんな経営次元の判断が検討されないまま、事業が展開されているのが、一番の問題点であると私はずっと思っている。
他社にある『本社機能』を持たぬまま戦えると思っているのだろうか?
工場がタイなど海外が主力になりつつある現状をよく見て、同じ機能の明石工場が本社であるような事業形態から、
リンカーンやタイのように、『工場は子会社である』という位置づけを、早く徹底すべきだと思っている。

『旧い部品を作ってください』というお願いの善悪はともかく、それを工場にお願いする形態が『おかしいのである』
『それが是か非か』をマーケッテングを通じて、主体的に判断する純粋な本社機能を造らない限り、『今後の二輪事業の発展はない』と信じて疑わないのである。

末端の二輪をよく解っている人たちの意見を聞いていると、そして末端の状況の実態を見ると、
1日も早く、二輪事業の中枢(本社機能)が、直接それらを感じ取る触覚を持った、経営次元のマーケッテング機能と、それに基づく経営次元の判断が成されるべきであろう。

20数年前の事業本部の企画機能も、販社の方向もそんな方向を目指していたはずなのだがーーー。

時代と経営環境の読みこそが、経営判断の鍵だろう。
経費節減などの改善などの数字的な対策では、幾らやってもダメだろう。
求められているのは『構造改革』で、『意識改革』こそが必要である。

末端のホントに解っている人たちの声に、耳を傾けて、『常識でモノを考えたら』正しい結論は直ぐ出るのに、と思っている。
そんなに、難しいことではない。

『新しい仕組みを構築すれば、直ぐ解決する』はずである。
『今時、努力で解決しようと試みる』ことは,ナンセンスである。
『生産』はともかく、『販売はどんな規模でも成り立つ』のが常識なのである。



昨日のブログには
今、台北に行っている、佐賀県武雄市の樋渡市長から『コメント』が
九州の小さな市の武雄でも、『行政の常識』を超えて、
台北にタイ原産のレモングラスを売る時代なのである。

時代は、動いている。発想の転換こそMUST。要は、『考える』ことである。
それが出来ない企業は衰退しかないのでは、と思っている。
この、2,3日改めて、こんなことを思った。

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不思議なご縁

2009-11-10 09:21:30 | 発想$感想
人生には不思議なご縁で繋がる方がいる。

会社だとか、運動部だとか、そんな組織や仕事関連は、みんな普通に繋がっていくのが普通なのである。

この数年、インターネットをやりだして、ブログや、SNSなどを始めて以来、
今までとは違った形での繋がり方が生まれて自分でもビックリしている。


武雄市長の樋渡さんなども、ブログがなかったら、そして樋渡さんがコメントを下さらなかったら、絶対に出会うことなどはなかったであろう。

カバン屋さんなども、ブログにコメントがあって、繋がったのである。

さるとるさんともJJさんとも、三木市長への市長メールの展開から、お会いすることが出来たのである。


SNSといえば、mixi。 コレは市会議員のヨネちゃんが紹介者である。
ヨネちゃんは議員になる前の普通の人のときに『みっきいマラソン』のブログで知って、直ぐそのあと28歳の若さで、選挙費用確か15万円ぐらいで、立候補すると言うものだから、
興味半分、当選は無理だろうが応援はしようと思ったら、当選してしまったのである。
コレなども不思議なご縁である。


そのmixiは、ほとんど何にもしていないのだが、
カワサキにいて、なぜか気があって懇意にしていた、北見君は今でもカワサキ乗りに人気があるようだ。
mixiに、ファンの人たちがこんなコミユニテイを立ち上げてくれている。

承認制の確りとしたコミユニテイだが、メンバーに入れて貰っている。
そこのトモダチの一人に『職権打刻』さんがいる。

そんな『職権打刻』さんから、昨年12月、突然こんなメールが届いたのである。

『東京在住の45歳前後のマッハ乗りの社長、
> 海外のオークションでF9Rを購入して四苦八苦しているようです。
> 何かアドバイスしていただければ幸いです。 』

その経緯は、このときのブログに詳しいが
昨日、半日川重や、カワサキマイスターや、グリーンピア三木のNPOのオフ会で、ご一緒した『雷神マッハ』さんが『東京在住のマッハ乗りの社長』さんなのである。

今は、NPO The Good Timesの関東地区で、『異種、異質の1業種を集めてのネットワークを創ろう』と大いに野心に燃えていらっしゃるのである。

ホントに不思議なご縁だが、多分面白い展開になるだろう。
繋がり方が面白すぎるのである。



1年も前には、繋がったのだが、ブログのコメントにお礼を頂いたぐらいであった。
今年、7月NPOを立ち上げて、そのホームページを担当してくれた『まっしま』さんと、『雷神マッハ』さんが、西東京のバイク乗りが集まる『Bunny Beach』で会って、いろんな話で繋がって、みんなNPOの団体会員に参加されたのである。

先日、東京で会合があって、初めてお会いした。
今回が2度目である。

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昨日、今日とNPO関連です

2009-11-09 07:14:08 | NPO The Good Times
昨日は、NPO The Good Times の運営委員会でした。

このNPOも、あまり世の中に存在しない『初めての試み』みたいなモノでしたので、
なかなか説明も難しく、理事さんたちにも理解してもらうのが難しいままに進んできましたが、
最近になって、やっと少し理解して貰えるようになりました。

吉川の夏祭りやナメラアートのお手伝い、潮流発電の応援や古代の窯のプロジェクト、など具体的な事例が続いて、具体的な活動になると『イメージが湧く』ようです。

このNPO自体は、『仕組みそのもの』ですから、何もしません。
NPOのメンバーたちが、具体的に動くと、NPOのシステムは上手く機能します。
『より上手く使うと』 『より上手く機能する』ように仕組んでいるシステムです。

ようやく幾らか、利用してみようかというムードが生まれ始めました。
そんな感じが見られる運営委員会でした。


メンバーの一人、kwakkyさんは、私にとって有力メンバーの一人です。
kwakkyさんの昨日のブログは、『緑が丘の今昔展』ですが、この年表はkwakkyさんの力作です。

kwakkyさん関連で、今、こんな緑が丘のお医者さんや車椅子ダンスなど、ホントに異種、異質なユニークなところの話もあります。
いつか、NPOの仲間になって貰えたらと思っています。



今日は、東京から雷神マッハさんともうお一人が、わざわざ関西にお見えになります。
川崎重工を訪ねてそれこそマッハのレーサーをご覧になりたいそうです。
折角の機会ですから、NPOの団体会員でもあるグリーンピア三木にお泊りで、バイク関係のメンバーたちでのオフ会もやります。
『古代の窯』のあるmiki ANNEX PARKの山田さんも、ひょっとしたら神戸fフルーツフラワーパークの『ぼっけもんの修さん』も来られるかも知れません。

雷神マッハさんのご紹介で、今関東は活発です。
先週も歯医者さんと、こんな新進デザイナーの方が、参加されました。

『The Good Timeに受け入れていただきました御蔭で以前より見識が広くなったように感じており皆様には感謝しております。
私の友人知人で賛同できる方を1地域 1業種の会員さんを集めたら、 面白い事が出来るのでは?と考えています。 いわば私の野望です。』 とメールを頂いたりしています。



雷神マッハさんとの出会いのきっかけは、昨年の12月19日ことでした

ちょっと長いですが、お読み頂ければネットの面白さがよく解ります。
雷神マッハさんの『お礼のコメント』も載っています。

それから半年以上の空白があって、今回のNPOの関係で繋がりました。
そして、今日、明日三木や明石でご一緒します。

ホントに不思議なご縁だと思っています。
今後、大きく発展する予感を持っています。


今日は、お昼に川重明石に伺います。
営業の方、カワサキモータースジャパンの方、よろしくお願いします。

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カワサキのモトクロスの始まりは?

2009-11-09 04:56:48 | M/Cレース
先日、カワサキのレースは青野ヶ原が初めてだと言われているが、もっと以前に走っているのではと、『何となくそう思っていた』と書いた。

もう一度、再録してみると。

『カワサキのレースの初戦は1963年5月19日兵庫県青野ヶ原のモトクロスということになっている。確かに、明石工場の人たちが初めてレースに参加したのは間違いなく、青野ヶ原が最初である。


然し、何となく、ホントに何となくだが、
もう少し前からカワサキも、レースに参加していたのではないか?
それにもし関係した人がいるとすれば川崎航空機では井出さん、
カワサキ自販では故小野田滋郎さんだと、私は思っているのである。

その理由は、井出さんは『三吉一行君』をよく知っていて可愛がっておられたのである。
彼は元々ヤマハで三橋実君などとともに東京スリーホークスのメンバーだった。
カワサキにも一時関係はあったが、彼を知っているというのは、青野ヶ原より前ではなかったのか?

『新明和にレースのプロみたいな人がいたでしょう』
『いたな、名前は忘れたけど』
三吉一行君のリンクの写真の『富士の朝霧高原のレースも懐かしいな』
こんな会話が出来るのも、もう井手さんぐらいになってしまった。
残念ながら、井出さんは、正確には覚えておられなかった。

小野田滋郎さんは、青野ヶ原で大勝したとき、
今までレースに反対だった部長さんたちが競って記念写真に納まる様を、
『今までの苦労を知らずにーー』と言われたのである。
三橋実君をヤマハからカワサキに連れて来たのは、間違いなく小野田さんで、
青森であったレースのときである。
青森の八戸や厚木や福岡の雁ノ巣などの米軍基地の周辺から日本のレースはスタートしている。
その青森のレースなどは、多分青野ヶ原より前だったような気がするのである。』


とこんな風に記述したのである。

このブログに、60おじさん、山本隆君がこんなコメントを寄せてくれたのである。

『私が始めてMX出場したのが1961年1月4日の第1回兵庫県MXです青野ヶ原でMCFAJでした。
記念すべし初レースに2位となり、有頂天で次のレースを待ち望んでいました。

第2回が5月21日新明和工業宝塚工場敷地内で行われました。
この時にカワサキB7MXレーサーを東京の三吉選手が乗っていました。

ちなみに私は両レースともホンダCB95元浅間レーサーでした。
二戦目は散々な結果に終わり、心入れ替えた事を覚えています。 』


B7のMXレーサーがあって、61年5月21日に三吉一行君が乗っている。
新明和のレース場、これに小野田さんや井手さんがかんでいたに違いない。
私は61年5月は入院中なのだが、井手さんは61年は日本ジェットから川航に間違いなく戻られている。
当時私は財産課に所属していて、日本ジェットから戻られた井手さんや、大槻さんの机は、私が60年に準備したのでよく覚えているのである。

私の『何となく』も当たっているような感じである。
もう少し確りと詰めてみたいが、
『60おじさん、貴重なコメント』 有難う。

その後、60おじさんと電話でちょっと話をして、幾つか解ったが、
今日は、NPOのオフ会でご一緒する。
またいろいろ聞いてみたい。


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三木金物まつり

2009-11-08 04:40:22 | みっきぃふるさとふれあい公園
三木は昔から金物のまちとして知られていた。
今でも、新潟の三条と並んで立派な金物、大工道具など世に出している。

そんな旧い伝統のある三木の町の山を開いて、所謂新興住宅地が開発されて新しく多くの人が三木に移り住んできた。
私もその一人であり、そんな人たちにとってみれば、金物のまちと言われても、何となく違和感があるのはよく解る。

三木に住んで36年目になるが、私自身会社勤めをしていた30年間は、三木は、文字通りのベッドタウンで、金物はおろかあまり三木自体も意識をしなかったのである。


この数年、三木の方たちとも知り合いが出来て、三木に関心を持つようになり、
金物も金物まつりにも、関心を覚えるようになったのである。

金物まつりに昨日の午後から出かけた。
今年で3回目である。

2日間で18万人の人が来ると言われているが、それはともかく大変な人であることには間違いない。
18万人といえば、鈴鹿8耐の最盛期の人数である。
あのときの鈴鹿が人で埋り、鈴鹿の町中が車の駐車場化したあの混雑振りに比べると、三木は駐車場も広いので、混雑も大したことはない。



それでも、市役所前の大駐車場は、こんなテントで埋まって、こんなに大勢の人である。ただ屋外のほうは、金物店もあるがただ数を売っている感じで、三木の高級金物のイメージは少ない。



屋内の別会場では、こんな高級刃物などがずらっと並んでいて、ここは客筋が違うようである。



役所のロビーには、こんな金物鷲の展示もあった。
この金物鷲は、
『三木金物製品の鋸や庖丁、ナイフ、ギムネ、鉈、手鈎など総数にして3,329点を使用しており、なんと重さ1.5トン、翼長5m、高さ3.2mもある威容は、展示するたびに関係者の注目を集めています。

金物見本市でデビューしたこの鷲の人気は高く、万国博をはじめ国際見本市から全国各地で開かれた見本市、展示会の機会にたびたび飾られてきた歴史があります。

総計3,329点の内訳は、鋸530、庖丁812、肥後守ナイフ500、手鈎8、鏝65、鑿43、小刀41、鉋62、鎌92、ギムネ75、鉈1、鎌口金1,100です。 』と説明されている。
耐久性はないので、催しがあるごとに、このように造られるのである。


今日も、開催されます。
スケジュールなど、ブログdeみっきぃ でご覧になって、是非お越し下さい。
近畿のいろんなところ、岡山、徳島、福井辺りからも1時間ちょっとで、お越しになれます。
駐車料は無料、高速は1000円ですから、ガソリン代だけです。


三木、こんなところもあります。アメリカみたいでしょう。
1時から3時半まで私が廻ったところです。



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松井はやはりゴジラだった

2009-11-07 04:15:49 | スポーツ
ニューヨークヤンキースが念願のワールドチャンピオンに輝いた。
そのMVPに松井秀喜が日本人で初受賞である。
それも試合中に観衆からMVPコールが湧き上がるほどの文句なしの受賞である。

この1,2年怪我などで何となく往年の精彩がなかった。
高校時代から『ゴジラ』の異名をとった文句なしの大活躍は、巨人に入ってからも続いていたのだが、
アメリカに渡ってからは、何か優等生のような感じで、往年の『ゴジラ』らしさは影を潜めていたのである。



NHKも各テレビも新聞も、松井が第一面である。
読売新聞は『ミスターノーベンバー』とこんな記事を紹介している

ニューヨークヤンキースの最後の年?に、
『ゴジラらしい活躍』が出来て本当によかった。

ワールドカップで活躍したからと言って、来年以降の契約にいい影響が出るとも言えないようである。来年のカレンダーには松井の写真は載っていないとか。

朝日の記事はこんな風に伝えている。
『戦いは終わった。しかし、松井にはもう一つの仕事が残っている。
ヤンキースとの契約が今年で切れる。残留できるのか、移籍か。松井の考え方はいたってシンプルだ。
「守備機会にこだわる。ひざをさらに回復させ、もう一度、打撃と守備でプレーしたい」。
高校時代からバットを振って、走って体を仕上げてきた。来季はそのプレースタイルにこだわる気持ちがある。それを受け入れてくれる球団はどこか、だ。 』

まだ、35歳。
来年はどこのチームで『ゴジラ松井』が見られるのだろう。
『ヤンキースの優等生』から脱皮した、ホームランを量産する『ゴジラ松井』を見たいような気がする。

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Z1会、今年最後のゴルフ

2009-11-06 04:21:59 | NPO The Good Times
11月4日、今年最後のZ1会ゴルフが、三木セブンハンドレッド倶楽部で行われた。

最近は、ゴルフの回数もめっきり減って、年に10回も行かないのではというようなことになってはいるのだが、
このZ1会の年4回のゴルフは、今のところ皆勤である。

ゴルフ場が家から10分ほどと近いし、何よりもメンバーが素晴らしいのである。
段々と歳を取って休会する方も出てきたが、総勢60名以上、好天に恵まれ今回も盛会であった。




今回のメンバーは、
72歳になったので、年72回のゴルフを目標にしていると言う永友節ちゃんと、
今年後期高齢者の仲間入りをした、元レース監督やKMCの社長などして、現役の頃からよく付き合った百合草さん、百合ちゃんと、
Z1会最年長80歳の井手哲也先輩である。



みんな70歳以上で、会のルールでもゴールドティーから打つことも可能なのだが、80歳の井出さんが後ろから打とうというので、白くいからの若い人と同じティーグランドである。
ここは、池の前100ヤード以上も前から打てる高齢者優遇のドラコンホールなのだが、後ろから打っているのが井出さんである。

最近は、スコアに拘らない楽しいゴルフがモットーなのだが、
永友節ちゃんが優勝、私もひょんなことで2位に入れたりした。



井手さんとご一緒するのは、はじめてである。
一度お聞きしようと思っていた、カワサキの昔のレースのことをお聞きした。
カワサキのレースの初戦は1963年5月19日兵庫県青野ヶ原のモトクロスということになっている。工場の人たちが初めてレースに参加したのは間違いなく、青野ヶ原が最初である。


何となく、ホントに何となくだが、
もう少し前からカワサキも、レースに参加していたのではないか?
それにもし関係した人がいるとすれば川崎航空機では井出さん、
カワサキ自販では故小野田滋郎さんだと、私は思っているのである。

その理由は、井出さんは『三吉一行君』をよく知っていて可愛がっておられたのである。彼は元々ヤマハで三橋実君などとともに東京スリーホークスのメンバーだった。カワサキにも一時関係はあったが、彼を知っているというのは、青野ヶ原より前ではなかったのか?
『新明和にレースのプロ見たいな人がいたでしょう』
『いたな、名前は忘れたけど』
三吉一行君のリンクの写真の『富士の朝霧高原のレースも懐かしいな』
こんな会話が出来るのも、もう井手さんぐらいになってしまった。
残念ながら、正確には覚えておられなかった。

小野田滋郎さんは、青野ヶ原で大勝したとき、
今までレースに反対だった部長さんたちが競って記念写真に納まる様を、
『今までの苦労を知らずにーー』と言われたのである。
三橋実君をヤマハからカワサキに連れて来たのは、間違いなく小野田さんで、
青森であったレースのときである。
青森の八戸や厚木や九州の米軍基地の周辺から日本のレースはスタートしている。
その青森のレースなどは、多分青野ヶ原より前だったような気がするのである。



パーティーはいつも和やかである。レース関係メンバーは半分ぐらいもいるのだろうか。
立って話をして居られるのは大槻会長である。
ちょっと解りにくいが、なぜか一番末席にいるのがキヨさんである。
ウマのダントツ一番人気だったのに、期待にこたえられなかったからだろうか。
一番真ん中に写っているのは、世界一のカワサキフランスチームを率いた遠藤さんである。
その隣が、最年長の井手さん。 いつもイイ雰囲気である。

また、来年である。


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単車の私も知らない昔話

2009-11-05 05:23:07 | カワサキ単車の昔話
thiraiさんこと平井稔男さんは私と同い年です。

ずっとカワサキ単車のスタート頃からのメンバーで、平井さんより旧い人はもう少なくなりました。
彼が『カワサキの真打ち』と言って憚らないのもよく分かります。
もう、50年近いお付き合いですが、
今も、NPO The Good Times の理事さんで手伝って貰っています。
この週末も、一緒に運営委員会でお会いします。


そんな平井さんが旧い単車話を
『カワサキに想う』その1

『カワサキに想う』その2  

と連載しています。
私も知らないような話が出ているので、かいつまんでご紹介し、
知っていることは補足してみたいと思います。



まず『カワサキに想う その1』では


私は満州で生まれたせいか?(それは知りませんでした。私は朝鮮育ちです。)

私は、昭和28年に高校卒業して直ぐ、当時スターリン景気?に沸く証券界の日興証券に初任給12800円で就職したことに始まる。
(コレも初耳です。初任給12800円はビックリです。川崎航空機の初任給は、昭和32年で、12000円でした。)

野球部の親友が「親父がオートバイの問屋をするので手伝ってくれないか」の誘いで、
直ぐに辞めて月給8,000円の近畿メイハツ販売㈱(設立当初は㈱近畿モータース)役員5人の社員一人の会社に飛び込んだのである。昭和28年のことである。
 
丁度、川崎航空機工業㈱がホンダに対抗して製作した自転車につける小さな小さなエンジン(KB-1型60cc)を開発。
(当時の川崎航空機は戦前航空機のエンジン工場であったことから、いろんなエンジンやミッションなどを造ってはいた、エンジンメーカだったのです。)

オートバイの完成車の分野に参入すべく、昭和28年明発工業㈱を設立(今のKMJの前身である)した頃と同時である。
(メイハツ工業は川航からエンジンを買って完成車を作っていました。今のKMJは販社ですが、前身のメイハツはメーカーです。)
 
世界一のオートバイ発展の夜明けだったのである。



『カワサキに想う』 その2では


’60年から社長が高野行彦翌年から社名をカワサキ自動車販売㈱と改名、
(川崎航空機も当時4輪車の開発をやっていましたから、将来に備えて自動車と言う名にしたのかも知れません。ちなみにその4輪車のエンジン開発担当した一人はZのエンジン開発者のあの稲村さんです。) 

’61年に(代表取締役土崎英利に交代)
  ㈱目黒製作所との業務提携により「カワサキ号&メグロ号」の販売を初める。
(私は61年末から、単車営業に異動しました。ほとんど誰も単車の営業専門家は、川航にはいなくて、メイハツやメグロの人に頼っていた時代です。)

’62年にはメイハツメグロを吸収合併私も被害者の一人として明石工場4研に連れて行かれたのであります。
(その頃4研(第4研究所と言う戦前の川航の建物の呼び名です)にいた平井さんと初めて出会いました。兵庫メイハツの拠点でした。)

’63年に会社の販売体制の整備・お客様との緊密化を図る為、全国に120店あった「全国カワサキメグロ会」を「全国カワサキ会に改称」一層販売の強化を図ったのであります。
 
兵庫県はメーカーの地元であり、我々「兵庫販売課(課長松田与一)」が直接販売店に訪問する直需体制、私は主任としてテリトリーを但馬&淡路に担当相当頑張ったのであります。
成果あって’65年には豊岡営業所初代営業所長を務め、Mちゃん・ごっちゃん・クッしゃん・きょうちゃん・綿ちゃん(今はごっちゃンの愛妻)一人で回っていた但馬が5人体制の営業所にまで成長したのであります。
(この時期はカワサキの黎明期であったと思います。平井さん、こんな時期にもう所長さんだったのだ。 所員の一人ごっちゃんは今の東京のファイブテン、今はその息子さんの時代です。ごっちゃんはよく知っていますが、奥さんもそこに居られたとは知りませんでした。)

その間、’65年をピークにマシンも充実、社長も(神武・岩城、)
’66年ここでカワサキオートバイが生まれたのでした。


昔話は、年寄りにとって楽しい思い出話です。
でも、まだ平井さん、兵庫メグロの現役役員さんで頑張っています。

間違いなくカワサキの歴史を造った一人です。

詳しくは、是非ブログをどうぞ。

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橋下さんの周辺賑やかです

2009-11-03 11:51:34 | 大阪維新の会、橋下徹氏
単なるタレントであったころから好きだった。
何となくトーンが合うのである。

アタマがよくて、弁護士で当然博学なのに、強い運動部育ちで先輩に対する気の遣い方などがいいと思っていた。

大阪府知事に当選して、まだ知事にもなっていない時期に、
このブログに『大阪府&橋下徹氏』と言うカテゴリーを作って応援することにした。

第1回に綴ったブログがコレである。

昨年の1月30日のブログに、こんな風に書いている。
カンだけで、そう書いたのだが、結構当たっている。

『○そんな中で「収入の範囲内での支出」と言い切った。
これが出来る、出来んといろいろ騒がしいが、まずそんなことよりも、「明確に言い切った」ことに大拍手である。

○これで、方向、大方針は決まった。
そして、その言い方が極めて明確であり、やろうと意思が明確に読み取れた。
橋下さんは、これをやりきるだろうと思う。

○改革とは体質の転換である。
大阪を変えようと言う意識が、極めて明快である。

○リーダーに、確固とした方針と熱っぽさがあり、それをホンネで伝えれば、必ず追随する強い味方がいっぱいできる。そして、いつかそれは、流れになる。流れ出したら、さらに大きな流れになる。

○橋下さんの大局を見る目、視点の方向、スタンス、どれも間違っていない。
若いけれど、リーダーの資質、大丈夫である。大阪も全国区になるだろう。



それから1年半の月日が流れて、最近の橋下さんの周辺は、極めて賑やかである。

大阪府庁のWTCビルへの移転は、『買うのは賛成、移転は反対』とややこしいが、
多分、コレも移転の方向になるのだろう。

総務省の顧問にはなったようだし、
コレは流石に断ったようだが、郵政の社外取締役の話もあったようである。
今朝は『2045年伊丹新都心』の見出しで、伊丹空港廃港跡の構想が載ったりしていた。
流れ出しと、ホントに大きな流れになり過ぎてしまうのである。


大阪府庁の移転話について、先日船場の岡田康さんから、
こんなメールも頂いたりした。

確かに、いろんな意見があって当然である。
最初の頃のような単純な話ではなくなってきた。

今からが、真価の発揮どころと言うか、猪突猛進だけでは勤まらなくなってきた。
方向としては、応援したいと思っているが、調整も上手にして欲しいものである。


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武雄のレモングラス

2009-11-03 04:53:10 | 樋渡啓祐さんのこと
『武雄のレモングラス』
4年前、樋渡さんが武雄市長になられてから、樋渡さんご自身が『提案、呼びかけ』をしてこの事業は始まった、と記憶している。

樋渡さんは、料理に関心がおありである。
そんなことで『レモングラス』のこともご存知だったのだろう。
『レモングラス』これはハーブの一種である。『それが事業になる』というカンが素晴らしいのである。
確か、原産地はタイだとか。

昨日の『武雄市長物語』は、レモングラスのことが取上げられている。
スタート以来、その取り組みの姿勢は、注目に値する。

○ 市長自らの提案、アイデアからのスタート
○ そして、こんな仕組みを作っての取り組みでなのである。

このホームページの中身を見るだけでも、そこにコンセプトがあり、
仕組みも、広報戦略もあって、ただ単に組織を作って、レモングラスを栽培したと言うような、話でないところが、素晴らしい。



○東京伊勢丹で、市長自らの話題づくりの姿勢も見事である。

○今回は、それが台湾である。台湾のどこだろう。多分、台北ではなくて台中であろう。ずっと以前に、何かそんなことを読んだ記憶がある。

これを進めているのは、レモングラス課、専門組織である。
物事はそれを専門に進めない限り、商売にはならない世の中である。専門で集中して考えるから、いいアイデアが湧くのだと思う。
ソフトの世界はそんなものである。
汎用的な片手間ではいい仕事にはならないのである。

発想する人、具体的に動く専門組織と、それを支えるいい仕組み、それをさらに効果的にする広報戦略、それらを全てトータルで纏めようとする基本的なコンセプト。
とても従来のお役所仕事では、こうは行かないのである。
縦割りの発想では無理と言うより不可能である。
民間でもなかなか難しい。

これを可能にしているトータルの仕組みが、なぜこうも上手く機能するのか、
これは、『リーダー』がいいのだろうと思う。
武雄は4年前までは、レモングラスの素人ばかりだったはずである。


こんな新事業を育てていけば、リストラなど人員削減などと同じ効果を発揮する。
新しい時流に乗った新事業は、この時代にこそ面白いのである。
潮流発電』も上手く行けばと思っている。

もう一度、じっくりこのホームページを見てみよう。
多分、ヒントいっぱいである。


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Good times Cafe とーーー

2009-11-02 04:46:16 | NPO The Good Times
Good times Cafe
川崎重工業の広報誌の表3のページの名前である。

今回の広報誌の表3、表4のイベントや写真は、なぜか最近の私と至極関係があるのである。

NPO法人 The Good Times の設立にも、直接影響があったことだし、
ここに関係した人たちは、みんなNPOの会員メンバーでもある。

そういう意味では、何となくKawasakiの広報関係に幾らかでも貢献できたような気持ちにもなった。


NPO The Good Times のホームページのブログには、
一足先に昨日アップしたので、是非、それをお読み頂きたい。





11月9日(月)に夕方から、グリーンピア三木でNPOのの、非公式なオフ会を開催します。個人会員の方もOKです。

東京から「雷神マッハさん」が来られますので、歓迎会も兼ねて行います。
バイク関係でも、関係なくても出席希望の方はOKです。会費5000円ぐらい。
タッチャン、モリチャン、カバン屋さんのほか、miki ANNEX PARKの山田さんなど、今現在6名程度、thirai 60おじさんなど、まだ連絡していません。
5日ごろまでに何らかの連絡を頂ければ、お受けします。

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